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昭和天皇に関する資料「拝謁記」を、私見を混ぜて小出しにして報じ、資料の全文を公表しないNHKの不純な動機

 8月16日のNHKニュースは、「昭和天皇『拝謁記』入手 語れなかった戦争への悔恨」というタイトルで(翌17日以降も連続して)次のように報じていました。
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昭和天皇「拝謁記」入手 語れなかった戦争への悔恨
2019年8月16日 19時00分 NHK

 天皇陛下の祖父、昭和天皇の実像に迫る
第一級の資料です。NHKは初代宮内庁長官が5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を入手しました。その記述から、昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対で、その一節が削られていたことがわかりました。分析にあたった専門家は「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」と話しています。

繰り返し語る後悔の言葉
 「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、戦後つくられた日本国憲法のもとで、昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。

 田島長官は、このうち長官就任の翌年から
5年近く、昭和天皇との具体的なやりとりや、そのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて近現代史の複数の専門家と分析しました。

 その記述から昭和天皇が田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことが
わかりました。

強くこだわった「反省」
 さらに昭和天皇はサンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典で、おことばを述べますが、この中で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことが
わかりました。

 「拝謁記」には1年余りにおよぶ検討の過程が克明に記されていて、昭和天皇は、(昭和27年1月11日)「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り、(昭和27年2月20日)「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」などと述べ、反省の言葉に強く
こだわり続けました。

削除された戦争への悔恨
 当時の日本は、復興が進む中で、昭和天皇の退位問題も
くすぶっていました。

 田島長官から意見を求められた吉田総理大臣が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対し、昭和天皇が戦争への悔恨を込めた一節がすべて削除されたことが
わかりました。

 昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べますが、最後は憲法で定められた「象徴」として総理大臣の意見に
従いました。

 吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を
表した部分でした。

専門家
「現代生きる者にも重い記録」
 「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「戦争を回顧し、重要な局面でなぜミスをしてしまったのか、繰り返し考え話す中で、独立回復の際のおことばにも、やはり反省を盛り込みたいという気持ちが強くなっていったのだろう」と述べました。

 そのうえで、「新憲法ができてから初めて、ある程度踏み込んだ発言ができるかもしれないチャンスが講和条約発効のおことばだった。反省なりおわびをして、どこかで戦争の問題にけりをつけたいということが出発点であり、一番の動機だというのははっきりしている」と
指摘しました。

 さらに、「象徴天皇としてどういう振る舞い方をするかということを学習した過程でもあるだろうが、昭和天皇個人にとっては苦渋の過程というか、今後ずっとこうやっていかなきゃいけないのかということを認識させられた苦い思い出の方が大きかったのではないか。その後、記者会見で、肝心なことは『言えない』で通したことが、このときの苦渋の思いを引きずっていたことの表れなのだと思う。そういう意味で昭和天皇にとって、とても重い体験だったのではないか」と
述べました。

 また、「拝謁記に出てくることは全部、結局は日本が無謀な戦争を起こして負けてしまったことにつながる。天皇のあり方が戦前の主権者から象徴へと変わったのも、政治関与を厳しく制限する規定ができたのも、敗戦がきっかけで、しかも形式的な責任者は昭和天皇本人だった」と
話しました。

 そして、「拝謁記は、昭和の戦争というものは現代に生きるわれわれにまでいろいろな意味で重くのしかかっているということを改めて認識させる記録、忘れてはいけないということを語りかけてくれている記録ではないか」
と話しました。

 さらに、独立回復を祝う式典でのおことばについて、「昭和天皇は田島長官を通じて昭和23年の東京裁判の判決の際に、マッカーサー元帥に手紙で退位しないことを伝えていたが、これは当時公になっていないので、昭和天皇が自ら退位を否定した発言は、昭和27年の独立回復のときのおことばしかない。最終的に留位を決心していく状況や、そこに至る昭和天皇の気持ちや心の揺れはまったく表に出ておらず、これまでは断片的な資料から推測していたが、今回の拝謁記で初めてそれが詳細に手に取るようにわかった」
と話しました。

 また、おことばから戦争への深い悔恨を示す一節が削除されたことについて、「あのおことばが出る過程で、こんなにも長い期間いろいろな議論をしてあの形に落ち着いたということは、今回の拝謁記で初めてわかったことだ」
と述べました。

 そのうえで、「このときは、占領が終わって独立を回復するという1つの大きな区切りで、昭和天皇は占領下と違って自分が言いたいことがかなり制約なく言える可能性がある時期だと考えていたのだと思う。一方、田島の側からするとこのときが初めての例になるので、象徴天皇制が国民に受け入れられるためにはどこまで政治的な発言が許されて、どこまでが許されないのか、初めて決めなくてはならない局面だったのだろう」
と指摘しました。

 そして、「長い期間複雑なやりとりを重ねた末、最終的にあまり天皇の意向を表に出さないメッセージになってしまったが、そこに落ち着くまでに複雑なやりとりや議論があったということがよくわかる。とりあえず憲法で決められた象徴天皇制が、具体的にはどういう形になるかというのが、このおことばの検討過程で決まっていった。独立後の最初のメッセージがああいう形になったということが、天皇の政治的な発言がどこまで許されるのかの基準になった面があると思う」
と話しました。

