飲み水中のヒ素濃度と健康影響


1999年9月10日

CSN #095

ヒ素は、灰色ヒ素、黄色ヒ素、黒色ヒ素の3種の同素体があり、ヒ素単体あるいはヒ素化合物ともに猛毒です。またヒ素化合物としては、五酸化ヒ素、三塩化ヒ素、水素化ヒ素(アルシン、ヒ化水素)、三酸化二ヒ素(無水亜ヒ酸)など多数あり、ヒ素及びヒ素化合物は、国内では「毒物及び劇物取締法」の毒物に指定されています[1] 

またヒ素は、防蟻剤、殺虫剤、除草剤、塗料、壁紙、陶器類、医薬品及びガラスに使用されており、電子機器の半導体成分として、砒化インジウム、砒化ガリウムが用いられています。また住宅の不燃系内装材として一般に良く用いられる石膏ボードの原料である石膏にもヒ素が含まれている場合があります。 

19973月に、栃木県宇都宮市の石膏ボード廃棄物を主とする安定型最終処分場の浸出水に含まれたヒ素で、周辺の公共用水域が汚染される事例が発生しています。この時、社団法人 石膏ボード工業界が、国内1423工場の石膏ボード製品中のヒ素濃度を溶出試験によって調査した結果、1工場の石膏ボードから、汚泥の特別管理廃棄物の判定基準(砒素0.3mg/l)を越える 0.41mg/lのヒ素濃度が検出されました[2][3]。この結果に対して石膏ボード工業界は、原料の石膏の品質管理不備が原因とし、品質管理強化を行うと発表しています。このように、廃棄物から浸みだした浸出水にヒ素が含まれ、公共用水域が汚染される可能性があります。工場内での品質管理や廃棄物処分場での廃棄物の管理は、有害化学物質を環境中に放出しないようにするためには非常に重要です。 

ヒ素に関しては、日本国内では水道法などで基準値が設定されており、ヒ素の日本国内の水質基準はWHO(世界保健機関)と同じ0.01mg/l (10μg/l)[4]、各自治体が地下水、公共水域を監視しています。国内の各自治体が測定した結果では、ほとんど水質基準を越えるヒ素濃度は検出されていませんが、1997年度に愛知県が行った公共用水域及び地下水の水質調査結果によると、過去の調査で環境基準値を超過した砒素8地点の発端井戸と、周辺井戸をモニタリング測定した結果、8地点中砒素の最大値は、名古屋市中川区の発端井戸0.028mg/l (28ppb)で、8地点共にヒ素濃度の変化がありませんでした[5] 

日本国内では、国や自治体によって監視されている範囲内では、水質基準を上回るヒ素濃度はわずかしか検出されていませんが、海外では大きな問題となっている国や地域があり、健康影響との関連性に関して研究が行われています。 

アメリカのユタ州における飲み水中のヒ素濃度と死亡者数との関係について調査した結果によると、飲み水中のヒ素濃度の中央値が14-166ppbの地域は、高血圧心疾患や腎臓疾患、前立腺癌の疾患による標準化死亡比(SMR)1.4-2.2であったと報告しています[6]。つまり、全国レベルと比較して、飲み水中のヒ素濃度が14-166ppbと高い地域の人々は、死亡率が1.4-2.2倍高くなったことを示しています。 

またアメリカ政府が発行する科学雑誌「環境衛生展望」19999月号で、ヒ素とヒトの健康影響に関する疫学研究が2件報告されています。

 

スウェーデン健康環境省の職業と環境医学部門及びリンチェピング大学衛生科学部に所属するMartin Tondelらは、バングラディッシュにおける飲み水中のヒ素濃度と皮膚傷害の関連性について調査しました[7]。バングラディッシュの土壌はヒ素を豊富に含んでおり、ヒ素に汚染された地下水を飲んだ人々に大きな被害を与えています。研究者らは、ヒ素で汚染された井戸水を飲み水としている4つの村に住む、30歳代の人々1,481人を調査しました。その結果、合計430人の人々が皮膚障害(角化症、色素沈着過度、低色素沈着)疾患を有していたことが明らかとなりました。飲み水中のヒ素濃度は、10 - 2,040 μg/Lの範囲で、WHOの基準を大きく上回るヒ素濃度が検出されました。皮膚障害の有症率は表1のようになります。 

表1 バングラディッシュの調査対象者における皮膚障害の有症率[7]

分類

有症率

男性

30.1%

女性

26.5%

全体平均

29.0%

男性は女性よりも有症率が高い(p < 0.05) 

表1から明らかなように、非常に高い皮膚障害の有症率が示されています。研究者らは、これらの村全体における高い有症率は、ヒ素曝露に対する警告を発し、緊急の処置を必要としていると述べています。

 

また、フィンランド国立公衆衛生研究所 環境疫学部のPaivi Kurttioらは、フィンランドの井戸水中のヒ素濃度と膀胱癌及び腎臓癌との関連性について調査しました[8]。調査対象者は、1967年から1980年の間に、井戸水を用いた都市の上水道システムを利用している町に住む、全てのフィンランド人から144,627人が選ばれました。そして1981年から1995年の間に、それらの人々のうち、61人が膀胱癌、49人が腎臓癌と診断されました。そして、1967年から1980年の間に採取された井戸水中のヒ素濃度は、中央値0.1 μg/L、最大値64 μg/Lで、WHOの基準値である10 μg/Lを越えた水は、わずか1%でした。採取した井戸水のヒ素濃度からヒ素摂取量が試算され、膀胱癌と腎臓癌との関連性について解析されました。その結果、腎臓癌との関連性は認められなかったが、膀胱癌との関連性について、表2のような結果が得られました。 

