「暗やみですすり泣く」
 マージョリー・ゴードンのX線ヴィジョン

デビッド・マクローリン(ノース&サウス)

199411

 

 

 80年代始め、X線技師(病院や診療所でX線写真をとる技師。大半が女性)が、さまざまの複雑な症状を訴えるようになった。余りに重症で、職業をあきらめざるを得ない人もいたほどである。

 最初にこの不思議な病気にかかった患者の一人がマージョリー・ゴードン( ホロフエヌア在住X線技師)で、この症状は「暗室病」と呼ばれるが、その名付け親がゴードンである。彼女の必死の調査により、症状は最終的にX線フィルムを現像するさいに使われる化学物質であるグルタルアルデヒドが原因であると突き止められた。

 グルタルアルデヒドは、1967年に高速自動現像機の導入とともに使用され始めたが、ゴードンは現像液に入れられるグルタルアルデヒドの量が80年になって飛躍的に増えたことに気がついた。X線技師たちに症状が出たのは、その時以来だったのである。

 ゴードンは国内、海外の同僚たちに危険性を警告、自動現像処理機から出る蒸気からどうして身を守るべきかをたゆまず訴えつづけた。

 ニュージーランドに住むすべてのX線技師たちが危険性に気がつき始めて何年も経過したあとでも、異常なことに、次々に倒れていく人がいた。さらに異常なことには、グルタルアルデヒドを含まない現像液の大事な実験さえ、やっと今初めて行われるようになったばかりなのである。
 まさに驚くべきことは、証拠はヤマほどあるにもかかわらず、健康の専門家の中に、いまだに問題があることさえ疑っている人がいることである。

 

 

 1982年、マージョリー・ゴードンは耳にひどいショックを感じ始めた。気が狂うほどのひどい耳鳴りである。続いて、焼けるようなのどの痛みを感じ、しゃがれ声になった。体も徐々に弱っていく。この年の4月に最初の孫が産まれたのに、9月には体力が弱って、孫を抱くことさえできなくなった。

 症状はこれだけでなく、1分間に170回もの心拍で一晩中寝られないほどの不整脈も患っていた。心臓病の医師は神経の緊張から来るものと診断した。耳鼻咽喉科の専門医は耳鳴り、のどの痛みの原因がつかめなかった。

 ノース・アイランドの海岸の町、オタキにある私立の診療所でX線技師として働くゴードンは仕事が好きだった。オタキは首都ウェリントンの北75キロ、レビンの南20キロに位置していた。しかし、症状が悪化するにつれ、救急病棟へ運ばれるようになった。ある日の午後、数日間の休みをとった後だったが、診療所で耳鳴りと激しい動悸に襲われた。

 診療所のGP(診療医)の一人がのどを診察してくれて、細胞膜が張れている、ヘビースモーカーによく見られる症状だと言った。しかし、本人はスモーカーではない。「あなたは有害な物質の中で働いているんじゃないか」と、そのGPが言った。「実はそうじゃないかと私も思っていたの」とゴードンは答えた。

 ゴードンは3週間の休暇をとって、ベイオブ・アイランズで過ごした。症状は落ち着き、気分もよくなったので、心臓科医の次回予約をキャンセルしたほどだった。医者はこの患者を入院させ、強力かつ有害な薬「ダイゴシン」を飲ませようとしていたのだが、ゴードンは入院もその薬もご免だった。

 ゴードンが職場に戻った途端に症状はすぐに再発した。先の心臓科医は有害化学物質による反応と診断した。でも、一体どの化学物質が原因なのか。1947年にウェリントン病院でX線技師のトレーニングを受けて以来、周囲は化学物質だらけ。とくにX線フィルムを現像するために使う化学物質が無数にあった。当初は現像処理を面倒でも手でやっていた。自動現像機はわずか3分間で済むし、手を汚す作業はしなくて済むのだが、登場したのは1967年になってからである。67年と言えば、ゴードンが4人の子供を育て上げるため技師を15年間やめ、その後オタキで職場復帰した年だった。その年になっても、1980年まで彼女は現像を手で処理していた。すでにその年に診療所は先端技術を駆使した自動現像機を入手していた、というのに。

 新しい現像機は、化学物質との直接の接触を減らすためのものだが、熱風による乾燥機の排出用換気扇が戸外に出ていなかった。と言うより、彼女の顔めがけて吹きつけていた。それが問題だと気づく人は、だれもいなかった。

 「私がトレーニングを受けている間に、化学物質というものが危険だということを、だれ一人指摘してくれませんでした」とゴードンは振り返る。「もちろん、X線が危険だということは1908年以来、常識でした。私たちは放射性物質のため、連続4週間の休暇を取らされたものでした。私たちの浴びた量を測るためのフィルム・バッジの着用も義務付けられました。いつも疲れやすく、その原因は放射性物質だと言われてまいしたが、だれかのバッジが露出過剰を示していたなどというケースは知りません。私は今では、化学物質のせいだと確信しています」

 化学物質という犯人が、X線フィルム自体の感光乳剤の中にいるか、フィルム処理の第一段階で使われる現像液の中にいるか、フィルムの像を定着させる第二段階の定着液の中にいるか、どれかであると考えられた。これら3つの物質はもちろんラベルが張られているが、ラベルには化学成分を明記していない。ゴードンはこれらに何が含まれているか知る由もなく、発見する最良の方法はこれらを製造した工場、つまりベルギーのアントワープにある「アグファ・ゲバート」を訪ねることだと判断した。

