アメリカの微量有害物質排出規制報告の強化
1999年11月28日
CSN #111
私たちの健康や生態系に影響を及ぼす化学物質は多数あります。しかし、その中でもある基準をもとに、特に重要として選ばれている化学物質があります。その1つは、国連環境計画(UNEP)や国連欧州経済委員会(UN/ECE)が定めている残留性有機汚染物質(POPs: Persistent Organic Pollutants)です。残留性有機汚染物質(POPs)は、環境中への残留性や、食物などを通じて摂取した生物における生体蓄積性と有害性を有し、人間の健康や生態系に影響を及ぼす化学物質で、表1示す化学物質がリストアップされています。
表1 残留性有機汚染物質(POPs)リスト([1]をもとに加筆作成)
組織 |
分類 |
化学物質 |
国連環境計画の対象リスト |
農薬 |
DDT、アルドリン、エンドリン、クロルデン、ディルドリン、トキサフェン、ヘキサクロロベンゼン、ヘプタクロル、マイレックス |
工業用化学物質 |
ポリ塩化ビフェニル類(PCBs) |
|
非意図的生成物 |
ダイオキシン類 |
|
国連欧州経済委員会による追加物質(UNEPのリストに右記化学物質を追加) |
農薬 |
リンデン(γ-HCH、ヘキサクロロシクロヘキサン)、クロルデコン、 |
難燃剤 |
ヘキサブロモビフェニル |
|
非意図的生成物 |
多環芳香族炭化水素 |
一方アメリカでは、独自に難分解生体蓄積性有害化学物質(PBT: Persistent Bioaccumulative Toxic)というよく似た概念を作り[2] 、12の化学物質が優先取り組み物質としてリストアップされています[3]。難分解生体蓄積性有害化学物質(PBT)は、有害性、環境中での残留性、食物連鎖における生体蓄積性を有し、ヒトの健康や生態系にリスクを与える化学物質を対象としています。表2にそのリスト示します。
表2 アメリカ環境保護庁(USEPA)による優先PBT([3]をもとに加筆作成)
分類 |
化学物質 |
農薬 |
DDT、アルドリン、クロルデン、ディルドリン、トキサフェノン、ヘキサクロロベンゼン、マイレックス |
工業用化学物質 |
ポリ塩化ビフェニール(PCBs)、アルキル鉛、水銀及びその化合物、オクタクロロスチレン |
非意図的生成物 |
ベンゾ(a)ピレン、ダイオキシン類 |
※太字は、残留性有機汚染物質(POPs)と同じリストの化学物質
現在日本では、PRTR(環境汚染物質排出移動登録)が検討されています。PRTRとは、「有害性のある化学物質の環境への排出量及び廃棄物に含まれた場合の移動量を登録して公表する仕組み」であり、行政庁が事業者の報告や推計に基づき、対象化学物質の大気、水、土壌への排出量や、廃棄物に含まれた場合の移動量を把握集計し、公表するものです[4]。
1999年7月13日付けで「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」(平成11年7月13日公布法律第86号)」が公布されており、対象となる化学物質及び事業者等については、法律公布後9ヶ月以内に政令で指定されることになっており、現在立案し公表されています[5]。対象となる化学物質としては、356の「第一種指定化学物質」と、83の「第二種指定化学物質」が立案されています。PRTRは、事業者による化学物質の自主的な管理改善を促進し、環境保全上の支障を未然に防止することを目的としています[5]。
日本のPRTRのモデルとなったのが、アメリカの有害化学物質排出目録(TRI: Toxics Release Inventory)で、1986年の「緊急計画・地域社会知る権利法(EPCRA)第313条:Emergency Planning and Community Right-to-Know Act」と1990年の「汚染防止法(PPA)第6607条:Pollution Prevention Act」に基づいているデータベースです。TRIは、指定された製造業者の施設が、使用量、製造量、取扱量、輸送量、環境中への排出量を報告するもので、640以上の化学物質が対象とされています。この目録の情報を使って、一般市民、企業、政府は、土壌、大気、水を保護するために共同ワークできます[2]。
TRIに関してアメリカ環境保護庁(USEPA)は、1999年10月29日にアメリカ連邦公報(Federal Register)で、「緊急計画・地域社会知る権利法(EPCRA)第313条」のリストに、非意図的生成物のためこれまで対象とされなかった、難分解生体蓄積性有害化学物質(PBT)であるダイオキシン類(PCDDs+PCDFs)を追加することと、一部のPBT化学物質の報告基準値を引き下げると発表しました[6][7]。
ダイオキシン類の追加措置は、発癌性、長期にわたるヒトの健康への影響、重大な環境汚染を引き起こすなどのことから決定されました。またこの規制は、1999年12月31日に発効し、2000年1月1日に施行される予定です。これまでの規制では、報告基準値として次の条件を満たす製造業者の製造施設が対象でした[6][7]。
