注意欠陥多動性障害(ADHD)と子供の環境
1999年12月10日
CSN #113
1、注意欠陥多動性障害(ADHD)
子供における注意欠陥多動性障害(ADHD:Attention deficit hyperactivity disorder)が、社会的に大きな問題となっています。また、ADHD症を有する子供達は、ほとんどの場合大人になっても症状が続くので、仕事をする能力に支障をきたします。ADHD症の患者には、麻薬のコカインのような特性を有する、リタリン(Ritalin: methylphenidate hydrochloride,塩酸メチルフェニデート)という治療薬が用いられます。アメリカ合衆国でのADHD症の現状について、表1に示します。
表1 アメリカ合衆国におけるADHD症の現状:1997年ベース([1]をもとに作成)
項目 |
統計値 |
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ADHD症状を示す人々 |
子供(学童) |
180- 270万人 (全体の約10%-15%) |
成人 |
650- 900万人 |
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リタリンを服用している人々 |
子供(学童) |
150- 200万人 |
成人 |
約73万人 |
*子供達の行動は複雑なため、ADHD症であると診断することは難しく、確信がもてる数値ではありません。
*アメリカ全体では1997年に10トン以上のリタリンが、ADHD症の子供達の治療に使われました[1]。
注意欠陥多動性障害(ADHD: Attention deficit hyperactivity disorder)は、1902年に初めて特定の病気と認められたのですが、1930年代から1950年代では、ADHD症状を有する子供達に脳障害が生じている証拠がないにも関わらず、微細脳機能障害(MBD)と定義されたり、1950年代後半になって、活動亢進(過度に活動的)がADHD症の定義に使用されたり、その定義に関してはいくつかの変遷がありました。1970年代になって、ADHD症に注意欠陥が考慮され、1980年代以降は、注意欠陥や活動亢進がその定義として考慮されるようになり、現在では注意欠陥多動性障害(ADHD)または多動症候群と呼ばれるようになりました[1]。
米国精神医学会(APA)が出版した「The DIAGNOSTIC AND STATISTICAL MANUAL OF MENTAL DISORDERS IV(神経攪乱の治療と統計の手引き書IV)」では、ADHD症が示す、注意力散漫、活動亢進(過度に活動的)、衝動的行動の3つの行動パターンについて説明しています。表2にその概要を示します[1]。
表2 ADHD症の3つの行動パターンとその概要([1]をもとに作成)
行動パターン |
概要 |
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注意力散漫 |
1 |
勉強や仕事や他の活動において、注意深くできなかったり、自分の誤りをほとんど気にしない人 |
2 |
仕事や遊びや活動において、注意力が続かない人 |
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3 |
人の話に耳を傾けない人 |
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4 |
ほとんど指示に従わず、勉強、仕事、職場で与えられた任務を最後までやり遂げることができない人 |
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5 |
組織的な仕事や活動がほとんどできない人 |
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6 |
精神的努力が必要な仕事をすることを避けたり、嫌ったり、気が進まない人 |
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7 |
鉛筆など仕事や活動にとって必要な道具よく失う人 |
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8 |
車のホーンのかん高い音や鳥の飛行などの外部からの刺激によって、簡単にかき乱される人 |
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活動亢進、 衝動的行動 |
1 |
よく席で手や足をそわそわさせたり、身をよじったり、落ち着きがない人 |
2 |
必要がない時に走ったり、その辺をよじ登ったりする人 |
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3 |
落ち着きがなく、教室などで、すぐに席を離れる人 |
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4 |
レジャー時に、みんなで楽しむことが難しい人 |
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5 |