表2 ヒ素濃度0.1 μg/L以下のグループと比較した時の各ヒ素濃度と膀胱癌[8]

砒素濃度

膀胱癌の危険率

95%信頼間隔(CI)

0.1-0.5μg/L

1.53

0.75-3.0

0.5 μg/L

2.44

1.11-5.37

表2から明らかなように、WHO基準値以下の低レベルのヒ素濃度であっても、その濃度が高くなるほど膀胱癌の危険率が増えています。膀胱癌との関連性は、癌と診断された年から3-9年前の1日のヒ素摂取量との間に関連性が示されています。つまり、膀胱癌が発症した3-9年前の1日のヒ素摂取量が多いほど、膀胱癌の危険率が高くなるということです。研究者らは、低濃度のヒ素においても、ヒ素濃度と膀胱癌の危険性との間に関連性がある証拠を見つけだしたと結論付けています。

 

日本国内では先にも述べたように、国や自治体によって監視されている範囲内では、水質基準を上回るヒ素濃度が検出されたのはわずかです。しかしフィンランド国立公衆衛生研究所のPaivi Kurttioらの研究が示すように、水質基準値を下回るヒ素濃度でもヒトの健康に影響を及ぼす可能性が示されています。今後のさらなる研究によって、水質基準の見直しと水質向上の対策が必要になる可能性があります。 

公共水域のヒ素汚染に関しては、日本のような先進工業国では別の問題があります。ここ数年、都心部の再開発などによって都心から撤退した工場跡地の土壌から、環境基準値を上回る高濃度のヒ素や水銀が検出されています。例えば19987月に、大阪市淀川区にある油脂メーカーの工場跡地の土壌から、最高で環境基準値の1,400倍のヒ素と、840倍の水銀が検出されました。また地下水からも基準値の約3倍のヒ素濃度が検出されました。この工場は塗料などを生産しており、生産部門の再編成で1997年に工場を閉鎖しました。跡地は大阪市が買い上げ、老人ホームや公園の建設を計画しています。また他には、19969月の調査で兵庫県尼崎市の産業廃棄物処理工場の跡地から、ヒ素、カドミウム、鉛などが検出され、199712月には、京都府長岡京市にある薬品工場の跡地の土壌から、環境基準値の1,600倍のヒ素が検出されました[9] 

これまでは工場からの廃棄物や排出物に対して対策があまり行われておらず、企業の工場内での廃棄物及び排出物管理が甘かったことが考えられます。日本では、自然の土壌中にヒ素は豊富にありませんが、高度に産業が発達し、有害化学物質を扱う工場が多数あります。そのような工場から発生する廃棄物や排出部で土壌が汚染し、地下水まで汚染されている可能性があります。 

現在日本では、PRTR(環境汚染物質排出移動登録)が検討されています。PRTRとは、「有害性のある化学物質の環境への排出量及び廃棄物に含まれた場合の移動量を登録して公表する仕組み」であり、行政庁が事業者の報告や推計に基づき、対象化学物質の大気、水、土壌への排出量や、廃棄物に含まれた場合の移動量を把握集計し、公表するものです[10]。今年の713日付けで「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」(平成11713日公布法律第86号)」が公布されており、対象となる化学物質及び事業者等については、法律公布後9ヶ月以内に政令で指定されることになっています[10] 

今後はPRTRによって、企業活動における廃棄物や排出物の管理及び改善が促進されると思いますが、これまで汚染したきた土壌や地下水についても、汚染された環境を取り戻す仕組みを作る必要があるのではないかと思います。 

Author:東 賢一 

<参考文献>

[1] 毒物及び劇物取締法(毒劇法):国立医薬品食品衛生研究所 化学物質情報部
http://www.nihs.go.jp/incident/law/dokugeki/dokugeki.html
 

[2] 環境庁報道発表資料:「石膏ボード製品の最終処分に伴う有害物質による水質汚濁の防止について」環境庁水質保全局企画課
http://www.eic.or.jp/kisha/199705/10924.html
 

[3] 厚生省報道発表資料:「廃石膏ボードの処理について, 1997529日、廃石膏ボードの処理について」厚生省水道環境部産業廃棄物対策室
http://www.mhw.go.jp/houdou/0905/h0529-2.html
 

[4] 水道水質基準:国立医薬品食品衛生研究所 化学物質情報部
http://www.nihs.go.jp/incident/law/suido/suido.html
 

[5] 平成9年度公共用水域及び地下水の水質調査結果について:あいちの環境情報
http://www.pref.aichi.jp/kankyo/jouhou/suisitu/suisitu_7.html
 

[6] Denise Riedel Lewis, Rebecca L. Calderon, Environmental Health Perspectives, Vol. 107, No5, p359-365, May 1999.
http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/1999/107p359-365lewis/abstract.html
 

[7] Martin Tondel, Mahfuzar Rahman and others, Environmental Health Perspectives Vol. 107, No9, p727-729, September 1999
http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/1999/107p727-729tondel/abstract.html
"The Relationship of Arsenic Levels in Drinking Water and the Prevalence Rate of Skin Lesions in Bangladesh"
 

[8] Paivi Kurttio, Eero Pukkala andd others, Environmental Health Perspectives Vol.107, No9, p705-710, September 1999.
http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/1999/107p705-710kurttio/abstract.html
"Arsenic Concentrations in Well Water and Risk of Bladder and Kidney Cancer in Finland"
 

[9] 朝日新聞(199925日付)朝刊 

[10] PRTR(環境汚染物質排出移動登録)について:環境庁
http://www.eic.or.jp/eanet/prtr/risk0.html
 


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