 ゴードンのX線関係の職場では、蒸気を吸い出すための換気扇がついていた。1983年の5月に、3か月の個人的な旅行のためにヨーロッパに向かうが、それまで数か月、歯を食い縛って働いた。そのとき彼女は、まさかこれが現在までずっと続く一種の十字軍運動に参加することになろうとか、彼女が国際的に認知されたX線技師の健康問題に関する専門家になる旅の発端になろうとは、思いもしなかった。

 まず最初に出掛けたのはイギリスだった。「英国エックス線学会・大学会議」に出席して、自分の経験を述べた。アレルギー反応のため暗室の近くにさえ近付けない多くのX線技師のケースも聴かされた。ここで「X線ニュース」という雑誌の編集長から記事を依頼されたので、アントワープに向かうまでに書き上げた。

 「アグファ・ゲバート」工場では、主任クラスの化学者に引き会わされた。「私はその人たちに、あなた方は自分たちの化学物質にラベルさえ張らないんですね、と言ったんです。ちっとも私たちに危険性を警告していないじゃありませんか、と。すると、その人たちは、含まれている化学物質をみな明記したリストを渡してくれました。それに安全性に関するあらゆる警告文書もです。それがどんなに危険なものか、とても信じられませんでした。その中のチーフが言うには、健康に障害を起こした工場作業員は、みな化学物質から遠ざけるように異動させています、と。しかし(私のような)心臓の症状を訴えた人は、あなたが初めてですとも言いました」

 ゴードンがイギリスに戻ると、「X線ニュース」に載った私の記事を読んだ人から25通もの手紙が届いていた。みな同じような症状を訴える手紙だった。さらに50通の手紙が届いた。それでもなお、多くの個々の化学物質のうち、いったい何が問題を起こしているのか、まだつかめないでいた。

 1983年8月にニュージーランドに戻り、「X線学会」(現在は医学エックス線技師研究所と改名)に手紙を出した。「しかし私から手紙をもらっても、余り熱心じゃないんです。私がフィルム会社の乗ったボートを揺らすんじゃないかと思ったんでしょう」。そこで、じゃあ今度は、異常な健康障害に悩む他のX線技師を捜し出してみようか、と決意した。

 職場にも復帰した。3週間の休暇をとったため、すっかり健康も回復していた。「私は暗室に入ったわけではないのに、それでも、ほんの少し身をさらすだけでも十分だったのです。数分の間に、耳鳴りと不整脈が始まりました。(月曜から出社し)その4日後に、私の診察医の同僚が、ここから出なさいと命じました。金曜日になるとひどい症状になり、仕事をやめて事故補償を受けるよう説得されました」

 医学用語で言えば、ゴードンは職場にある化学物質に「過敏」になったのだ。彼女の免疫システムが侵され過ぎたために、暗室内の化学物質に少しでも体がさらされると、アレルギー反応が起きてしまうのだ。そうしたアレルギー反応を避けるためには、化学物質を避けるしかなかった。X線技師としての職業が終わった。

 それから6週間後に、給料の80%を補償してほしいというゴードンの申請を「事故補償会社」(ACC)が受け取った。80%と言えば、インフレ調整後だと週給380ドルになる。こうした形で個人の事故を補償してもらったのは、彼女が世界中で初めてではないか、と本人は考えている。そうなると、自分の事故をもたらしたものは何か、とその原因をさぐる時間が持てることになる。ゴードンはパマーストン北病院理事会にポストを得て、病院の図書館にあるコンピューターを利用、世界中のデータベースをスキャンし手掛かりを探し始めた。すると、それらしい報告書が見つかった。「X線技師へのグルタルアルデヒドへの反応」というタイトルで、筆者はアメリカのアレキサンダー・フッシャーという皮膚科医だった。米ウィスコンシン大学の放射線のロバート・ザック医師の調査について触れていた。放射線専門医というのは、X線技師が撮影した写真を判読する専門家である。ザック医師はX線フィルムを扱う人に見られる皮膚炎、呼吸障害はグルタルアルデヒドと呼ばれる物質が犯人だと思っていた。彼はこうした症状がどの程度広がっているかを確かめたかったのである。

 「それを読んだ時は、グルタルアルデヒドなんて聞いたこともなかったんです」と振り返る。「でも、アグファ社の製品の情報を読んでみたら、そう、間違いなく現像液にその成分が入っていたのです」

 さっそくザック医師に電話してみると、答えはこうだった。「すでに調査用紙は2千人のX線技師に配布ずみで、4百枚の用紙を回収できた。ところが、大学当局が献金をしてくれているフィルム会社や化学会社を怒らせるんじゃないかと心配になって、この調査をすぐ中止しちゃったんだ」

 グルタルアルデヒドは、ホルムアルデヒドと似た物質で、後者は消毒薬や防腐剤として広く使われている化学物質である。グルタルアルデヒドが皮膚や呼吸器官を刺激することは周知だが、ホルムアルデヒドよりは安全性が高いと見られている。というのは、ホルムアルデヒドは発ガン性物質だが、グルタルアルデヒドはそうでないからである。グルタルアルデヒドは無色の結晶体で、水に溶けると無色の液体になる。