絶えず動いていて、車に追い込まれるように過度に動いている人 |
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6 |
よく過度に話す人 |
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7 |
最後まで質問を聞かずに答を言ってしまう人 |
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8 |
一列になって待つのが難しい人 |
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9 |
よく他人の邪魔をしたり、人の話に割り込む人 |
「神経攪乱の治療と統計の手引き書IV」によると、次のいずれかに該当する人は、ADHD症の疑いがあるとしています[1]。ただし表3に示す、ADHD症と診断するための付加基準が設けられています。
表2の活動亢進や衝動的行動の行動パターンが示す9つの症状のうち、半年以上6つの症状を有する
表3 ADHD症診断のための付加基準([1]をもとに作成)
No. |
付加基準の内容 |
1 |
これらの行動は、7歳より前の幼い時期から始まっていなければならない。 |
2 |
子供のこれらの行動は、同じ年代の他の子供達よりもはっきりとしていなければならない。 |
3 |
特にこれらの行動は、私生活、学校、家庭、職場などの社会的環境の少なくとも2つ以上において、実際に障害が発生していなければならない。例えば、たとえ学校で過度に活動的であったとしても、他との関係がうまく機能しているのであれば、ADHD症候群と診断されない。 |
2、リタリンの問題
表1に示すように、ADHD症の患者には、覚醒剤の1種であるリタリンという治療薬が用いられます。しかし、子供に長期間投与した場合の安全性は確立されておらず、マウスに対して肝臓癌を引き起こすことが最近発見されました[1]。しかし、ラットではそのような現象は観察されていません[1]。いずれにせよ、多くのADHD症の人たちがリタリンを服用しているので、早期に安全性を再確認する必要があります。
3、ADHD症の要因
1)遺伝要因と種々の環境要因との重なり([1]をもとに加筆)
ADHD症の原因はよくわかっておらず、遺伝的性質と環境要因が重なったものと考えられています。最近の研究は、出産前における、鉛、たばこの副産物、アルコールへの曝露に焦点が当てられてきました。食品着色料が子供達のADHD症を悪化させること、栄養不良がADHD症の一因となること、さらに最近の研究では、殺虫剤や、特に甲状腺ホルモンに影響する工業用化学物質への低濃度曝露が関与する可能性があることが示されました。そして、これら全ての要因が互いに関係し合うことが重要な要因だと考えられています。
2)栄養不良([1]をもとに加筆)
アメリカ合衆国のADHD症を有する子供のほとんどが栄養不良であり、栄養不良はADHD症を引き起こす可能性があると考えられています。アメリカ農業省(USDA)は、種々の栄養素に対し、「1日あたりの推奨許容量(RDA:recommended daily allowances)」を定めています。そしてRDAの定義は、次のように定められています。
RDAは、平均的な人々が必要とする平均的な栄養素の量を上回る数値を定めている。
個々の栄養素に対して、RDAの60%以下しか摂取していないのであれば、栄養不良とみなされる。
統計的に把握されている数値として、RDAの50%以下しか栄養を摂取していないアメリカ合衆国の子供の比率は、図1のように報告されています。
*アメリカ合衆国の子供の数は全体で約1,800万人
図1 RDAの50%以下しか栄養を摂取していないアメリカ合衆国の子供の割合と人数([1]をもとに作成)
表1に示すように、アメリカでADHD症を示す子供は約180- 270万人 (全体の約10%-15%)とされています。図1から明らかなように、約100- 220万人(全体の約6%- 15%)が栄養不良とされています。ただ、必要な栄養量は人によってかなり変化するので、平均値で基準を設けることは、誤解を招くおそれがあると考えられています。そのため、多くの科学者達は、栄養状態に関するRDAの基準値は不適切だと考えています。
3)食品着色料([1]をもとに加筆)
これまでの研究から、食品着色料が子供のADHD症を悪化させる可能性があると考えられています。しかし、アメリカ食品医薬品局(FDA)が出版した「食品着色料の実際:FOOD COLOR FACTS」と呼ばれるパンフレットでは、「食品着色料によって子供が活動亢進や学習障害(LD)になる証拠はない。」と述べています。
つまり、科学者と政府機関との意見が対立しているのですが、FDAが出版したパンフレットは、実際には多くの食品添加剤メーカーが参加している産業団体「国際食品情報協議会(International Food Information Council)」が作成しています。参加している代表的な食品添加剤メーカーは、次の通りです。
クラフト(Kraft)
プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(Procter & Gamble Far East)