専門家
「発言をほぼそのまま記録 非常に珍しい」
 日本の近現代政治史が専門で、一橋大学の吉田裕特任教授は「昭和天皇の肉声の記録は『昭和天皇独白録』のような、形を整えるために後から手を入れたものが多いので、発言をほぼそのまま記録しているというのは非常に珍しい」
と指摘しました。

 そして、「昭和天皇と側近の内輪のやりとりが非常に克明にかなりまとまった形で残されているという点で非常に重要な資料だ。昭和天皇の肉声が聞こえてくるし、天皇自身の考えの揺らぎみたいなものが伝わってくる」と話しました。
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(以下はタイトルのみ)

昭和天皇 拝謁記「国民が退位希望するなら躊躇せぬ」
2019年8月17日 3時57分 NHK
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昭和天皇 拝謁記「象徴天皇」初期の模索明らかに
2019年8月17日 19時07分 NHK
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昭和天皇 拝謁記 国民の目を気にする姿も克明に
2019年8月18日 6時55分 NHK
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昭和天皇 拝謁記 旧軍否定も再軍備や憲法改正に言及
2019年8月18日 19時09分 NHK
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昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す
2019年8月19日 4時01分 NHK
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昭和天皇 「拝謁記」親心うかがえる記述も
2019年8月19日 18時54分 NHK
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 天皇陛下のお立場は戦前とは大きく異なることを考えれば、陛下の
非公式の政治的発言を安易に取り扱いうことは、厳に慎まなければなりません。陛下は開戦前夜から敗戦に至までのすべての情報を把握されているわけではないし、そのご発言が政治に影響を及ぼすことは、厳に避けなければなりません。

 そのような視点で考えると、公務員である宮内庁長官が、職務上知り得た秘密事項を、
私物化して秘匿し、その遺族が政府にではなく、NHKに提供するというのは、公務員倫理として許されることなのでしょうか。これが不問とされる事態となれば、公務員の情報管理上ゆゆしき事態と言わなければなりません。

 それらの問題点を別にしても、報道機関としてのNHKが為すべき事は、重要なニュースであれば、まず、その
全文を明らかにすることであり、自分の(特定の専門家の)意見を公表することではないはずです。
 特定の複数の専門家の意見を聞いて、その意見と合わせて資料発見を報じることは、客観的に報じるべき事に、
色を付けて報じることに等しく、NHKのしたことは情報操作に当たります。

 そして、このNHKの報道の数日後の8月20日の
読売新聞は、「昭和天皇、再軍備や憲法改正言及…会話記録公開」という見出しの記事と、「戦争 反省と後悔の念…昭和天皇 講和締結後の退位言及」と言う見出し記事の二つの記事で、次のように報じていました。
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昭和天皇、再軍備や憲法改正言及…会話記録公開
2019/08/20 07:28  読売

 戦後、初代宮内庁長官を務めた田島道治氏が昭和天皇とのやりとりを記録した
資料が19日、公開された。昭和天皇が1952年5月の日本の独立回復を祝う式典で先の大戦に対する反省を表明しようとしたり、再軍備や憲法改正の必要性に言及したりしていた記録が残されていた。

 資料は、1949年2月から53年12月までに書かれた田島氏の
手帳ノートの計18冊。遺族から提供を受けたNHKが資料の一部を公表した。

(以下略)
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戦争 反省と後悔の念…昭和天皇 講和締結後の退位言及
2019/08/20 05:00  読売

 19日公表された田島道治・初代宮内庁長官の資料には、戦後の昭和天皇の生々しい肉声が残されていた。戦争に突き進んだ軍部への不信や自らの反省に言及したほか、退位の可能性も漏らしていた。
資料の正確性は今後の検証に委ねられるが、分析した専門家は「昭和天皇の発言が多数記録されており、昭和史研究の貴重な史料となる」としている。

(中略)

研究へ
広く公開

 原武史・放送大教授(日本政治思想史)の話「田島道治の日記や文書の一部はすでに明らかにされており、独立回復を祝う式典で昭和天皇が謝罪の気持ちを表明しようとしたが、吉田茂首相の判断で削除されたことは知られていた。ただ、昭和天皇の具体的な発言が書かれているとされ、
多くの研究者が研究に活用できるよう広く公開してほしい
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 この記事は、NHKが多くのマスコミ・評論家の期待に反し、入手した資料の
全文を公開せず、一部を小出しにしながら、一部の評論家の意見を中心にした記事に仕立て上げて連載していることが分かります。

 論評は学者・評論家のすることです。そして、その評論活動は、多くの様々な意見を持つ評論家に対して、
偏りなく情報が提供される環境下で行われなければなりません。

 NHKが論評を報じるのであれば、その前にこの
資料が多くの学者・評論家の目に触れていることが必要です。NHKの知り合いの評論家だけが、この資料に接する機会があって、それ以外の評論家はその機会がないと言うのは、学問・論評の機会が不公平であり、NHKがそうすることの動機が不純である疑いが濃厚です。いやしくも“公共放送”を自称する放送局のする事ではありません。

 また、公務員倫理、天皇の政治不介入の観点からも問題があり、
「天皇の政治利用」とも言われかねない、問題の多い報道姿勢と言わざるを得ません。

令和元年8月22日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