 ゴードンが調べてみると、グルタルアルデヒドには多くの用途があった。液体が腐らないようにする、クリーニングのさい衣類を柔らかくする、壁紙を強化する、動物の皮革をなめす、などである。細菌やバクテリアを殺す作用もあるので、エアコンの殺菌剤に使えるし、病院、外科医、歯科医、獣医などの手術のさいの手術用器具の消毒溶液としても実に広く利用されている。

 ゴードンがもっと注目したのは、グルタルアルデヒドがX線フィルムと、そのフィルム定着液の両方に硬膜剤として使われているという事実だった。彼女の調べだと、この物質がこうした製品に初めて使われたのは1967年で、ちょうど自動現像機が導入された年だった。現像機の中の現像液は、手でいちいち現像していた古い時代よりもかなり高温にする必要があった。その高温のために感光乳剤がフィルムの表面からはげ落ちてしまっていた。グルタルアルデヒドが乳剤と現像・定着液に使われた理由は、こうした現象を防ぐためだった。

 いまは、グルタルアルデヒドは特定の会社が一手に独占している訳ではない。アグファやコダックを含む大手のフィルム会社は、いまだにその現像液にグルタルアルデヒドを使っている。数知れぬ化学会社が、多くのさまざまな製品にこの物質を使っている。グルタルアルデヒドは目立たないが、用途の実に多い物質なのである。

 従って、グルタルアルデヒドは1967年からずっとX線の暗室にはびこっていたことになる。しかしゴードンが事実上、世界中のX線技師に発見した健康障害がやっと表面に出たのは、1980年前半のことである。なぜこんなに遅れたのだろうか。彼女自身に症状が出たのは、オタキ診療所が自動現像機を導入してからだが、他の技師たちは病気になる前に数年間も現像機を使っていたのだ。

 ゴードンにとっての決め手は、グルタルアルデヒドの比率が1980年に著しく増えたことを発見したことである。この年は、いわゆる「銀危機」が起きた年である。(訳者注:単なる銀かハロゲン化銀か不明)。銀は写真フィルムの感光乳剤の主要な成分の一つだが、この年に銀不足が起き、価格が跳ね上がった。これに対抗するため写真会社は、感光乳剤の中の銀の量を減らすことにした。その代わりにグルタルアルデヒドの量を増やさざるを得なかったのだ。

 かくして、犯意不在のまま技術が進み、ついに予期せぬ危険をもたらしてしまった。最初に自動現像機があり、次に不足した銀を補充するためのグルが登場し、グルタルアルデヒドが増量された。しかし、そこに健康を損なう問題が発生しようとは、誰一人考えもしなかった。

 その後10年間、ゴードンの言い分は、一般的には正しいと評価されてきた。しかし、最初は多くの人から疑惑の目で見られ、そうした疑念がすべて立ち消えになった訳ではない。化学製造会社は問題はなかったと言い張った。多くの健康問題専門家は、同じように彼女を疑問視した。同じ化学物質にさらされながら、どうしてほんの一部の技師だけが健康に障害を持つのか、ほとんどのX線技師はどうして正常なのか。そんな疑問に、彼女がどうして解答を出せるだろうか。

 あとの方の疑問には、一つの説明が可能だ。それは、特定の化学物質に誰もが過敏になるとは限らないということだ。蜂に刺された時にひどい反応を示すのは、ほんのひと握りの人だというケースと似ている。一度目の蜂のひと刺しは、アレルギー体質の人でもさほど症状はひどくない。しかし二刺し、三刺し目となると、死に至らしめる。それと同じように、有害化学物質への反応は、反応が起きるまでに時間がかかるという可能性がある。海外でのいくつかの研究によれば、グルタルアルデヒドの「安全レベル」にさらされた人のうち「過敏」になる人は恐らく5%程度だろう。しかし、もっと高いレベルのグルにさらされた人はもっと多く、皮膚、口、のどのいらいらを感じるだろう、という。

 また、こうも考えられる。つまり、ほかの物質と複雑に交ざり合う時に健康障害をもたらす化学物質が多く存在していて、グルタルアルデヒドはそうした物質の中の一つに過ぎないのではないか。しかし、ゴードンやその他の多くの人たちはそうは考えない。グルタルアルデヒド自体が主犯なのだと確信している。ゴードンが世間からまともに相手にしてもらえなかった理由の一つは、彼女が女性でしかも、当時はおばあちゃんで、圧倒的に女性が多かったX線技師という職業に従事していて、たいして目立たない十字軍的運動に乗り出したという事情があったからだ。国立婦人病院の災難は、女性の健康問題がつねに真面目に受け取ってもらえるとは限らないことを証明した。

 

 

 ニュージーランドで働く専任のX線技師の大多数は女性だが、そうした事情も、いまでは徐々に変わりつつあり、ポリテック(大学レベルの高等科学技術専門校)でのX線専攻学生は、一時はほぼ全員が女性だったのに、今では4分の1が男子で占められるようになった。ゴードンがトレーニングを始めた1946年に正式にX線講座が開設されたが、それまではX線の機械に慣れた看護婦が担当していたものだ。