ペプシ・コーラ(Pepsi-Cola)
コカ・コーラ(Coca Cola)
人工甘味料アスパルテームを製造しているモンサント(Monsanto)
グルタミン酸1ナトリウム(MSG)を製造している味の素
食品着色料が子供のADHD症を悪化させることを示す、16の二重盲検比較試験試験(二重盲検比較試験は、先入観を避ける目的で、参加者も、子供達の観察者と記録者も、食品着色料に曝露した子供達を知らない状況で試験を行う。)があるにも関わらず、FDAは子供に活動亢進や学習障害(LD)を引き起こす証拠がないと判断しています。
1976年における、6- 11歳のアメリカの子供達に対する調査では、平均76mg/日の食品着色料を摂取していることが明らかになっています。食品着色料の生産量は年々増加しており、現在では1976年時点における食品着色料の生産量に対し、約50%増加しています。
子供における食品着色料の摂取とADHD症との関係について、これまで行われた研究の追試とさらなる追加研究によって、その因果関係を明らかにするべきだと思います。
4)内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)の関連性
子供の行動の発達は、表4に示すように様々な要因が関わっています[2]。
表4 幼児期までの行動の発達に関わる要因([2]をもと作成)
要因 |
概要 |
発生的 |
受精卵の生理学的特性 |
生まれる前の化学物質環境 |
子宮内部の栄養状態と毒性物質の存在 |
生まれた後の化学物質環境 |
栄養状態と毒性物質の存在 |
種を通じて変わらない外界からの感覚刺激 |
刷り込み |
個人ごとに変わる外界からの感覚刺激 |
個人の幼児期までの体験 |
外傷的体験 |
けがなど通常でない身体的事象 |
表4の中で、化学物質環境に起因する問題は、ほとんどわかっていません。脳の機能発達過程で、最も環境化学物質の影響を受けやすい時期は、胎児期から母乳の影響を受ける乳児期までの間です。胎児期から生後6ヶ月を越えるまでの期間、発達中の脳には、成熟した脳に見られる血液脳関門がないか未発達です[3]。血液脳関門は、脳内を流れる血液から脳内へ有害化学物質が進入することを防ぐ関所の役割を果たしています。一般に、血液脳関門は、多くの有害化学物質が血液中から脳内へ進入することを防ぎます。しかし、脂溶性の低分子化合物であるトルエン、ジエチルエーテル、クロロホルムなどは、成熟脳の血液脳関門を通過し、中枢神経系に影響を及ぼします。
特に、血液脳関門がほとんど発達していない胎児期から生後6ヶ月までの期間は、有害化学物質への曝露を極力避けるべきです。脂溶性低分子化合物以外の多種類の有害化学物質が、脳内へ入ってくる危険性が高いからです。
内分泌攪乱化学物質による人体への影響は、発癌、生殖と発達系への影響、神経系への影響、免疫系への影響などが疑われていますが、かつて絶縁油や熱媒体として用いられたポリ塩化ビフェニール(PCBs)や、かつて流産防止用に用いられたジエチルスチルベストロール(DES)など一部の有害化学物質を除き、十分な確証が得られておらず、今後の研究が重要とされています。
しかし、食用油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCBs)中に含まれていた、ジベンゾフラン(PCDFs)やコプラナーPCBsが原因とされる、台湾の油症事件で生まれた子供達のIQが低かったことや、ADHD症の中で甲状腺に異常を有する子供の割合が正常者に比べて5倍も高かったことなどの間接的な証拠から、ADHD症の要因の1つが、内分泌攪乱化学物質を含む環境汚染化学物質である可能性が疑われています[4]。しかし、研究データが少なく、断定はできない状態であり、今後の研究が必要とされています。
4、今後の研究の重要性と事前予防の重要性
現在の子供達は、多種類の環境汚染化学物質に曝露しており、多種類の食品着色料を毎日摂取しています。また、ジャンクフードと呼ばれる食品など、高カロリーで栄養価が低い食品が増えています。ADHD症の要因は複雑に重なり合っていると考えられています。子供の攻撃性や暴力性の要因を明らかにするための研究が、今後さらに必要です。
しかし、要因が明らかになった時はすでに、要因とされる化学物質などに曝露しています。未知の危険を防ぐためにも、できるだけ事前に予防をすることが重要です。
Author:東 賢一
<参考文献>
[1] Peter Montague, RACHEL'S ENVIRONMENT & HEALTH WEEKLY #678, December 2, 1999
" ADHD AND CHILDREN'S ENVIRONMENT"
[2] 黒田洋一郎, 「環境化学物質と学習障害」科学, Vol. 68, No. 6, p470-474, 1998
[3] 黒田洋一郎, 「脳内攪乱化学物質と脳の発達障害」科学, Vol. 68, No. 7, p582-590, 1998
[4] 黒田洋一郎, 「環境化学物質の脳神経系への長期影響−何がわかっているのか、何がわかっていないのか−」日本内分泌攪乱化学物質学会第3回講演会要旨集, p1-9, 1999