血圧計からこぼれた水銀による中毒

(病院から借りた血圧計を家で使用)


1999年10月19日

CSN #103

水銀は、無臭で流動性がある銀色の液体金属で、加熱すれば激しく揮発します。体内への吸収経路としては、 飲食などによる経口摂取、皮膚との接触などによる経皮吸収、揮発した蒸気による経気吸入があります。経気吸入の危険性としては、水銀は20℃で気化し、空気が汚染されて極めて急速に有害濃度に達することがあると言われています[1] 

水銀は、身近なところでは、乾電池、蛍光灯、体温計、血圧計、気圧計などに用いられいます。体温計や血圧計などに含まれる金属水銀は、消化管からの吸収は極めて少なく、体温計1本分を誤食してもほとんど無毒で2-3日中に便中へ排泄されます。しかしながら、散らばった水銀を放置すると揮発して蒸気として吸入され、毒性を発現します。吸入された水銀蒸気は、肺で70-80%が吸収され、肺に高い濃度で沈着します[2] 

蒸気吸入では、頭痛、痙攣、呼吸困難、肺水腫、気管支刺激症状、下痢、腹部痙攣、視力減退、流涎、嘔吐、肝不全、腎不全、発熱、悪寒などの症状が発生する可能性があります。また、蒸気吸入や皮膚接触では、全身の皮疹、浮腫などの症状が発生する可能性があります[2]。中枢神経系や腎臓に影響を与え、情緒および精神不安定、認識障害、言語障害が生じることがあり、特に、妊娠中の女性、子供、乳幼児への暴露は避けなければなりません[1]。内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)のリストにあげられており、生殖器系への影響や、内分泌系への影響があるとされています[3] 

最近は、手軽さの面から電子体温計やデジタル血圧計が使われることが多くなり、金属水銀を用いた体温計や血圧計はあまり使われくなりました。しかしながら、水銀を用いた体温計や血圧計などの医療器具は現在でも使われており、国内でも体温計に関する中毒の受信件数が、1996年で762件あり、全体の2.2%を占めています[4] 

このような家庭で使われる医療器具に関する水銀中毒の症例について、199987日付けの英医学会雑誌(BMJ)で、英国王立病院のA C Rennie博士らが報告しました[5]。最近は、血圧計などの医療器具が手軽に購入できるようになっており、家庭で医療器具を使う機会が増えると考えられます。この報告の医師らは、水銀などの中毒物質が使用されている医療器具の取り扱いと、水銀中毒の危険性に関する知識を身に付けることの大切さを呼びかけています。 

この報告の医師らは、9歳の少年が自宅のベッドの上で水銀血圧計を分解し、ベッドの上とじゅうたんの上に水銀をこぼし、母親に知らせるまで1日から2日間そのまま遊んでいたことが原因で、神経上及び腎臓の疾患にかかった状況について報告しています[5] 

この少年が分解した水銀血圧計は、少年の兄弟がネフローゼ症候群(腎臓症)のため腎臓移植を行い、自宅で血圧を測定するために病院から支給されたものでした。そして、水銀血圧計が支給されて3ヶ月後に水銀血圧計を分解し、こぼれた水銀に曝露しました。また、家族は水銀中毒の危険性に関して知識がありませんでした 

少年は、腹部の痛み、便秘、無気力感、手足の痛み、情緒不安定感を訴え始めてから3週間経った後、近くの地方病院で診察を受けました。身体検査でやや衰弱した表情、反射消失障害、運動失調障害、感覚障害が示され、一時的にギラン・バレー症候群と診断されました。しかし少年は、字を書くことがしだいにできなくなり、学校の成績が低下し、脳障害の特徴である末梢神経障害が確認され、重金属中毒が疑われました。 

鉛に曝露した形跡はなく、鉛製の配管や鉛を使用した絵の具(油絵の具など)を自宅で使ったからではありませんでした。そしてさらに調査したところ、その少年は3ヶ月前に、自宅のベッドの上で水銀血圧計を分解し、ベッドの上とじゅうたんの上に水銀をこぼし、母親に知らせるまで1日から2日の間、そのまま遊んでいたことがわかりました。そして、母親は電気掃除機で吸い取りトイレに流して処置しました。 

