WHOの空気質ガイドラインと室内濃度指針値
2001年11月5日
CSN #211
室内空気中の化学物質汚染による健康影響問題が国内で大きな懸念事項となっており、厚生労働省による室内濃度指針値策定作業が進められています。厚生労働省による室内濃度指針値策定方針を表1に、これまで策定された室内濃度指針値を表2に、審議継続中である室内濃度指針値を表3に示します。
表1 厚生労働省の室内濃度指針値策定方針([1]をもとに作成)
No. |
指針値策定方針 |
1) |
WHOの空気質ガイドライン[2]等で指針値が提示されている化学物質 |
2) |
住環境内における揮発性有機化合物の全国実態調査等[3]の結果、室内濃度及び室内濃度/室外濃度(I/O)比が高く、個人暴露濃度/室内濃度(P/I)比が1を大幅に上回っていないもの |
3) |
パブリックコメントから特に要望のあった事項 |
4) |
外国で新たな規制がかけられたこと等の理由により、早急に指針値策定を考慮する必要がある物質 |
5) |
これまで指針値を策定した*4物質の用途(溶剤、接着剤、防虫剤)に加え、他の主要な用途に使用されている物質 |
6) |
これまで指針値を策定した*4物質の構造分類(アルデヒド・ケトン類、芳香族炭化水素、ハロゲン化炭化水素類)に加え、他の主要な構造分類に分類される物質 |
*これまで指針値を策定した4物質とは、ホルムアルデヒド、トルエン、キシレン、パラジクロロベンセン
表2 厚生労働省が策定した室内濃度指針値(2001年12月3日時点、[1][4][5][6]をもとに作成)
化学物質* |
毒性指標 |
室内濃度指針値 |
|
μg/m3 |
ppm |
||
ホルムアルデヒド1) |
ヒト吸入暴露における鼻咽頭粘膜への刺激 |
100 |
0.08 |
トルエン1),2) |
ヒト吸入暴露における神経行動機能及び生殖発生への影響 |
260 |
0.07 |
キシレン1),2) |
妊娠ラット吸入暴露における出生児の中枢神経系発達への影響 |
870 |
0.20 |
パラジクロロベンゼン1),2) |
ビーグル犬経口暴露における肝臓及び腎臓等への影響 |
240 |
0.04 |
エチルベンゼン1),2),3) |
マウス及びラット吸入暴露における肝臓及び腎臓への影響 |
3,800 |
0.88 |
スチレン1),2) |
ラット吸入暴露における脳や肝臓への影響 |
220 |
0.05 |
クロルピリホス4),5) |
母ラット経口暴露における新生児の神経発達への影響及び新生児脳への形態学的影響 |
1 |
0.00007 |
小児0.1 |
小児0.000007 |
||
フタル酸ジ-n-ブチル1),3),5) |
母ラット経口暴露における新生児の生殖器の構造異常等への影響 |
220 |
0.02 |
テトラデカン2),6) |
C8-C16混合物のラット経口暴露における肝臓への影響 |
330 |
0.04 |
フタル酸ジ-2-エチルヘキシル3),5) |
ラット経口暴露における精巣への病理組織学的影響 |
120 |
0.0076** |
ダイアジノン4),5) |
ラット吸入暴露における血漿及び赤血球コリンエステラーゼ活性への影響 |
0.29 |
0.00002 |
アセトアルデヒド1) |
ラットに対する経気道曝露による鼻腔嗅覚上皮への影響 |
48 |
0.03 |
フェノルカルブ5) |
ラットに対する経口混餌反復投与毒性におけるコリンエステラーゼ(ChE)活性阻害等への影響 |
33 |
0.0038 |
総揮発性有機化合物量(TVOC)1),3) |
国内の室内VOC実態調査の結果から、合理的に達成可能な限り低い範囲で決定 |
暫定目標値 |
− |
