KCN-Netpressアーカイブス

「さくら草は神社を中心に一年を廻ります。」

もの創りの心と手

祖父、父、子へと伝えられる古式風流、さくら草の宴
高鴨神社 宮司 鈴鹿義胤(すずかよしたね)さん


典雅を極める

 大和の桜が里から野へ、野から山へと咲き継ぎ、やがて葉桜を迎える頃、散った桜が名残を惜しんで咲き現れるさくら草は、まるで花の化身。

一茶が「わが国は草も桜を咲きにけり」と詠んでいるように、人々は足元にぷっくりと開く小さな五弁の花に桜の幻を見ているのでしょうか。純日本産の野の花は、北海道から九州にまで広く分布していたようです。

ことに荒川流域の浮間ヶ原や戸田ヶ谷は、自生するさくら草に覆われていたとか。江戸時代、その可憐で清楚な花が鷹狩りの武士や文人墨客の目にとまり、持ち帰って鉢植えにしたのがさくら草栽培のはじまりといいます。

やがて桜草の愛好家は、交配を重ねてかそけくも艶麗典雅な花を育て、手塩にかけた花を持ち寄っての闘花会がさかんに開かれるようになりました。寛文年間(1661〜1672)には栽培がはじまり、享保(1716〜1735)の頃になると八十八夜の花盛りに、連と呼ばれる愛好家グループによる花くらべが盛んに行われました。三百年の歴史の中で、様々な花作法が生まれ、古式にのっとっての段飾りや鉢も整えられて、さくら草の美意識も定められていきました。

高鴨神社のさくら草

 金剛山麓、高天が原伝説の 地は神さびた雰囲気が漂い、八百万の神々の物語が生まれたのも納得してしまいます。京都の上賀茂、下鴨神社はもちろん全国の鴨社本社であるという由緒正しい古社、高鴨神社は風の森峠、葛城古道を結ぶ道沿いに深閑として建っています。4月下旬、若葉が日々色を深める頃、境内には目もあやなさくら草が典雅な装いで並びます。このあえかな花に心血をそそいで育てるのは鈴鹿義胤宮司。

京都の上賀茂、下鴨はもちろん全国の「かも」神社の本社である高鴨神社

「鈴鹿家は京都の吉田神社の社家で曾祖父は一時明治天皇と共に東京へ行っていたようです。その時に祖父はさくら草を知って、京都に帰ってからも育てていたんですね。交友のあった勧修寺伯爵や樋口子爵がさくら草の愛好家で、関東へ転居される時に秘蔵の花を譲り受けているんです」


古式の作法で飾られるさくら草

 動植物には非凡な才能を持つ祖父は、広大な邸の庭をさくら草の舞台にしていったそうです。四百八十種、二千六百鉢を数えるさくら草の歴史のはじまり。

「日本人らしいたおやかで上品な美しさが花の魅力でしょうね。江戸時代に最盛期を迎えて、見事な品種も生まれ、黒鉢に六段飾り、小屋の間数も決められたようです。天保年間には『桜草作伝法』という本が出ています。花に付けられた名前も唐衣、狩衣、通小町など謡曲にちなむものも多いんですが、花の特徴と良く合っていて、うまいなぁと感心します」

伝えられる風雅の美


寒中、日々繰り返される植え換え作業。この手間がさくら草を咲かせる。

 祖父から父へ伝え継がれた花守の心と手は、父から子へと引き継がれます。父鈴鹿冬三さんが高鴨神社へ奉職の時は、5年がかりで二千鉢を超えるさくら草を京都吉田から移したのだそうです。日本の生きた文化財ともいえるさくら草はこの風土にもすっかりなじんで、毎年ため息がでるほどの咲きぶりです。お正月の忙しさが一段落すると、ひと鉢ずつ丁寧に芽分けをします。日を当てる時、遮る時、肥料、水やりと一年はさくら草を中心にまわっていきます。そして花時、吟味し、最も美麗に咲いた幾鉢かが選ばれて境内の段飾りへ並べられます。とりどりの花姿、色、高さを揃え、古式のままの作法が美を極めます。

 「植え替えをしていて不思議なのは、同じ芽なのに咲くと微妙に違うんです。昔からの花を色あせずに次ぎの世代に残していきたいですね。そして、花を見た人がほっとしてくださったら、何よりうれしい」  例年になく寒い冬を越した今年のさくら草、どんな花を見せてくれるのでしょう。 楽しみなことです。

さくら草は4月20日頃から5月5日頃まで展示。ポット苗の分譲もあります。(有料)


神話が息づく葛城山麓に鎮もる高鴨神社

高鴨神社


奈良県御所市大字鴨神 TEL 0745-66-0609
近鉄御所駅から奈良交通バス五条バスセンター行き15分
風の森下車、徒歩15分高鴨神社



もの創りの心と手メニューページ / TOPページ