EPCRA第313条で定められた640種類以上の化学物質または28種類の化学物質カテゴリーを、1年間に25,000(11.34トン)ポンド以上処理(製造または加工)、あるいは指定化学物質またはカテゴリーを10,000(4.54トン)ポンド以上使用
今回の改正で新たに設定される報告基準値を表3示します[6]。
表3 緊急計画・地域社会知る権利法(EPCRA)第313条のPBT化学物質の新報告基準値([6]をもとに作成)
化学物質 |
概要 |
報告基準値 |
|
ポンド |
キロ |
||
アルドリン(Aldrin) |
有機塩素系農薬、現在製造販売禁止 |
100 |
45.4 |
ベンゾ(g,h,i)ピレン (Benzo(g,h,i)perylene) |
多環芳香族炭化水素(PAHs)の1つ |
10 |
4.5 |
クロルデン(Chlordane) |
有機塩素系農薬、シロアリ駆除剤、現在製造販売禁止 |
10 |
4.5 |
ダイオキシン類(新たにTRIリストに追加) 1,2,3,4,6,7,8- 七塩化ジベンゾフラン |
廃棄物の焼却、農薬製造、紙パルプ製造などの過程で生成する副産物 |
0.1グラム |
|
ヘプタクロル(Heptachlor) |
有機塩素系農薬、シロアリ駆除剤、現在製造販売禁止 |
10 |
4.5 |
ヘキサクロロベンゼン(Hexachlorobenzene) |
有機塩素系殺菌剤、除草剤の原料、現在製造販売禁止 |
10 |
4.5 |
イソドリン(Isodrin) |
有機塩素系農薬 |
10 |
4.5 |
メトキシクロル(Methoxychlor) |
有機塩素系農薬、米国ではまだ農薬登録中 |
100 |
45.4 |
オクタクロロスチレン(Octachlorostyrene) |
有機塩素系化合物製造時の副生成物 |
10 |
4.5 |
ペンディメタリン(Pendimethalin) |
芳香族ニトロ系除草剤、植物成長調整剤 |
100 |
45.4 |
ペンタクロロベンゼン(Pentachlorobenzene) |
有機塩素系殺虫剤 |
10 |
4.5 |
多環芳香族炭化水素(PAHs) ベンゾ(a)アントラセン, ベンゾ(b)フルオランテン |
ものが燃えるときに発生する副産物 |
100 |
45.4 |
ポリ塩化ビフェニール(PCBs) |
絶縁油、熱媒体、現在製造販売禁止 |
10 |
4.5 |
テトラブロモビスフェノールA |
臭素系難燃剤、プリント基板、パソコンの筐体など樹脂の難燃用 |
100 |
45.4 |
トキサフェン(Toxaphene) |
有機塩素系殺虫剤、現在使用禁止 |
10 |
4.5 |
トリフルラリン(Trifluralin) |
芳香族ニトロ系除草剤 |
100 |
45.4 |
水銀 |
電池、体温計など |
10 |
4.5 |
水銀化合物 |
有機水銀があり使用規制 |
10 |
4.5 |
表3から明らかなように、PBTの中で特に重要な化学物質は、これまでの1/10から1/100の報告基準値に引き下げられます。つまり、100ポンドあるいは10ポンド以上使用している製造業者の施設は、TRIを報告する必要があるということです。
また、焼却炉や化学品製造プロセス、農薬製造プロセスの副産物であるダイオキシン類は、その毒性と生体蓄積性が極めて問題なので、TRI対象物質として追加され、報告基準値として0.1グラムが設定されています。ENSニュースでは、この件に関して様々な立場の方々のコメントを掲載しています[7]。クリントン大統領のコメントを表4に、化学製造協会の一員で塩素会議の事務局長であるKip Howlett氏のコメントを表5に、アメリカ公共利益調査グループ(US PIRG)のコメントを表6に示します。それぞれの立場で、様々な意見を述べているのがよくわかります。
表4 TRIの報告基準値引き下げに関するクリントン大統領のコメント([7]をもとに作成、わかりやすくするため多少表現を変えています。)
No |
コメント内容 |
1 |
アメリカ合衆国は、わずかな量でも深刻な健康影響や環境問題を引き起こす環境蓄積性有するダイオキシン類のような有害化学物質に関して報告義務を強化する。 |
2 |
私たちは、水銀、ダイオキシン、ポリ塩化ビフェニール(PCBs)など、これまで知られている危険な化学物質から国民を守るために行動している。 |
3 |
これらの化学物質には2つの懸念がある。
|
4 |
産業界に対し、どれほど大気や河川を汚染しているか社会に報告するよう要求することで、私たちは次の2つの権利を与える。
|
5 |
私たちはこの情報を活用することによって、国民が毎日呼吸する大気や、毎日飲む飲料水に潜む危険に悩む必要がなくなる時を、1日でも早めることが出来る。 |
6 |
国民は、汚染を減少するために産業界へ圧力をかけることが可能になるのだと理解してほしい。産業の発達による有害汚染は、TRIを開始して以来、10年間で50%減少した。 |
表5 TRIの報告基準値引き下げに対する化学製造協会Kip Howlett事務局長の反論([7]をもとに作成)
No |
コメント内容 |
1 |
