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かつえ坂
第10話 持経宿から玉置山へ
お礼で出発の写真
お礼で出発
西行歌碑の写真
西行歌碑
持経宿
南奥駈道は、明治時代の廃仏毀釈や修験道禁止令などの影響で修行者が少なくなり、道も荒れていたそうです。その道を開き、持経宿の建設に力を尽くしたのが奥駈葉衣会の前田勇一さんだったそうです。昭和59年(1979)に建設されたのが持経小屋です。行仙小屋には前田さんの写真が飾られているとか。20〜30人が泊まれる宿には囲炉裏が2つあり、訪れる人を迎えます。長い歴史の中で奥駈道もさまざまな困難がありながら、世界遺産に登録されるまでになったというのは、多くの人々の山と修行に寄せる思いがあればこそだったのですね。
 このあたりには千年のヒノキやブナ、ミズナラなどの大木が天を突くように育っています。大木は神様が宿ると信じられ、注連縄が張られているのです。一木一草にも神が宿る、山が法体という古くからの信仰は、大事にしたいものです。
平治の宿
 桜をこよなく愛した西行は吉野の奥千本に3年間住みましたが、奥駈も二度行っています。山家集にはこの時に詠んだ歌が残されています。
平治の宿の歌

ささの宿にて
ささの宿の歌
と書かれています。
 西行が訪れた時の風景はどうだったのでしょう。山中で眺めた月はよほど美しかったのか、無常感をそそったのか。でも、体力の限りを尽くしての奥駈で歌を詠むというのは、すごいことだと思います。
頭上注意
転法輪岳
 1281mの転法輪岳はピークの手前の岩まで急な登りで山頂には釈迦説法の座石があるそうです。やはり、ここは宗教の山なのです。鎖を頼りに上ると1251mの倶利伽羅岳。険しい山道をひたすら歩くと行仙岳のアンテナが見えるとか。この間は季節によって石楠花が咲き続く見事な風景になります。行仙小屋には聖護院によって奉納された役行者と実利行者が祀られています。小屋を越えると聖宝理源大師が大蛇を退治して、道を開いたという伝説のから池と呼ばれる窪地があります。ここから長い登り道に笠捨山への横駈道(廃道)の分岐があり、その上には大峰八大金剛童子、笠捨山山頂には金剛童子が祀られています。
行仙岳から笠捨山への道もなかなか大変そうです。笠捨山という名前は行者がここから振り返って、あまりの風景の美しさに笠を投げたところから付けられたという説もあるほど、素晴らしい展望です。
怒田の宿法話
貝吹金剛(貝吹野)
槍ヶ岳
 十津川村上葛川に下る分岐、葛川辻を経て槍ヶ岳へ。ここから地蔵岳へは難所として知られています。地蔵岳の山頂の真下には地蔵尊が安置されているそうです。四阿宿、現在池は見当たらないが竜王が棲む池があったという菊ヶ池、をへて拝み返しへ。拝み返しとは熊野からの順峰で奥駈修行する時、熊野へ向かって拝み返すところからの名付けです。ここから民宿うらしまへと向かい、ほっとするひとときです。
そして明治時代の水害で流失した古屋宿、如意宝珠埋納したと伝える如意宝珠岳へ。

玉石社
岩の口
岩の口は蜘蛛の口とも呼ばれますが、蜘蛛の岩と呼ばれる巨岩が道の脇にあるからだとか。名前がゆかしい花折塚かつえ坂宝冠の森を過ぎるといよいよ玉置神社。

玉置神社
 玉置神社は明治の廃仏毀釈以前、玉置三所権現と呼ばれ、別当高牟婁院を中心に十数坊の塔頭が建ち並ぶ聖護院末玉置修験の拠点でした。明治時代に多くの修験僧は還俗させられ、高牟婁院は廃寺となり、現在は玉置神社となっています。社殿周辺は樹齢3000年という神代杉をはじめ、数百本もの杉巨木が茂り、原始の姿をとどめています。玉石社には囲いの中に白い玉石が敷き詰められた小さな社です。人々がひとつずつ運んできたと伝えられ、信仰の篤さを物語っています。
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大峯奥駈道を行く 「第10回 持経宿から玉置神社へ」
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