 クライストチャーチに住むX線技師で、医学・放射性技師研究所のシャーリー・ローズ所長によると、かつては多くのX線技師は、さほど長期間勤めていなかったので、化学物質に「過敏」にならずに済んだのだそうだ。「多くの女性技師たちは数年勤めただけで結婚し、家庭に入ってしまったからです」との説明だ。「でも、いまでは職場に長期間勤めるようになったというか、退職しなくなったし、出産後にまた復帰してくるまでの期間がかなり短くなっています。だから問題が広がっているのです

 中央オンタゴのクライドにあるダンスタン病院のX線技師主任であるマーガレット・マリガンもグルタルアルデヒドの犠牲者の一人で、一部の健康問題専門家がグルタルアルデヒド問題を軽視したのは症状を訴えた人が女性だったからだという。「ダニーデンでは、女性技師たちの一人はCTスキャン(コンピューター化した断層X線写真法)のユニットを使ったために症状が出ましたが、だれも気に止めませんでした。次に同じ場所で男性の技師が喘息の発作に見舞われましたが、彼は徹底的に診察を受けました。ダクトが悪かったのです。私がいま話しているケースは何年も前にここで起きたことではないんです。ほんの6、7か月前に起きたことなんです」

 ホワンガレイに住む技師のマリアン・クルーセン・フットは、かかりつけの医師から記憶喪失、皮膚の刺激、喉のいがらっぽさ、関節痛、体力減退などの症状は初期更年期の兆候だと言われた。え、どうして! 更年期まで、まだ10年もあるっていうのに!

 ゴードンは十字軍的運動を始めたころから、医学雑誌に専門の論文を書いたり、暗室内の安全性をより高める必要性を説いたりするために、国内や海外で講演を行った。ゴードンがマッセイ大学に接近してみると、同大の研究者が不健康と、周囲の化学物質との相関関係を示したX線技師の調査を行っていた。

 X線技師たちに警告を発するため何か行動を起こさなければ。1984年12月、ゴードンはマッセイ大学の2人の研究者を伴ってウェリントンの厚生省を訪ね、当時の公衆衛生局長ジョン・ストークスを始めとする、そうそうたるメンバーが一堂に会した会議に出席、ある一件を持ち出した。

 「最初の1時間は、メンバーの人たちは私をこき下ろそうと努めました。でも私にはでたらめをでっち上げる必要もないんだし、失うものもないんです。午前のコーヒータイムが来たら医師たちが言いました。あなたの説得に負けたよ、と。彼らはやっとグルタルアルデヒドの警告文書を全病院に送付することになったのです」

 次に、ゴードンは厚生省に対し、X線フィルム処理施設の安全な使用方法に関するガイドラインをきちんと整備してほしいと要望した。すると厚生省は逆に、ゴードンに対して、「じゃ、あなたが書いてみたらどうか」と要望した。ゴードンはマッセイ大学の職業病専門の講師であるイアン・レアドとともに文書の草稿を練り上げ、参考意見をもらうために、厚生省、労働省、経営者団体といった組織に送ってみた。完成までに13か月もかかった。

 ゴードンの息子のギルバートは、ビル管理の技師だったので、空調関係の分野を担当して書いてもらった。1986年に、このガイドラインは事故補償会社から出版され、たちまち国内でも海外でも重要な参考資料として引っ張りだことなった。

 1992年になると、労働省の職業病、職場の安全対策部門が、医療関係の業種におけるグルタルアルデヒドの安全使用に関する新たなガイドラインを発行するのだが、これにはゴードンの作ったガイドラインが大きく貢献していた。いまでは「半分アタマのおかしくなったおばぁちゃん」とは、だれも思わなくなっている。

 いま、X線の「暗室」の危険性はよく知られるようになった。1992年の労働省発行の安全作業に関するガイドラインは、現像処理機、化学物質混合施設の換気装置などを始めとする適切な空調と蒸気排出を義務付けている。グルタルアルデヒドから発生する蒸気から身を守る防護用具も、ある一定の条件のもとでは義務付けられている。今では、グルタルアルデヒドの蒸気の容認できるレベルはどの程度かについて、厳格な制限も設けられている。

 以上のような対策は、すべてゴードンの功績によるものであり、この国のX線技師でゴードンなんて知らないとか、ゴードンに感謝の気持ちを抱いていないという人は恐らく皆無だろう。しかし、ニュージーランドを住みよい国にしてはくれたが、まだ正当に評価してもらえない地元のヒーローがいるとすれば、彼女もその一人である。

 危険性に関する知識がこれほど行き渡り、ガイドラインも刊行されながら、X線技師も(そして看護婦など健康管理にあたる人たちがますます)、時には管理ミスで、あるいは暗室設備の配置ミスにより、容認できないレベルの蒸気や化学物質にいまだにさらされている。これは驚くしかない事態である。

 ノースランドは病院のX線関係の職員が近年、深刻な症状に悩んでいる地域のほんの一つに過ぎない。3年前、つまり1991年にカイアイアとホワンガレイの両病院で、3人の技師が欠陥のある施設から漏れた蒸気を浴びたため、いまだに職場を追われている。

 その一人がマリアン・クルーセン・フットである。彼女が「ノースランド健康会社」を相手に損害賠償訴訟を起こしているケースは全国のX線技師が関心を持って見守っている。「ノースランド社」は、ホワンガレイ病院などを経営する、国内でも高名な健康関連企業で、彼女はグルタルアルデヒドの蒸気に触れたために、さまざまな環境汚染物質に過敏になり、職場に復帰できるどころか、どんな職にもありつけなくなったと訴えている。マリアンの「懲戒的賠償要求額」は15万ドルである。