*1)-6)は表1の指針値策定方針のNo.を示す
**フタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)の蒸気圧については1.3×10−5Pa(25度)から8.6×10−4Pa(20度)など多数の文献値があり、これらの換算濃度はそれぞれ0.12から8.5ppb相当
表3 厚生労働省が審議中の室内濃度指針値(2001年12月3日時点、[1][4][5][6]をもとに作成)
化学物質 |
毒性指標 |
室内濃度指針値 |
|
μg/m3 |
ppm |
||
ノナナール2),6) |
C8-C12混合物のラット経口暴露における毒性学的影響 |
41 |
0.007 |
表1に示す指針値策定指針に基づいて、表2の室内濃度指針値が策定されていますが、厚生労働省によると、最終的には約50種類の化学物質に対して室内濃度指針値が策定される予定となっています。また、室内濃度指針値策定には、膨大な数の文献を精査する必要があり、その作業はさらに数年ほど必要であると想定されます。
室内濃度指針値は、数ヶ月毎に発表され、そのたびに対応を検討しなければなりません。そのため表1に示す1)から6)の指針値策定方針を参考に、事前に指針値を予測し、あらかじめ調査及び対策を検討することが重要であると思われます。
そこで本報では、WHOが1999年12月に公表した空気質ガイドライン[2]の全てを示します。WHOの空気質ガイドラインの目的は、(a)空気汚染から公衆衛生を保護すること、(b)有害汚染物質への曝露の試算と最小限化、(c)各国の空気質基準値の策定支援、(d)空気汚染から公衆衛生を保護する行政官や専門家の指導であり、6種の古典的な大気汚染物質以外に、39種の非発がん性物質と16種の発がん性物質に対してガイドラインまたは許容濃度が定めされています。表4に健康影響の観点から定められたガイドライン一覧表を、表5に発がん性の観点から定められたガイドライン一覧表を示します。
表4 健康影響の観点から定められたWHO空気質ガイドライン([2]をもとに作成)
分類 |
化学物質 |
健康ベースの |
ガイドライン値** |
平均曝露時間 |
古典的な大気汚染物質 |
一酸化炭素 |
一酸化炭素ヘモグロビン(COHb)の限界濃度 |
100,000 |
15分 |
60,000 |
30分 |
|||
30,000 |
1時間 |
|||
10,000 |
8時間 |
|||
オゾン |
呼吸機能反応 |
120 |
8時間 |
|
二酸化窒素 |
喘息患者の肺機能のわずかな変化 |
200 |
1時間 |
|
40 |
1年間 |
|||
二酸化硫黄 |
喘息患者の肺機能変化 |
500 |
10分 |
|
呼吸症状の悪化 |
125 |
24時間 |
||
感受性の強い人たち |
50 |
1年間 |
||
浮遊粒子状物質(SPM) |
現在ガイドライン設定できず。健康影響が大きいPM2.5など、さらなる研究が必要 |
|||
鉛 |
血中鉛の限界濃度 |
0.5 |
1年間 |
|
有機汚染物質 |
アセトアルデヒド |
人への刺激 |
2,000(TC) |
24時間 |
ラットの刺激に関連した発がん性 |
50 |
1年間 |
||
アセトン |
不快な臭い |
n.p. |
− |
|
アクロレイン |
人の眼の刺激と不快な臭い |
50 |
30分 |
|
アクリル酸 |
マウスの鼻の障害 |
54 |
1年間 |
|
2-ブトキシエタノール |
ラットの血液毒性 |
13,100 (TC) |
1週間 |
|
二硫化炭素 |
労働者の中枢神経機能の変化 |
100 |
24時間 |
|
不快な臭い |
20 |
30分 |
||
四塩化炭素 |
ラットの肝毒性 |
