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在日韓国人の特異な民族性

 「現代コリア」のホームページで「在米退屈男通信」を読みました。その中の「米国での指紋押捺」(1997.10.16)の一番最後に書いてある「外国人として住んでいる国で、その国を国際常識を越えて批判し続けることが怖くないのだろうか」という点について、私は次のように考えます。

 在日韓国人、朝鮮人が日本国内で「反日」を続けていられるのは、日本人の怒りが何者かに押さえつけられていて、決して国民感情として表面にでないからだと思います。押さえつけているのはマスコミです。そして、もう一つの理由は彼らのほとんどが日本人名を名乗っていて、日本人にとって怒りをぶつける具体的な個人としての、相手の姿が見えないからです。唯一の例外は、チマ・チョゴリの朝鮮学校の女子学生です。彼女らは怖いと思うことがあると思います。しかし表面に出なくても多くの日本人は心の中で怒っています。在日がいつまでも日本人名を名乗り、本名を名乗らないのは日本人の怒りを恐れているからだと思います。それ以外に理由は考えられません。在日が日本名を使うことを禁止すれば、彼らの表立った反日的言動はかなり減ると思います。

 在日韓国人、朝鮮人は日本人の怒りを「差別」だと思いこんでいるようですが、差別ではありません。差別とは正当な理由もなく人を嫌うことだと思いますが、日本人が在日を嫌う理由はいくらでもあります。現在の在日の反日的言動はもちろん、敗戦後の占領期間中、在日朝鮮人が言ったこと、したことを日本人は忘れてはいません。韓国政府が竹島を武力で占拠したこと、李承晩ラインを引いて日本漁船を拿捕したことも忘れてはいません。決して少なくない日本人は、在日朝鮮人が現在も組織的に巨額の脱税をして、それによって得た金を本国に送金していると確信しています。知らないふり、忘れたふりをしているのは日本のマスコミだけです。

 “従軍慰安婦”の問題も経緯をたどれば、日本のマスコミが作った問題であることが分かります。当時の宮沢訪韓が成功することを阻止すべく、キャンペーンが張られたことは明かです。彼らはなぜこのような反日の道を走るのでしょうか。それは日韓が和解しては困るからなのです。韓国人はいつまでも反日であってくれないと都合が悪いのです。間違っても日本の植民地支配が見直されるようなことがあっては困るのです。それは、あちこちでほころびの出てきた、戦後体制、占領体制の見直しにつながりかねないからです。彼らは戦後体制、占領体制の維持に躍起となっているのです。

 現在のマスコミは占領期間中、占領軍の徹底した検閲の下に、反政府、反日を日本国民に浸透させる役割を担う「手先」として生きることを余儀なくされました。その間は朝鮮人を含むいっさいの外国人に対する批判が禁止されていました(詳しくは江藤淳著 『戦後日本の言語空間』参照)。日本の植民地支配を全面的に否定して、日韓両国を反目させることもアメリカの重要な政策の一つでした。

 そして占領終了後も、新聞社は自分たちの権威が傷つくことを恐れてか、あるいは自身も洗脳されてか、占領期間中の国民に対する背信行為を告白せず、占領軍なきあとも占領軍に代わって、日本国民が洗脳から目覚めるのを妨げる役割を担い続けました。それを可能にしたのは、一つには日本の新聞業界の競争制限的体質があります。戦後体制の見直しや反省は彼ら自身の存立を危うくするだけでなく、彼らの戦後の反日行動が批判の矢面に立たされるおそれがあるのです。

 現在、在日韓国人が日本で様々な問題を引き起こす原因の第一は、日本の反日ジャーナリズム、第二には、他のどこの外国人よりも同化しているくせに、面子(韓国人は自尊心という言葉をよく使っています)が潰れると思ってか、それを認めようとしない韓国人の特異な民族性が挙げられると思います。

平成10年5月23日     ご意見・ご感想は   こちらへ      トップへ戻る      D目次へ