 オランダ生まれのマリアンは、26年前、18歳の時にX線技師の訓練を受けた。1989年の半ばに、結婚すべき相手と一緒になるために、ウェリントンからホワンガレイに引っ越してきた。ホワンガレイ病院に勤め、そこでは後年、先端技術を誇る新型CTスキャナーの管理担当者になった。

 CTスキャナーを収容する続き部屋は、1991年2月に開設された。そこのスタッフは、間もなく室温と蒸気に不満をもらし始めた。何か月かにかけて、マリアンは記憶喪失と声帯の肉芽腫、関節痛など、驚くべき兆候が進んだ。

 「私は常時、病気がちでした。まったく異常な症状なので、何が原因か、だれもはっきりと『これだ』と言ってくれませんでした。かかりつけのGP(診察医)は、恐らく更年期が早まって起きたケースだよ。兆候がよく似ていると言うのです。こう言ったからと言って、彼を非難はできませんけどね」。

 1991年になって、彼女は自分の病気が蒸気と因果関係があるのではと気づいた。夫になるはずのイアンが、3週間のサウスアイランドでの休暇に連れ出してくれたところ、すぐに健康を取り戻せたからだ。「職場に戻ると、しかし数時間で病気になってしまうんです。その時初めて、そうか、仕事と関係があるんだな、とひらめきました」。

 その後マリアンは、蒸気について人に聞こえるように不満を話すようになった。そのマリアンを見かけたのが、同じ病院で職業病関係の看護婦をしていたユーニス・ナットマンで、あなた重病よと言ってくれた。医者に診てもらいなさいと忠告してくれ、紹介してくれた医者からは、仕事をやめなさいと指示されたのだった。

 病院当局は、すぐさまCTスキャナー室の空調設備を取り外し、新しい設備と交換させた

 この病院の各種施設担当の事務長だったスタン・ソー技師がその後調査を行ったが、その報告書によると、こうした迅速な行動は、確かに適切と言えるが、改造前のCTスキャナー室の有害な蒸気のレベルを測定することは不可能になってしまった。

 ソー技師の報告書は11ページに及び、1992年2月に完成したが、マリアンの病気を招いた蒸気の原因を「非能率的な換気システム」と結論づけた。さらに他の要因として(1)換気システムのデザインに関する専門的な勧告が欠如していた(2)換気システムを設置した後、その部屋に適するシステムかどうかをテストせず、手入れなどの管理もしていなかった(3)CT室に配属されたスタッフの苦情に沿った措置をとることを怠っていたを挙げている。

 病院側がこうした危険について無知だったかといえば、まさかそんなことはあり得ないだろう。ソー技師の報告書によれば、ゴードンが厚生省やACC(事故補償会社)のために1986年にまとめた、例の職場の安全のためのガイドラインは、CT室が設計された時に参考文献として利用されていたからである。

 マリアンは仕事を辞めざるを得なくなって、6か月の休みに入った。その間に結婚し、健康が著しく回復したので、1992年5月に職場に復帰することにした。

 「すっかり元気になり、職場に戻れるというのでうれしかったんです。職場復帰こそ私が〈過敏症〉になったかどうかを発見できる唯一の方法だったからです。私はあの環境に、自らの身をさらす必要があったのです」。改造されたCT室では、蒸気はもはや問題ではなくなっていたが、化学物質や蒸気に身をさらすことはかなり少なくなったものの、それでもその量はマリアンにとって十分すぎるほど多かった。彼女はすぐに病気が再発し、4週間後にはついに永久に職場を去らなければならなかった。ACCは以来、週1回の補償額を支払っている。

 「私は職業を愛していました。もし化学物質を交換してくれるなら、明日にでも出勤したいところです。最もつらいのは、別の仕事を捜せないことです。私は最高のトレーニングを積んでいます。医院の受付係の仕事に応募してみましたが、あなたにとっては刺激のないつまらない仕事だし、給料も低いよと言われました。私は44歳。しかもACCからお金をもらっている身。そんな女性を、だれがほしいなんて言うものですか」

 彼女の健康は徐々にではあるが回復に向かっている。声帯が傷んだので治療を受けたが、声はすっかり変わり元通りにはならなかった。髪も昔に比べ薄くなった。関節痛もいつも治療が必要になるだろうし、目がいらつくのでコンタクト・レンズもつけられなくなった。今ではさまざまな化学物質に過敏になった。暗室にある物質だけでなく、エアコンさえ堪えられなくなった

 「夫はプロカメラマンですが、私が化学物質がダメなので自宅に暗室は持てません。同じ理由で息子も部屋で絵をかけません。脳に障害を起こすからです。私はシンナー遊びの常習者みたいなものです」

 病院を相手取った彼女の訴訟は、テストケースである。なぜなら事故補償法では、こうした事件で損害賠償を求めることがほぼ不可能だからだ。訴訟には多額の費用がかかっており、彼女が勝訴する保証はなく、例え勝訴しても訴訟費用をみなカバーできるかどうかの保証もない。