6.1(TC) |
1年間 |
|
1,4-ジクロロベンゼン |
尿中のタンパク質 |
1,000 (TC) |
1年間 |
|
ジクロロメタン |
健常者の一酸化炭素ヘモグロビン(COHb)形成 |
3,000 |
24時間 |
|
2-エトキシエタノール |
ラットの発達への影響 |
n.p. |
1年間 |
|
2-エトキシ酢酸エチル |
ラットの発達への影響 |
n.p. |
− |
|
エチルベンゼン |
臓器重量の増加 |
22,000 |
1年間 |
|
フッ化物 |
家畜における影響 |
1 |
1年間 |
|
ホルムアルデヒド |
人の鼻や喉の刺激 |
100 |
30分 |
|
ヘキサクロロシクロペンタジエン |
ラットの呼吸への影響 |
n.p. |
1年間 |
|
硫化水素 |
人の眼への刺激 |
150 |
24時間 |
|
不快な臭い |
7 |
30分 |
||
イソフォロン |
不快な臭い |
− |
30分 |
|
2-メトキシエタノール |
ラットの発達毒性 |
n.p. |
− |
|
臭化メチル |
ラットの繁殖指数の減少 |
n.p. |
− |
|
メタクリル酸メチル |
齧歯類の嗅覚上皮の退化 |
200(TC) |
1年間 |
|
モノクロロベンゼン |
食事量の減少、臓器重量の増加、血中パラメーターの変化 |
500(TC) |
1年間 |
|
1-プロパノール |
妊娠ラットの生殖 |
n.p. |
− |
|
2-プロパノール |
ラットの発達毒性 |
n.p. |
− |
|
スチレン |
労働者の神経影響 |
260 |
1週間 |
|
不快な臭い |
7 |
30分 |
||
テトラクロロエチレン |
労働者の腎臓影響 |
250 |
24時間 |
|
不快な臭い |
8,000 |
30分 |
||
1,1,1,2-テトラフルオロエタン |
動物の発達毒性 |
n.p. |
− |
|
トルエン |
労働者の中枢神経影響 |
260 |
1週間 |
|
不快な臭い |
1,000 |
30分 |
||
1,3,5-トリクロロベンゼン |
ラットの呼吸器上皮 |
200(TC) |
1年間 |
|
1,2,4-トリクロロベンゼン |
ラットの尿中ポルフィリンの増加 |
50(TC) |
1年間 |
|
キシレン |
人の中枢神経影響 |
4,800 |
24時間 |
|
ラットの神経毒性 |
870 |
1年間 |
||
不快な臭い |
− |
30分 |
||
クロロホルム |
ビーグル犬の肝毒性 |
耐容一日摂取量(TDI) |
− |
|
クレゾール |
体重減少、マウスの身の震え |
一日摂取許容量(ADI) |
− |
|
フタル酸ジ-n-ブチル |
発達生殖毒性 |
一日摂取許容量(ADI) |
− |
|
ダイオキシン類 |
猿の子供の神経行動影響/子宮内膜症、ラットの子供の精子数減少/免疫抑制/性器奇形 |
耐容一日摂取量(TDI) |
− |
|
重金属 |
カドミウム(Cd) |
人の腎臓への影響 |
0.005 |
1年間 |
マンガン(Mn) |
労働者の神経毒性影響 |
0.15 |
1年間 |
|
無機水銀 |
人の尿細管への影響 |
1 |
1年間 |
|
バナジウム(V) |
労働者の呼吸器影響 |
1 |
24時間 |
|
その他 |
ディーゼル排気ガス |
人の慢性歯槽炎症 |
5.6 |
1年間 |
ラットの慢性歯槽炎症 |
2.3 |
1年間 |
*エンドポイントとは、研究デザインを考える際に、観察・測定を行って効果等を判定する具体的な影響評価項目のことを示す。エンドポイントとしては、例えば体重変化、死亡率、発症率、罹患率、血圧値の低下、症状の緩和、副作用の発現などがある。
