ビスフェノールAによる内分泌攪乱作用
2000年1月10日
CSN #117
内分泌攪乱化学物質(以下、環境ホルモン)の疑いがある化学物質の中で、私たちの生活で身近に使われている代表的な化学物質は、ビスフェノールA、フタル酸エステル、スチレン、アルキルフェノールです。フタル酸エステルは子供用玩具や医療用点滴バッグなどの軟質塩ビ樹脂に使われ、スチレンはカップ麺容器や食品トレーなどに使われています。またアルキルフェノールは、塩ビ樹脂やスチレン樹脂の酸化防止剤として使われ、ポリスチレン製使い捨てカップや軟質塩ビ樹脂製ラップフィルムなどからアルキルフェノールの1つであるノニルフェノールが検出されています[1]。
ビスフェノールAは、ポリカーボネート、エポキシ樹脂などの汎用プラスチックに用いられている化学物質です。ポリカーボネートは、哺乳瓶やベビー・集団給食用食器、コンパクトディスク(CD)、携帯電話、OA機器などに使われています。エポキシ樹脂は、缶詰や水道配管などの腐食防止用被覆材、接着剤、電気製品の配線基板などに使われています。
このような状況から、これらの化学物質によるヒトへの健康影響が心配されています。これまでの様々な研究が行われていますが、ヒトへの影響については、ほとんど明らかになっていません。そのため現在でも、世界中の研究者らによって様々な研究が行われています。1999年12月9-11日に神戸国際会議場とポートピアホールで行われた第2回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム、1999年12月9-10日に神戸国際会議場で行われた日本内分泌攪乱化学物質第2回研究発表会でも、これらの化学物質に関する多くの研究が発表されました。
ビスフェノールAの毒性に関して最も注目されている研究が、米ミズーリ大学コロンビア校のフォン・サール(Frederick S. vom Saal) 教授らによるマウスを使った研究です。フォン・サール教授らの実験では、2μg/kg体重/日、20μg/kg体重/日のビスフェノールAを妊娠11-17日の間、母親の飼料に配合して与えたところ、20μg/kg体重/日で有意に精子生産能力の低下が認められました[2]。また同様に、2μg/kg体重/日、20μg/kg体重/日のビスフェノールAを妊娠11-17日の間、母親の飼料に配合して与えたところ、いずれの濃度においても生後6ヶ月の雄マウスに前立腺重量の増加が認められました[3]。
これらの濃度はヒトが通常暴露している濃度域なので、特に妊婦が摂取した場合、産まれてくる子供達への影響が心配されています。
さらに1999年にFrederick S. Vom Saal博士らは、ヒトの場合に換算して通常環境値以内(ヒトが通常曝露されている濃度と同程度の濃度)に相当する量である、2.4μg/kg体重/日の低濃度のビスフェノールAを含む飼料を、妊娠11-17日の間母親に与えたところ、出生後の雌マウスにおいて、ヒトの思春期にあたる春期発情期が早まった(ヒトでは思春期早発症)と報告しました[4]。
このように低濃度のビスフェノールAでマウスの生殖系に影響が示されたことを受けて、化学工業界などは追試を行い、生後6ヶ月の雄マウスに前立腺重量の増加が認められた[3]フォン・サール教授らの研究結果を否定する結果を得た[5]と反論しています。しかし、この化学工業界の追試に対しフォン・サール教授は、第2回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウムの中で、次のように反論しています[6]。
「ビスフェノールAの低濃度の影響について、私の実験結果を引用し、工業界で追試行ったが再現性が得られなかったと報告している。追試を行った実験者は、このような実験の経験がなく、私に実験方法について教育してほしいと申し入れがあった。しかし、実験能力がないことがわかった。私の実験は、今も様々な追試が行われている。誤った実験を行う実験者の資格を問題にすべきである。」
この国際シンポジウムでは、ビスフェノールAの毒性に関する注目すべき報告がありました。東京大学医学部 堤教授による報告では、8週齢の雌マウスから取りだした2細胞期の受精卵(胚:はい)を様々な濃度のビスフェノールA中で培養し、発育状態を観察しています[7]。その結果をまとめて表1に示します。
表1 培養液中のビスフェノールA濃度と受精卵(胚)の成育状況([7]をもとに作成)
ビスフェノールAの濃度 |
8細胞期胚形成率 |
胚盤胞形成率 |
|
単位:M(モル) |
単位:ppb |
||
1nM |
0.23ppb |
対照群と差なし |
発育促進効果有り |
3nM |
0.7ppb |
発育促進効果有り |
発育促進効果有り |
10nM |
2.3ppb |
対照群と差なし |
対照群と差なし |
10μM |
2300ppb |
対照群と差なし |
対照群と差なし |
100μM |
23000ppb |
対照群と差なし |
発育抑制効果有り |
食器からの 溶出基準値 |
2500ppb |
− |
− |
表1における100μMでの発育抑制効果は、毒性発現だと解釈されていますが、1nMや3nMでの発育促進効果は、毒性を示すものかどうかわかりません。しかし、これほどの低用量でも雌マウスの初期胚に対して内分泌攪乱作用を示す可能性が示唆されたことは、内分泌撹乱化学物質問題の研究において、とても注目すべき結果だと思われます。