 「私が裁判を起こしているのは、立場をはっきりさせ、〈あのねぇ、雇い主のみなさん、従業員の面倒をもっときちんと見なくちゃダメよ〉と言ってやるのが実に大事だと思うからです。つまり、私は職場で化学物質に囲まれたX線技師たちに関心をもってもらいたいから訴訟を起こしているんです。たとえ勝訴しなくても、何が起きたのかだけは、公判で明らかにしていくつもりです」

 こうした一連の事情がマスコミで明らかにされるころになっても彼女の公判の日取りは、まだ確定していない。「ノースランド健康会社」は、公判が予定されているホワンガレイ地裁に反論書を提出した。有害な蒸気にさらされたという事故により、個人的に障害を負ったのは同社の業務上過失にあたる、というマリアンの主張は受け入れられない、という内容である。

 ゴードンがX線技師の健康を損なう物質として最初にグルタルアルデヒドを指摘してから、すでに10年が経過した。しかし、この有害な物質を病院から追放するという点では、大きな進展は見せていない。

 この同じ10年間、グルタルアルデヒドを消毒液として利用する度合いは、急速に高まっている。その一因として、まずエイズの広がりがあり(グルタルアルデヒドはHIVの殺菌に効果がある)、また弾力性のある細い管の先に超小型カメラを取り付け、これを口や小さな切開口から体内に通して診察する「ラパラスコープ」(腹腔鏡検査法)などの方法が大幅に増えたこともある。

 ダンスタン病院ではイギリスのフォトゾル社製の、グルタルアルデヒドを含んでいない現像液を過去2年間使っている。ダニーデン病院でも、9月(1994年と思われる=訳者注)になって、やはりグルタルアルデヒドの入っていない新たなコダック社製の製品を試している。これまでのところ、こうした先例に従ってみようという病院は見当たらない

 ダンスタン病院のマーガレット・マリガンX線技師主任はグルタルアルデヒドに過敏になった数人のスタッフのうちの一人である。彼女の前任者はグルタルアルデヒドの毒のため引退を余儀なくされているが、マリガン自身も2年前に、同じように私も引退かと恐れたことがある。

 「最初は心臓発作かな、と思いました。胸のあたりが急に苦しくなって、呼吸困難に陥ったのです。そのあと原因がわかり、以来原因から遠ざかるようにしています」とマリガンは言っている。 

  

  

 マリガンはしばらく、仕事を休まなくてはならなくなった。病院の事務長は応援してくれたが、同じような症状が別の場所でも起きているという証拠はないかしら、と聞いた。そこで、12ばかりの病院を無差別抽出して調べたところ、症状は実に広範囲に広がっていた。マリガンはゴードンと連絡をとった。するとゴードンから英企業フォトゾル社を紹介された。

 1984年にゴードンは再びX線関係の会議のためイギリスを訪問し、エックス線の化学物質を作っていたフォトゾル社の幹部のジェフ・ケアに出会った。2人はエックス線技師の間で顕著になりだした症状について話し合ったところ、ケアは「では、グルタルアルデヒドの入っていない現像液を作りましょう」と決断した。それがCD77という新製品になっていた。不思議なことに、これがニュージーランドで活発に売られたことは、一度もなかった。

 ゴードンから話を聞いたあと、マリガンは自らイギリスのフォトゾル社に長距離電話をかけ、いま聞いたばかりの新製品CD77を注文してみた。以後ダンスタン病院では、これを2年間も事故なしに使っている

 「フォトゾル社はまた、二酸化硫黄(これも有害物質だ)の少ない定着液を製造しています。グルタルアルデヒドの入っていない現像液と、二酸化硫黄の少ない定着液の両方を使えば、もっといい結果が出るはずです。すでにかなり改良された換気システムも出来ているので、現像処理機を完全に封じ込めたということになります」

 マリガンはもちろん、グルタルアルデヒドに敏感になり、つねにアレルギー反応が起きる危険にさらされている。マリガンとダンスタン病院の同僚のヘレン・ウォーカーの二人は最近、クライストチャーチに出掛け、最新の化学物資解毒治療を受けた。ここ4年ばかり実施されている米テキサス州の方法をもとにした診断法だ。

 クライストチャーチ式治療は従来とは違う、ざん新な医学に関心のあるGPである、テッド・ピアソンによって行われていて、最低10日はかかる。毎朝、マリガンとウォーカーは、トランポリンに乗り、ボートこぎ器に取り組み、ナイアシン(ビタミンB剤)1錠を服用した。その後サウナに入り体内の有害物質を汗で流した。

 ピアソンの助手を務めていたのが看護婦のペニー・クリフォード で、彼女も4年前にクライストチャーチ病院のエックス線科で働いていたさい、グルタルアルデヒド過敏症にかかった。

 マリガンが言うには「クリフォードはありとあらゆる症状に苦しんでいました。2年前はとくにひどい状態でした。いまの治療を受けて、どんなに見事に回復したかを納得してもらうのが難しいほどなんです」。マリガンは自分の受けた治療の効果が現れるまで、あと2、3か月はかかるだろうという。最低そのぐらいはかかるのだそうだ。

 新たなコダック社のX線設備「ラピッド・アクセス」を使ったのは、日本以外ではダニーデン病院が最初である。この設備は特殊な前もって硬膜化してあるフィルムを使っている。このフィルムは硬化剤(グルタルアルデヒド)を処理の段階で除いたものである。ただし、この製品は安全性を考慮して作られたものではなく、日本の病院でX線フィルムを45秒で(つまり、従来の機械の半分の時間で)現像する新たな超高速処理機械のために作られたものである。