産業界に要求する報告書は、排出物の毒性を明確にすることは要求しないので、国民に対して不必要な警告になりかねない。私たちは、確かに国民に意義ある情報を知らせることは正しいと思う。私たちは、この規制が国民に有意義な情報を提供しないと考えており、大きな失望を抱いている。 |
2 |
新しいEPA規則は、報告すべき汚染物質の排出量は排出物の全固体重量に基づくのであって、汚染物質の毒性に基づくのではないと明確に述べている。それは国民にとって、意味のない情報へのアクセス権を持つだけであり、単に国民を怖がらせるだけである。 |
表6 TRIの報告基準値引き下げに対するアメリカ公共利益調査グループ(US PIRG)のコメント([7]をもとに作成)
No |
コメント内容 |
1 |
私たちはEPAの新しい規制は、連邦政府が「産業界の主要な抜け穴」を閉じる方向に向かう「重大なステップ」と呼ぶ。 |
2 |
私たちは1998年11月の報告で、PBT汚染物質の少なくとも90%は、現在の規制では報告基準値が高すぎるため報告されてないということを見つけだした。報告基準値を引き下げ、科学界で最強の有毒化学物質の1つであるダイオキシン類を報告書のリストに加えることで、国民に対して新しい保護を提供するだろう。 |
3 |
ただしこの新しいEPAの規制には次の不十分な点がある。
|
ここで改めて、日本のPRTRと新規制のアメリカのTRIを比較すると、表7のようになります。
表7 日本のPRTRと新しい規制を含むアメリカのTRI([2][5][6]をもとに作成)
項目 |
日本のPRTR(案) |
アメリカのTRI |
|
報告対象 |
指定化学物質取扱事業者特別案件
|
製造業者の施設 |
|
報告 |
作業員 |
常勤作業員21人以上 |
常勤作業員10人以上 |
化学物質の種類数 |
439種類 |
640種以上
|
|
数量(年間) |
1トン(いずれかの第一種指定化学物質) |
11.34トン |
*廃掃法:廃棄物の処理及び清掃に関する法律
単純に比較できませんが、アメリカは今回の特定PBTに対する報告基準値を引き下げることによって、PBTに関しては日本が立案しているPRTRよりも厳しい条件とすることになります。
国によって産業構造が多少異なるため、問題とする化学物質の優先順位や基準値が少なからず異なる場合があります。アメリカのTRIの新規制に関しては、政府、化学工業界などがお互いの立場から様々な意見を述べています。しかし、私たちの健康や生態系への影響を考慮し、より厳しい規制を設けることによって、産業界が自主的に化学物質の管理改善を促進し、私たちの健康や生態系への影響負荷が少なくなるように社会が変化してほしいと思います。
Author:東 賢一
<参考文献>
[1] 残留性有機汚染物質(POPs)、国立医薬品食品衛生研究所化学物質情報部
http://www.nihs.go.jp/hse/chemical/pops/index.html
[2] Toxics Release Inventory (TRI), Environmental Protection Agency (EPA)
http://www.epa.gov/opptintr/tri/
[3] Priority PBTs, Environmental Protection Agency (EPA)
http://www.epa.gov/opptintr/pbt/home.htm
[4] PRTR(環境汚染物質排出移動登録)について:環境庁
http://www.eic.or.jp/eanet/prtr/risk0.html
[5] 「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」に係る対象化学物質、製品の要件及びPRTR対象事業者の案に対する意見の募集について、中央環境審議会環境保健部会事務局(環境庁環境保健部環境安全課)、1999年11月19日(金)
http://www.eic.or.jp/kisha/199911/66207.html
[6] Federal Register(アメリカ連邦公報), Vol. 64, No. 209, p58665-58753, October
29, 1999
http://www.access.gpo.gov/su_docs/fedreg/a991029c.html
"Superfund program: Toxic chemical release
reporting; community right-to-know-- Persistent
bioaccumulative toxic (PBT) chemicals; reporting
thresholds lowered, etc., ", Environmental
Protection Agency
[7] Cat Lazaroff, Environment News Service (ENS), Nov 1. 1999
http://ens.lycos.com/ens/nov99/1999L-11-01-06.html
"Tiny Toxic Releases Must Now Be Reported"