さらに堤教授らの研究グループは、ヒトの生体中におけるビスフェノールAの濃度を表2のように測定しています[8]。
表2 ヒトの生体試料中におけるビスフェノールAの濃度([8]をもとに作成)
生体試料液 |
ビスフェノールAの濃度 |
|
正常者血清中 |
0.8- 3 ng/mL |
0.8- 3 ppb |
卵胞液中 |
4.7- 8.6 ng/mL |
4.7- 8.6 ppb |
羊水中 |
1.3 ng/mL |
1.3 ppb |
*ppbへの換算は、ヒト血清、卵胞、羊水の比重を1として試算。
表1と表2とを比較してヒトへの影響について判断することはできませんが、現在のヒトの体内に存在する濃度のビスフェノールAによって、特に妊婦と産まれてくる子供に対してどのような影響を与えているか早急に調査する必要があることは明らかです。近年になって産まれている子供達に、何らかの生殖系への影響が出ている可能性が疑われます。
誤解しないでいただきたいのは、ヒトへの影響が明らかになったわけではないということです。現在私たちの体内に存在するビスフェノールAは影響を生じないかもしれません。しかし予防を心がけるならば、特に妊婦はビスフェノールAをできるだけ体内に取り込まないよう努力することが大切だと思われます。食器や歯科用材料など、飲食を通じてビスフェノールAを体内に取り込む可能性がある経路では、できるだけポリカーボネート製品やエポキシ樹脂を使用した製品を使用しないようにすることが、予防の観点から重要だと思われます。
Author:東 賢一
<参考文献>
[1] 河村葉子、前原玉枝et al., 日本内分泌攪乱化学物質学会第2回研究発表会, 9-10, December 1999
“プラスチック製器具・容器包装中のノニルフェノール”
[2] Vom Saal FS, Cooke PS, Buchanan DL,
Palanza P, Thayer KA, Nagel SC, Parmigiani
S, Welshons WV, Toxicology and
Industrial Health, Vol.14, No1-2, p239-60,
1998
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/htbin-post/Entrez/query?uid=9460178&form=6&db=m&Dopt=b
"A physiologically based approach to
the study of bisphenol A and other estrogenic
chemicals on the size of reproductive organs,
daily sperm production, and behavior."
[3] Susan C. Nagel, Frederick S. vom Saal
et al., Environmental health Perspective,
Vol 105, No. 1, p70-76, January 1997
http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/1997/105-1/nagelabs.html
“Relative Binding Affinity-Serum Modified
Access (RBA-SMA) Assay Predicts the Relative
In Vivo Bioactivity of the
Xenoestrogens Bisphenol A and Octylphenol”
[4] KEMBRA L. HOWDESHELL, ANDREW K.
HOTCHKISS, KRISTINA A. THAYER, JOHN G. VANDENBERGH
& FREDERICK S. VOM SAAL,
Nature, Vol.401, No.6755, p763, 21 October
1999
"Environmental toxins: Exposure to
bisphenol A advances puberty"
[5] SZ Cagen, JM Waechter Jr, SS Dimond,
Toxicological
Sciences, Volume 50, Issue 1, pp. 36-44,
July 1999
http://www3.oup.co.uk/toxsci/hdb/Volume_50/Issue_01/500036.sgm.abs.html
“Normal reproductive organ development in
cF-1 mice following prenatal exposure to
bisphenol A”
[6] 第2回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウムのパネルディスカッションにおける質疑応答, December 11, 1999
[7] 堤 治, 第2回内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム, December 10, 1999
“着床前初期胚を用いた内分泌攪乱物質の低用量作用の検出”
[8] 久保田 徹、堤 治et al., 日本内分泌攪乱化学物質学会第2回研究発表会, 9-10, December 1999
“生体試料中のビスフェノールA測定ELISAキットの開発”