 ダニーデン病院のX線科の主任であるリズ・ホランドによると、そこの病院の2人のスタッフがグルタルアルデヒド過敏症のため辞職を余儀なくされ、ほかの2人も過敏症の症状を示して、処理区域から遠い場所にいなければならない状態だ。「これは非常に深刻な状況です」とホランドは言う。「1991年から1992年にかけて健康・安全グループを作りました。主な狙いは、できるだけ多くの情報を少しずつ集めることでした。毎年、われわれはフィルム、化学物質を提供してほしいと願いあちこちに出掛けていきました。今年はコダックが新しいシステムを提供すると言っています。これをわれわれ々の健康・安全グループに使ってもらうことにし、こうした新しい化学物質を試してみる、わが国最初の病院になりそうだと言いました」。となると、「我々のやり方を少々修正せざるを得なくなり、高いものにつきます。いま使っている製品より8%は高価になるので、1年間では3万5千ドルから4万ドルの出費になるでしょう。この額は資格のあるX線技師の年収に相当し、私のスタッフならそれでは済みません」。ホランドが言うには、コダックのシステムはほかに2点の長所があるそうだ。一つは厄介な物質である酢酸が含まれていない点と、もう一つは高速処理機が以前より低い温度の溶液で済むので、溶液が蒸発する量が減るために蒸気の有毒性も減るという点である。ダニーデン、ダンスタン両病院は同じ総合健康企業(CHE)であるヘルスケア・オルタゴの持ち物だったので、ダンスタンで使っているフォトゾルのシステムになぜダニーデンが転換しなかったのか、という疑問がわいてくる。

 リズ・ホランドは言う。フォトゾル社のCD77は昨年、ダニーデン病院で実験されたが、化学物質がしょっちゅう崩れ落ちたそうだ。そんなことはダンスタンでは起きなかった。ホランドは「その原因は、ダニーデン病院でのX線のかなり多くの量にいきつく」という。しかし、ダンスタンではマーガレット・マリガンが言うようにダニーデンでは、フォトゾルにじっくり時間をかけて十分な実験をしなかったのが原因だそうだ。

 ホランドは「ダニーデン病院はコダック社の新しいシステムを3年間使用して実験する、それをコダック社がモニターするという契約をかわしていた。もしこれが不満足だった場合には、契約期限前でも病院側が契約を破棄できるというものだった。

 「われわれが目撃していた健康問題の唯一の要因は、グルタルアルデヒドだったと思います」とホランド。「全体の問題はフィルム処理の段階で使われた化学物質のカクテルで、これに高速自動処理機の高熱が輪をかけたのです」

 「でも、この新しい化学物質を試していられるのはうれしいことです。雇用法の中で新たな健康・安全に関する条項(従業員は安全な仕事場に置くという厳しい用件)ができた今となってみれば、我々のためになるこの新しいシステムを無視する病院があるとは思えません」

 ヘルスケア・オルタゴの職業病専門医師であるジョン・ヘイドン医師は、「健康関連産業のイメージはその健康なイメージにそぐわない」という。グルタルアルデヒドのような化学物質は、問題の一つに過ぎない。健康に関係する労働者は、注射針の傷からB型肝炎を移されるなどの感染やストレス、背中の痛みなどに不当に悩まされている、とヘイドンは言う。

 「一般の人はわが国の産業界に出回っている化学物質の量が、わかっていません。エックス線関連でも化学物質のカクテルが存在します。いまはみながグルタルアルデヒドのことを話題にしますが、その他にもこれと似た活発な物質が存在し、そのいくつかは過敏症のもとになるものなんです」

 ヘイドンが言うには、グルタルアルデヒドには細心の注意が必要だが、その使用量が特定の分野、たとえば消毒分野で増えている。それはHIVウイルスを殺すからだという。

 「自分たちの使う消毒・殺菌剤が効果があるということに確信をもちたい訳です。内視鏡消毒の場合は常温で使える消毒剤を使う必要があります。高熱消毒はできませんませんから。HIVの恐れがある限り、グルタルアルデヒドの消毒薬に入れる量は1%から2%へと2倍に増やされます。腹腔鏡検査法は今では人気のある方法になっているから、グルタルアルデヒドがあちこちに出回る機会がますます増えてきています」

 10年前にX線技師がかかったグルタルアルデヒド関連の健康障害に、最近看護婦がかかるようになったのは、このような事情によるのである。

 オタゴ大学医学部の職業病専攻のビル・グラス準教授はグルタルアルデヒドの国際的な権威になった。そのきっかけは4年前にクライストチャーチの看護婦ペニー・クリフォードのケースに遭遇したことだ。彼はニュージーランドの数多くの損害賠償訴訟や豪州パースの一件などで専門的アドバイザーとして活躍してきている。

 「ペニー・クリフォードは私が最初に出会った患者でした」とグラス準教授。「非常に関心がわき、あちこちから症状を集めようと思いました。インバカーギルのキュー病院、ダニーデンのGPたちや中央オタゴ、そしてワンガヌイなどからです。恐らく全部で20ないし25のケースを見たでしょう」