この少年の血清中の水銀濃度は、正常値30 nmol/l以下(1リットル当たり、30ナノモル:ナノは10億分の1)に対し、1000 nmol/l検出されました。そのため、第3小児科センターで詳しく診察されました。しかしその時すでに、物を持ち上げることができなくなり、手の感覚がなくなっていた。身体検査でこの少年は、運動失調障害、反射消失障害を示し、断続的に攻撃的になったり意識がもうろうとしていました。 

この少年に対する治療は、ナトリウム-(2,3)-ジメルカプトプロパン-(1)-スルホン酸塩(DMPS)の静脈注射が行われました。この化学物質は、キレート反応と呼ばれる結合反応で水銀と結合し、腎臓を経由して水銀を体外に排出する働きを持ちます。4日間徐々に静脈注射による投与量を減らしていき、症状が改善されるまで経口からの服用が続けられました。合計18日間治療を受け、この少年の血清中の水銀濃度と排尿中の水銀濃度は、図1のように減少しました。

 

少年以外の家族も血清中の水銀濃度が測定され、正常値より高い濃度が検出されましたが、治療が必要なほどではありませんでした。この少年の脳脊髄液からは水銀が検出されず、ややタンパク質濃度が1.9 g/lと高かった。高血圧症にかかり、時間はかかったが、抗高血圧剤による治療で治ることができました。しかし元の状態に回復するまで6ヶ月かかり、行動上の問題が残りました 

保健所の調査によると、少年の寝室(特にカーペットの周囲)の空気から高濃度の水銀が検出されました。ふとん、カーペット、衣類は廃棄処分され、揮発した水銀を吸着するフィルターシステムを3ヶ月間設置し、空気中から水銀が検出されなくなりました。

 

今回のような中毒症状や処置の事例は特異な事例ですが、温度計に使われているような少量の水銀であっても、特に子供では水銀中毒が起こり得ると、この医師らは述べています。また今回のケースに関連して、次の問題点を指摘ています[5]
 

現代の住宅設計が、カーペット仕様に合うよう設計されている。また部屋が隔離され、貧弱な換気装置が設置されているので、室内に揮発した水銀を長期間滞留させることになった。 

電気掃除機の使用が、収塵袋や掃除機のホースに溜まった水銀で室内に汚染を広げたり、再度汚染させる原因となった。 

水銀をこぼした場合、細心の注意を払って処置すべきで、電気掃除機は決して使うべきでない。保健所に相談し、処置方法に関して適切なアドバイスを受けるか、保健所に処置を依頼すべきである。 

カーペットは、板張りの床などと比べ、ほこりが目立たなく、ほこりが立ちにくいのですが、その反面有害物質を含んだほこりが溜まったり、有害物質がしみ込んだりすると、体がカーペットに接触することで、有害物質に曝露する危険性が高くなります。水銀に曝露した場合は、直ちに医師に相談すべきです。経気吸入、皮膚への接触に関する処置[1][2]について、表1にまとめましたのでご参考下さい。

表1 曝露経路別の急性症状と応急処置

曝露経路

急性症状

応急処置

経気吸入

腹痛、咳、下痢、息切れ、嘔吐

  • 新鮮な空気を取り入れ、鼻をかみ、うがいをさせ、安静にする。

  • 必要な場合には人工呼吸を行う。
  • 医療機関に連絡する。

皮膚への接触

吸収される可能性がある

  • 汚染された衣服を脱がせる。

  • 洗い流してから水と石鹸で皮膚を洗浄する。
  • 医療機関に連絡する。

Ahthor:東 賢一

 

<参考文献>

[1] 国際化学物質安全性カード(ICSC)日本語版、国立医薬品食品衛生研究所 (NIHS)、化学物質情報部(水銀のページを選択)
http://www.nihs.go.jp/ICSC/
 

[2] 「誤飲物質の毒性検索システム」外来小児科学ネットワーク
http://city.hokkai.or.jp/~satoshi/TOX/tox.html
 

[3] 「内分泌攪乱物質(Endocrine Disruptors)」国立医薬品食品衛生研究所 化学物質情報部(候補物質一覧から金属および金属化合物を選択)
http://www.nihs.go.jp/hse/endocrine/index.html
 

[4] (財)日本中毒情報センター
http://ichou.med.osaka-u.ac.jp/
 

[5] A C Rennie, M McGregor-Schuerman and others, the British Medical Journal (BMJ), Vol.319, Issue 7206, p366-367, 7 August 1999, 英医学会雑誌
"Mercury poisoning after spillage at home from a sphygmomanometer on loan from hospital"
http://www.bmj.com/cgi/content/full/319/7206/366


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