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鄭大均教授に失望

 6月19日の産経新聞コラム「斜断機」で、鄭大均東京都立大学教授が「在日韓国人は帰化を」と書いているのを読みました。私は鄭大均教授の著作「日韓のパラレリズム」を読んだことがあり、教授のことを、韓国人の中では冷静かつ、理性的にものを考えている人だと思っていましたが、このコラムを見てがっかりしました。結局他の在日韓国人と言っていることは大差ないと思いました。

 教授は「第一に今日の在日に広く見られるのは、外国籍を持ちながらも外国人意識に欠けるということである・・・」といっていますが、日本人から見ればとてもそうは思えません。在日韓国人(居留)民団を組織して活動をしている人が、どうして外国人意識が欠けると言えるのでしょうか。日本国籍を取得することに抵抗のある人が、「外国人意識に欠ける」というのはおかしいと思います。在日韓国人は強固な外国人意識の持ち主だと思います。

 「日本国籍を取得してこの社会のフルメンバーとして生きていけばよいのであり、そのために必要なら、国籍選択権を主張し、帰化手続きの弊を主張すればいいのである」といっていますが、国籍選択権とは何のことでしょうか。韓国人には何か特権があると思っているのでしょうか。また、帰化手続きの弊とは何のことでしょうか。具体的に指摘をすべきであると思います。

 日本人としては、国籍を安易に考えてもらいたくありません。本籍地が遠くて不便だからといって本籍を移したり、住民票を移すのとは訳が違うのです。自分が韓国人なのか、日本人なのかという問題です。自分は韓国人だが、生活上不便だから日本国籍を取得するという人は、決して日本人の社会に受け入れられることはないでしょう。アメリカでは市民権を取るときは、「私は、私がかつて市民であった国への忠誠と連帯を断念し、放棄することをここに宣誓します」と誓約することを求められます。在日韓国人はそのような誓約ができるのでしょうか。日本と韓国は隣接し利害の反することが少なくありません。もし、日韓が戦争になったときに、教授の言う「コリア系日本人」は祖国日本のために韓国と戦う覚悟があるのでしょうか。

 教授はさらに、「第三に、在日の日本国籍取得は日本社会の多元化への準備としても好ましい。少子化や高齢化が進行する日本は今や外国からの人材や労働力を積極的に受容していい時期に来ている。・・・コリア系日本人の誕生は日本社会の多元化のとっかかりになるであろう」、といっていますが、自分たちの利益のための主張を、あたかも日本のためであるという言い方をするのは、韓国人特有の言い方です。在日韓国人の権利の主張を「日本の国際化のために必要」というのは韓国人の決まり文句です。「多元化」とは何なのでしょうか。外国人労働者が増えるのが多元化なのでしょうか。多元化は日本人にとって、日本にとって好ましいことなのでしようか。それは日本人が判断することです。「多元化」と言う言葉は、在韓華僑を排斥し、日本文化を未だに屁理屈をつけて閉め出している韓国人の言うことではありません。

 ヨーロッパ諸国で外国人労働者が増えたことを、多元化したといって喜んでいる国があるでしょうか。ドイツ人はトルコ人が増えたことを、「多元化」として歓迎しているでしょうか。多民族が入り交じっていたユーゴスラビアは、「多元化」してうまくいっていたのでしょうか。人間は決して「労働者」や「労働力」ではありません。外国人の問題は単なる労働問題では済まないと言うことは、「在日韓国人」の存在が何よりも明確に日本人に教えてくれています。日本が直面している少子化の問題を口実にしているのは実に狡猾で、悪質な言い方です。

 教授は最後に、「コリア系日本人の誕生は日本社会の多元化のとっかかりになるであろう・・・。それは日本を変えると同時にアジアや世界を変える契機になろう」と結んでいますが、在日韓国人が帰化すると、どうして「アジアや世界を変える契機になる」のでしょうか。甚だしい論理の飛躍であり、誇大妄想であると思います。

平成11年6月22日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