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参院選挙で過疎地で定員1名を確保できない2県を、合区(合県)とするのは必要で有意義
5月3日(憲法記念日)の読売新聞社説は、「地方の声軽視するのか」と言うタイトルで、次の様に論じていました。(茶色字は記事、黒字は安藤の意見)
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社説 憲法記念日 世界の激動踏まえ議論深めよ
2026/05/03 05:00 読売
(中略)
地方の声軽視するのか
地方の人口流出が続けば、今後も地方選出議員を減らさざるを得ない。人口比に応じて選挙区を定めることが本当に正しいのか。
人口比で無ければ、何を基準にするのでしょうか。
選挙区の“面積”でしょうか。主権者は人間(国民)では無く、土地なのでしょうか?。
そうすれば北海道(国土面積の22%)は、定数が100人で、東京(同0.29%)は3人ぐらいでしょうか。排他的経済水域は含めないのでしょうか。
参院憲法審査会は、憲法で参院議員を「地方代表」と位置づけて、合区を解消する案を議論している。各県から少なくとも1人の議員を選出する根拠を作り、人口を基準にした投票価値の平等を問われにくくする狙いがある。
「地方代表」とは、「選出」するのは誰がするのでしょうか、地元の選挙区の有権者ではないのでしょうか。「地方代表」とは、「地方」が選ぶとでもいいたいのでしょうか。「問われにくくする」とありますが、そんな誤魔化しは通用しません。民主主義の選挙に於いて主権者は国民です。
地方を重視する観点からも、参院議員を地方代表にするのは一案だ。過疎地を含め、地域の一体性を増すことにもなろう。
その「観点」は国民共通の「多数の」観点ではありません。
「参院議員を地方代表」とすると、「衆院議員」はどういう位置付けになるのでしょうか。国会議員が「地方重視」で良いのでしょうか。
憲法は、選挙に関する事項は「法律でこれを定める」とし、国会の裁量に委ねている。司法が選挙区の調整について合憲・違憲の視点から、国会に注文をつけることには違和感を拭えない。
この問題は「選挙区の調整」問題ではなく、「一票の価値、定数の不平等」の問題です。論点の「すり替え」は卑劣です。
憲法が「法律で定める」であっても、「法律で何を決めても(例えば県外に居住する地元出身者に投票権を認定しても)」許されるという事にはなりません。
(以下略)
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全国各地で市町村の合併・統合は平穏に行われています、市町村の合併・統合は必要・有益だが、都道府県の合併・統合(選挙区の合区)は受け入れないというのは、一貫性の無い主張です。単なるエゴに過ぎません。
日本は連邦国家ではありません。都道府県は単なる自治体の区分に過ぎません。
過疎地域が不満であれば、引っ越せば良いのです。住居移転の自由は保証されています。
過疎地に住み続けるのは自由ですが、多くの人が移転している中で、残った人達の為に、その費用の負担を求めるのは筋違いというものです。
「生まれ故郷に住み続ける権利」などというものは無いのです(義務もありません)。
有権者数と選挙区の議員定数は比例して定められなければなりません。それは民主主義の根幹です。
その根幹を維持できないほどに人口減少が進んだのであれば、合区はやむを得ません。
「各県から少なくとも一人」が必要というなら、「合区」と同時に「合県」を実施すれば良いのです。
市町村の合併・統合は合理化のために普通に実施されています。「市町村」なら良くて、「都道府県は不可」は通用しません。合区がダメなら、合わせて合県すれば良いのです。
今時、「社説」などを読む読者はゼロに近いと思いますが、どうせ誰も見ないだろうから、何を書いても構わないという姿勢は改めるべきです。それが出来ないのなら、社説は廃止すべきです。
令和8年5月4日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