 グラス準教授が言うには、症状はまずエックス線技師から始まったが、今では他の健康関連の働き手にも広がってしまったという。例えば病院勤めの看護婦やGPのもとで働く看護婦は、みな冷却した消毒液の中のグルタルアルデヒドと接触するようになる。スプレー式クリーナーとして市場でせっせと売られているグルタルアルデヒド使用の消毒剤を使ったあとで化学物質過敏症となった人たちをグラス準教授は沢山知っている

 グラス準教授は「グルタルアルデヒドは、他の化学物質と似ている。潜在的には危険だが、その危険性は扱いに失敗するか、密室で使われるまでは顕在化しない。危険度はそれにさらされた度合い次第なのだ」と語る。

 「問題は、今では国際的に知られているし、報道もされてきているが、医学雑誌で知られても、それがGPたちや病院の管理担当者や使用者たちに知られていることにはならない。すべての人を教育する道のりは長いものなのだ」

 危険性をまだ疑っている人がいることを彼は承知している。しかし、そうした懐疑派は、ダチョウのように現実逃避主義者でもあるとグラス準教授は考える。「保守的な医者はなぜグルタルアルデヒドを使っている人全員に症状が出ないのかと疑問を持つ。でもね、例えばバスの中にインフルエンザの菌をばらまいても、乗客全員がかかる訳でもないんだよね。ひとりひとりの反応が違うのだから」 「グルタルアルデヒドは上部の呼吸器官を刺激し、その辺と皮膚にアレルギーを起こす。真の問題は1人か2人の人間が、ごく一般の反応から過敏症に向かうことにある。そこに口を出して、気持ちの問題じゃないか、などという懐疑派の人も出てくる」

 「病気にかかった患者に出会うと、多くの医者はそうした患者が職場で身をさらしている物質の歴史といった事を考えないものだ。彼らは仕事が病因だなどとは考えない傾向にある。しかし、論理的に見れば、人はみな8時間から10時間は仕事をしているし、仕事が多くの病気の原因になっていない方がおかしい」

 マージョリー・ゴードンは多くの戦いには勝利を収めたが、まだ戦争そのものをあきらめる訳にはいかない。彼女はホワンガレイ病院の看護婦をしていたユーニス・ナットマンとずっと作業を進めてきた。ナットマンはマリアン・クルーセン・フットが重病であることに初めて気がついた人物だ。2人はグルタルアルデヒド過敏症になったかどうかを確かめるために、簡単な血液検査がしたいと考えている。

 現在ではそうした検査は行われていない。行われていないからこそ、医学界、科学界でグルタルアルデヒドの危険性に対する疑いがいつまでも消えないのである。

 ナットマンはカリフォルニア州サンタアナの研究所にいる医学研究者のアラン・ブロートンに関する科学論文を見つけた。ブロートンはホルムアルデヒドの過敏症テストを発明していた。ゴードンは彼に手紙を出し、グルタルアルデヒドの過敏症テストを考案してくれないだろうか、と尋ねてみた。するとブロートンからOKの返事がきた。ナットマンは彼に、ノースランドの職員から採血したサンプルを送ってみた。まだ、その結果は来ていない。

 「この狙いはニュージーランドのすべてのX線技師の血液をテストして、だれがグルタルアルデヒドに過敏かを調べることです」とゴードンは言う。「それが私の目標なのです」。テストがうまくいけば、どのX線技師が危ないかということが分かるし、グルタルアルデヒドがX線技師の健康障害の一因なのかどうか、最終的に判定することにもなる。

 ゴードンは1988年にX線技師の調査をしようと決めたことがあった。血液サンプルをとり、抗体のレベルをあげてテストする、つまり簡単なアレルギー反応を調べるのだ。しかし国立婦人病院のスキャンダルの後でもあり、倫理的な配慮とは相いれないという結 論に終わり、実現していなかった。

 ユーニス・ナットマンも、ノースランドで問題が起きたため、X線科のスタッフから採血し、同じような血液テストをしたことがあった。1992年のことだった。38人のスタッフ中19人、つまり50%の人の抗体レベルが上がった。普通はそうした反応が起きるのは20%ぐらいなのだ。

 マージョリー・ゴードンはすぐに疲れる。一日中かかったインタビューで、彼女は2度も、12月に65歳になったらペースを落としたい、と本音をもらした。

 「私を後押ししているのは、忍耐だけよ。ほんと」とゴードンは言う。「こんなことをするには、エネルギーをもたらす健康体が必要なのね。でももう、わたしは健康とは言えないもの」

 ゴードンの化学物質への過敏症はひどく、健康も悪化しているため、10年以上も前に事故の損害賠償訴訟にかかわって以来、働けないでいる。彼女は1954年に夫のビルと一緒に買った庭つきの一軒家を拠点にして、体が衰弱していくなかでキャンペーンを続けてきた。その家はレビンの南方のマナカウという小村の丘の上に建っている。夫にも1990年に先立たれているので、彼女のような健康状態では、この土地も管理しづらくなってきている。土地のほとんどをじきに売ることになるだろう。

 「まだ、沢山することがあるの」と彼女は言う。「1908年には、もうエックス線が危険だということは知られていた。それなのに、その使用に制限がつけられるのを1992年まで待たされてしまった。今度はグルタルアルデヒドの番。すでに10年も危険だということが分かっていながら、いまあるのは、単なるガイドラインだけ。いまよりもっと強力に管理するまで、更に50年が必要だなんて御免だわ。

 

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