KCN-Netpressアーカイブス

もの創りの心と手

寧楽友禅  橋爪公志さん
移ろう自然のたたずまいや風景を着物にとどめて


絵が好きで好きで


正暦寺への道から少し入った静かな林に囲まれた工房

 小さい頃から絵を見るのも描くのも好きだった橋爪さんは、中学生の頃、油絵に夢中だったそうです。絵画の作品はもとより、映画館の看板、着物など絵が描いてあれば何でも見入っていたという橋爪さんは、ある時、着物の本を見て心を奪われました。それは、加賀友禅作家の故毎田仁郎さんの作品集でした。18歳だった橋爪さんは、弟子になりたいと誰の紹介もなく、飛び込んでいきました。


筆筒に立つ大小さまざまの筆に橋爪さんは思いを乗せて描く

 

「紹介が無くては入れない世界だったんですが、作風が好きでしたからどうしても弟子になりたかったんです。今から思えば、先生も困っていらしたんでしょうね、なかなか返事がもらえませんでした。


顔彩で思い通りの色を作りながら差していく

ようやく住み込みの許可が出た時は嬉しかったですよ。朝は6時30分から掃除で友禅流しや雑用をして、夜は本の模写 、筆遣い、色の出し方などを自分で勉強するんです。夜12時まではやっていましたね。
週に2回位は夜中の3時から朝7時まで川での友禅流しをするんです。今はもう川ではできませんが、当時は生活排水の流れない夜中は流せました」

金沢の冬は厳しく、雪の降り積もる早朝のしかも凍るような川での流しは、想像するだけでも大変です。自分で選んだ好きな道だからこそ乗り越えられたのでしょう。7年間の住み込みを経て独立したのが25歳の時でした。

加賀でも京都でもない奈良の友禅


神経を集中させて描く橋爪さんの目は文様や色のやさしさとうらはらに厳しい

 熊野市出身の橋爪さんは、同じ工房で知り合った女性と結婚、奥様の故郷奈良で独立のスタートを切りました。同じように友禅の道を目指していた奥様は、橋爪さんの腕を見てご自身は筆を折り、サポート役になろうと思ったそうです。
「友禅はいろんな工程があってどれも気を抜けません。ロール紙に描いた下絵を白生地に写 すのは、ガラスの机に置いて下から光を当てながら青花(露草の青)で描くという精密で根気の要る仕事なんですが、それは家内が受け持ってくれます。二人で協力できるというのは助かりますよ。アドバイスも的確だし、作品の名前もいろいろ考えてくれるんです」

独立した当初は金沢の問屋からの仕事が主でしたが、次第にファンも増え、ギャラリーで展示する方法をとりました。
「問屋の仕事をしていると収入は安定はするでしょうが、同じ柄を何十枚も描くことになるんです。僕は着てくださる方を思い浮かべながら描きたい。スケッチをして、構想を練って苦しいんだけどそういうことが結局は楽しいんですね」


訪問着「花精・水精」は、人物が好きという橋爪さんならではの愛らしい童が描かれた涼やかな作品

橋爪さんの着物は世界中にたった一つ。《紫野逍遙》という名の訪問着は、多武峰の秋景で、薄の原に赤とんぼが飛ぶ幻想的な絵柄。スケッチをしたり写 真集を見て構想を練っていくそうです。今井町を題材にした風景は、今井町を見て歩き、江戸時代に置き換えて図案を起こします。一幅の絵画を見るような、落ち着いた品のいい図柄なんですが、着物として纏うとなぜか不思議な存在感を漂わせます。着る人から「視線が痛いくらい」といわれるとか。
「上品で地色に合った色を差していきます。どの色も死なさずに、出来上がりをイメージしながら。今の時代に着物を着る人は通 の方です。良く知っておられるから作り甲斐がありますね。
図案的な京友禅、写実的な加賀友禅といわれますが、僕はどちらでもない奈良友禅を作っていきたいんです。寧楽友禅というのは日本画家の杉山寧さんが好きなので、その一字をいただきました。前春日大社の花山院宮司さんは寧楽友禅という文字を書いて下さったし、いろんな方の力添えで寧楽友禅も知られるようになりました」

9月の東京展の後、11月8日から13日まで奈良市水門町のギャラリー五風舎で展覧会が開かれます。


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