胎児における環境汚染影響の分子疫学的研究
1999年6月3日
CSN #059
環境汚染物質が妊娠中の胎児に影響を及ぼす場合を考える時、妊娠4〜15週頃までの「催奇形性」と、妊娠16週以降の「胎児毒性」がある。奇形を起こすかどうかという点からは、妊娠2〜3ヶ月の時期がもっとも問題になる。体の主だった臓器ができるのは妊娠2ヶ月の時期で、妊娠4ヶ月の半ば(妊娠14週)にはほぼ体はできあがっている。妊娠5ヶ月以降の場合は、胎児の発育、臓器の機能発達への影響が考えられる。
つまり、女性の妊娠期間中は、胎児の臓器組織の大部分が形成される時期であり、周囲の環境に非常に敏感な時期である。とりわけ最近では内分泌攪乱化学物質(俗称:環境ホルモン物質)曝露による妊娠期間中の胎児への影響が懸念されている。東京農工大、京都大、横浜市立大の共同研究チームの調査によると、食器などの素材になるポリカーボネートの原料「ビスフェノールA」と、洗浄剤などに使う界面活性剤が分解されてできる「ノニルフェノール」が胎盤内で母親と胎児を結ぶへその緒から検出されている。
今回紹介する化学物質は、多環芳香族炭化水素(PAHs:Polycyclic Aromatic Hydrocarbons)である。多環芳香族炭化水素(PAHs)は、ものが 燃える(不完全燃焼する)ときに発生する。例えば、タバコの煙、火を使って料理したり、石油・ガスの暖房をつける時に必ずと言ってよいほどPAHsが発生する。ものを燃やすことは、社会のあらゆる場所で毎日行われているので、PAHsは環境中(大気、水、土)に広く存在している。
PAHsの中には、強い発がん性を示すものや、発がんを促進させるものなどが数多く存在している。例えば、発ガン性のあるベンゾ[a]ピレン、ベンゾ[a]アントラセンなどが挙げられる。また、ジニトロピレン、ニトロピレンなどのニトロ多環芳香族炭化水素(NPAH 、ニトロアレンとも呼ぶ)類なども含まれている。多環芳香族炭化水素(PAHs)は、空気中で二酸化炭素と反応してニトロピレンなどのニトロ芳香族炭化水素を生成し、これらは大気中やディーゼル車の排出粉塵から検出されている。
約50種類もの化合物の総称であるPAHsを下記のサイトがまとめているのでご参考下さい。
「多環芳香族炭化水素(PAHs)データベース」
出典:豊橋技術科学大学 第5工学系 神野研究室
URL: http://chrom.tutms.tut.ac.jp/JINNO/DATABASE_J/00alphabet_j.html
また、国連欧州経済委員会 (UN/ECE:UN Economic Commission for Europe) は、残留性有機汚染物質( POPs: Persistent Organic Pollutants)として多環芳香族炭化水素(PAHsをリストに加えています。
今回紹介する研究論文は、妊娠期間中に喫煙を行った女性の胎児に対する健康影響に関する。
<情報源>
環境衛生展望(Environmental Health Perspectives)Volume 107, Supplement 3, June 1999.
URL: http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/1999/suppl-3/451-460perera/abstract.html
<研究者及び所属>
1) Frederica P. Perera, Virginia Rauh, Robin
M. Whyatt
米コロンビア大学、ジョセフ・メールマン公衆衛生学校
Joseph L. Mailman School of Public Health at Columbia University, New York, New York USA
2) Wieslaw Jedrychowski
ジャギロニア大学、医科大学(ポーランド)
College of Medicine, Jagiellonian University, Krakow, Poland
<概要>
1) 緒言
ポーランドで行われた本研究では、多環式芳香族炭化水素 (PAH)、微粒子状物質、タバコの煙 (ETS:environmental tobacco smoke)などの、日常生活環境における環境汚染物質曝露が胎児に及ぼす影響について調査した。また、これら空気汚染とタバコの煙(ETS)の胎内曝露における危険性を判断するため、分子レベルの疫学的研究結果を報告している。
2)実験方法
160人の母親と160人の新生児で研究が行われた。この研究では、チトクロームP450 (Cytochrome P450: CYP)をバイオマーカーとして用いた。CYPは、生体が有する化学物質等の生体外異物を代謝する生体防御機構において重要な働きをしている酵素群の総称であり、特定の化学物質やホルモン刺激により誘導を受けることが知られている。そのため、この性質を利用して環境汚染のバイオマーカーとして用いられる。また肺癌発生には、タバコ煙曝露による芳香族炭化水素(PAHs)のDNAへの結合が深く関与していると考えられており、健康影響の指標としてPAH-DNA付加体量を測定した。
3)結果と考察
PAHsなどによる空気汚染は、母親と胎児(へその緒を測定)の白血球 (WBC)において、 PAH-DNA付加体量との間に有意な関連性を示した(p 3/4 0.05)。
中央値よりもかなり高いPAH-DNA付加体量上昇を示した新生児は、低PAH-DNA付加体量新生児135人と比較して、有意に出生体重 (p = 0.05)、出生長さ (p = 0.02)、頭囲 (p = 0.0005)が減少した。
母親と新生児のコチニン(タバコに含まれるニコチンの代謝産物)濃度は、母親のタバコ煙への曝露によって増加した (p 3/4 0.01)。
新生児の血清中コチニン(ナノグラム/リットル程度の微量)濃度増加とともに、出生体重 (p = 0.0001)、出生長さ (p = 0.003)が減少した。
PAH-DNA付加体量は母親の胎盤組織と新生児の白血球において向上した。また、PAH-DNA付加体量が増加した新生児白血球は、制限酵素CYP1A1 MspI制限断片長多型(restriction fragment length polymorphism : RFLP)に対して異型接合あるいは同型接合であった。
PAH-DNA付加体量とコチニン濃度は、母親よりも新生児の方がはるかに高かった。これらの結果は、母親から胎児へPAHやETSが胎盤で移動していることを立証している。
母親と新生児の白血球中PAH-DNA付加体量濃度は、周囲の空気汚染によるPAHs曝露とともに増加した。また、胎児は母親よりも遺伝的ダメージに対して敏感である。
4)まとめ
この研究結果から、胎児が母親の胎盤を通じてPAHsに曝露し、胎児の発育に影響を与えることがわかる。またそれは分子レベルの疫学的研究により立証されている。
出生児の頭囲が小さいことは、認識機能の低さと知能指数の低さに関連があるという報告が多数ある。今回の研究結果は、妊娠期間中の母親の有害物質への曝露と公衆衛生上重要な関連性があることを示唆している。