**TC、n.p.
( )内のTCは耐容濃度(Tolerable
Concentration)、n.p.:未設定
表5 発がん性の観点から定められたWHO空気質ガイドライン([2]をもとに作成)
UR値:一生涯曝露した場合の発がんリスクを示す。
例)ベンゼン:1μg/m3の濃度に一生涯曝露すると、百万人のうち4.4- 7.5人が発がんする。
ヒ素:1 ng/m3の濃度に一生涯曝露すると、百万人のうち1.5人が発がんする。
分類 |
化学物質 |
健康ベースのエンドポイント |
UR値 |
IARC |
有機汚染物質 |
アセトアルデヒド |
ラットの鼻の腫瘍 |
(1.5-9) x 10-7 |
2B |
アクリロニトリル |
労働者の肺がん |
2 x 10-3 |
1 |
|
ベンゼン |
労働者の白血病 |
(4.4-7.5) x 10-6 |
1 |
|
ベンゾ-a-ピレン |
人の肺がん |
8.7x10-2 |
1 |
|
ビス(クロロメチル)エーテル |
ラットの上皮種 |
8.3x10-3 |
1 |
|
クロロホルム |
ラットの腎臓がん |
4.2x10-7 |
2B |
|
1,2-ジクロロエタン |
齧歯類の腫瘍形成 |
(0.5-2.8) x 10-6 |
2B |
|
多環芳香族炭化水素PAHs (BaP:ベンゾ-a-ピレン) |
人の肺がん |
8.7x10-2 |
1 |
|
1,1,2,2-テトラクロロエタン |
マウスの肝細胞性悪性腫瘍 |
(0.6-3.0)x 10-6 |
3 |
|
トリクロロエチレン |
ラットの精巣の細胞腫瘍 |
4.3 x 10-7 |
2A |
|
塩化ビニル |
労働者の血管肉腫 |
1 x 10-6 |
1 |
|
重金属 |
ヒ素(As) |
人の肺がん |
1.5 x 10-3 |
1 |
6価クロム(Cr) |
労働者の肺がん |
(1.1-13) x 10-2 |
1 |
|
ニッケル(Ni) |
人の肺がん |
3.8x 10-4 |
1 |
|
その他 |
ディーゼル排気ガス |
ラットの肺がん |
(1.6-7.1) x 10-5 |
2A |
間接喫煙(ETS)** |
人の肺がん |
10-3 |
− |
*IARC(WHOの国際がん研究機関)の発癌性分類
1:ヒトに対して発癌性を示す
2A:ヒトに対しておそらく発癌性を示す
2B:ヒトに対して発癌性を示す可能性がある
3:ヒトに対する発癌性について分類できない
**間接喫煙(ETS:喫煙者が吐き出した「呼出煙」や、たばこの先の燃焼部から発生する「副流煙」を吸い込む。)
私たちは、日常生活している時間の大半を室内で過ごしています。そしてその室内からは、屋外よりも高い濃度の有害性を有する化学物質が多数検出されており、室内で検出されている化学物質の数は数百種類を超えています[7]。可能な限り室内空気中の化学物質汚染を低減するために、関連業界においては、先を見据えた包括的な対策を行う必要があると思います。
Author: Kenichi Azuma
<参考文献>
[1]厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室,「室内空気汚染問題に関する検討会中間報告書−第1回〜第3回のまとめ」, June 26, 2000
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1206/h0629-2_13.html
[2] World Health
Organization (WHO), Geneva, Air Quality Guidelines, December 10, 1999
http://www.who.int/peh/air/Airqualitygd.htm
[3]厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室,「居住環境中の揮発性有機化合物の全国実態調査について」, December 14. 1999
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1112/h1214-1_13.html
[4]厚生省生活衛生局企画課生活化学安全対策室,「室内空気汚染問題に関する検討会中間報告書−第4回〜第5回のまとめ」, December 22, 2000
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1212/h1222-1_13.html
[5]厚生労働省医薬局審査管理課化学物質安全対策室,「室内空気汚染問題に関する検討会中間報告書−第6回〜第7回のまとめ」, July 24, 2001
http://www.mhlw.go.jp/houdou/0107/h0724-1.html
[6]厚生労働省医薬局審査管理課化学物質安全対策室,「室内空気汚染に係るガイドライン(案)−室内濃度に関する指針値案−」, October 11, 2001
[7]安藤正典:室内空気汚染と化学物質−第4回 室内空気中に存在する化学物質一覧,資源環境対策,33,pp.737-744,1997