父の形見の大島
箪笥に眠っていた着物地で作った服を着たお洒落な女性を時折見かけます。華やいだ集まりでも、紋付きの紋を上手に生かしたワンピースがひときわ目立っていたり、駅のホームでは、紬の絣をコートに仕立てて、軽やかに羽織っていたり。人によるのでしょうか、それともデザインなのか、一歩間違うと野暮ったくにもなる着物地の服は成功すると、とびきりお洒落な一着になるから不思議です。古い着物地に惹かれ、素敵な洋服に仕立てる村上さんの仕事は、ひと手間を惜しまぬ工夫と着心地の良さが身上。毎年開かれる個展は、首を長くして待つ人で賑わいます。
東京でテーラーだった家で育った村上さんは、仕事場の一角に勉強机を置き、勉強もおやつもそこで。父や職人さん、手伝っている母の姿を見ながら育ったそうです。戦後、まだ物の無い時代に、見本帳として来る舶来の紳士服地の小さな端切れは布団に、裏地を合わせて傘を作ってくれた母の手仕事が心に残っているそうです。
「ぞうり袋でも、ブレザーでも上等の布を工夫して作ってくれていたんです。私自身は洋裁学校に行ったわけでもないんですが、そんな家の雰囲気が影響しているのかも知れませんね」
村上さんが着物地で服を作ったのは十数年前、亡くなった父の形見分けにと大島紬のアンサンブルを手にした時。 「本当は主人にということだったんですが、日頃着る機会ってないでしょう、自分のコートを作ろうかしらと思ったの。少し習っただけの洋裁だったけど、手仕事が好きだったのかしら、いろいろ工夫しながら作って着ていると、どこで手に入れたのなんてお友達にほめられて、とっても嬉しかったんです」
時折作っては着て楽しんでいた村上さんの服に、知り合いのギャラリーが注目、少し置いてみたらと勧められたそうです。藍染布の服は置くとすぐに売れていきました。ギャラリーの注文を受けての服作りも次第に忙しくなり、5年ほど経った頃には無理もあったのでしょうか、体調を崩し、その上引っ越しもあって、しばらく休憩してしまいました。
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