KCN-Netpressアーカイブス

もの創りの心と手

筆は使い手によって良し悪しが決められる
筆職人 鈴木一朗 さん


修行時代

 筆の歴史は古く、中国秦の時代まで遡ります。始皇帝(紀元前221〜207)に仕えていた武将・蒙恬(もうてん)が兎毫、竹菅の筆を作って献上したのが始まりとか。日本には6世紀頃伝えられ、竹簡や木簡、写経などに使われ、7世紀には飛鳥でも作られていたようです。9世紀になると、空海がもっと進んだ筆の製法を中国から伝え、大和の今井の筆匠・坂名井清川に技法を伝え、嵯峨天皇に献上したことが記録に残ります。奈良は日本の筆発祥の地。正倉院御物の中にも筆は伝えられ、千年の時を超えて当時の筆を見、その筆で書かれた文字を見ることができるなんて、考えると何と幸せなことでしょう。

 15歳の時から40年余り、筆一筋の鈴木さんを名張郊外にある静かな工房に訪ねました。
「生まれ育ったのは奈良町で、物心ついた時から筆中心の生活だったんです。父は朝から僕らが寝る時まで作っていましたし、母も手伝っていました。15歳からは、父の横に座って見習いです。弟子入りでもしていたら順々に段階を追って教えてもらうんでしょうが、父はいきなり父のレベルで教えるんです。原料だって、技術は無いのにいいものを使いますから、緊張しました」


細かな作業に神経を集中

 父と子が一日向かい合っての仕事では、さまざまな葛藤もあるでしょうが、マニュアルでは伝えられない微妙な”感じ”はこうしてこそ伝わるのかも知れません。原料屋や問屋にも行かされたそうですが、ここでも多くのことを学んだのだとか。筆に使うのは、鹿、羊毛、馬、イタチ、リス、猫、テン、タヌキなどたくさんの種類です。同じイタチでも日本、韓国、モンゴルでは質が違います。季節や雌雄でも違うし、表か裏かでも違いますから、そこを見極める目が重要なのだそうです。
 「使い走りに行かされていたんですが、そこで教えてくれはるんです。それに見る目も養われたと思います。筆を作るために動物一頭が命を落としているんですから、いい加減にはできません」。

美術品ではなく消耗工芸品

 「弘法筆を選ばず」といいますが、書家や画家はやはり筆にこだわるようです。書家の話しによると、すぐに手になじむもに、なかなか言うことをきかないじゃじゃ馬のようなものなどさまざまだといいます。鈴木さんによると筆の良し悪しは原料、そして用途にかなった筆選びだそうです。その上で使い手が決めることだというのです。


奈良筆の伝統を今に伝える鈴木さん鈴木一朗

 「私は筆の職人ですから、使ってもらえる筆を作りたい。原料にこだわった高価なものも、普段に使うものも、何でも作れるようになりたいですね。ある時、お寺さんにお礼がしたいと思ったんですが、私にできるのは筆作りでしょ、それで、お寺の庭を剪定したときに切った桜や梅の枝を筆菅にしてあげたら、とても喜ばれました。本山にもあげたいと頼まれたりね」

筆一筋の人生はさまざまな人との交流を生みました。筆を通してエッセイスト、デザイナー、漆作家が集まり、お互いが触発されて企画展も開かれています。今、話題になっているのが紅筆。口紅を塗るときの筆です。ある工芸展に参加した時、女性スタッフにお礼をと考えてできたそうですが、その使い心地の良さが口から口へと広がって、昨年秋には東京で「うるしの紅筆」展も開かれました。軸には輪島、津軽、春慶、山中など各地の塗り、先端には象牙細工が施された美しく使いやすい一生物、いえ、母から娘へと手渡せるような、使うほどに味が出るような紅筆です。

  日々の暮らしから筆が遠くなっている時、鈴木さんの生き方仕事ぶりがひどく新鮮に映ります。書かせていただくと柔らかでこしがあって、すっと手になじみます。今度手紙を書く時、筆を使ってみようかしら。

プロフィール
1959年 父一二に師事
1979年 伝統工芸士認定
1995年 全国伝統的 工芸品展入賞
1998年 全国伝統的 工芸品展入選
1999年 全国伝統的 工芸品展入選
1999年 全国伝統的 工芸士展入賞
2000年 全国伝統的 工芸品展入賞
2000年 日本伝統  工芸士展入賞


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