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コージ
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  むかしむかし あるところに、、
  おばあさんと猫が住んでいました。
  猫はどこからともなくやってきて、そのまま居着いてしまった大きな茶トラでした。
懐く風でもないのに、おばあさんはなぜか可愛く思い、コージと名付けたのです。
コージ........時の彼方に埋もれたなつかしい響き。
それは40年も前に亡くした息子の名前だったのです。

大きな体に似合わずどこか怯えたような猫の眼差しを見るたびに、おばあさんは
話しかけました。
「コージさん、ここにいる限りなにも怖いことはないのよ。わたくしが
護ってあげますからね」
猫は気まぐれです。
おばあさんは毎日毎日コージのために居心地の良い場所を整えてやるのでした。
 
ある日のことでした。
事件は まるで 当然といった感じで やってきました。
それは 暑い暑い カンカン照りの、人も動物も、草木さえも、
ぐったりとへたってしまう程の夏の日のことでした。
 
裏の庭から帰ってきたおばあさんは、いつものように   
コージが昼寝をしている縁側に行きました。
すると、どうしたことでしょう。
そこにコージの姿はなく、かわりに見たこともない黒猫が眠っていたのです。
この世のものとは思えないほど見事な毛並みで 
息をするたび黒いビロードが波打つように見えます。
おばあさんはそっと近づいてみました。
でも、黒猫はいっこうに目を覚ます気配がありません。
そのうちなんだか胸騒ぎがしてきて 
だんだんとコージのことが気がかりになってきました。

「コージさん、コージさん」
家中を探してみましたが見あたりません。

「コージさん、コージさん」
裏の庭にも行ってみましたが、新しい足跡はなさそうです。

この暑さだからどこか涼しい所で休んでいるのかもしれないと思い直して、 
おばあさんはひとまず家で帰りを待つことにしました。

黒猫はあいかわらずピクリともせず眠っています。
お腹がゆるやかに動くのを見ているうちに 
おばあさんもやがて、うとうとと眠りに落ちていきました。

 
ふと目をさますと、淡いブルーの靄が一面にたちこめています。
真夏だというのに、不思議にひいやりとした、白い空っぽの室内。
おばあさんはぼんやりとあたりを見回しました。
遠くでなにか音がしています。一定のリズムを持って高く低くうなるような、
何とも形容しがたい耳慣れぬ音.........。誰かが歌っているようにも
聴こえます。それとも.......?

突然、目の端を何かがサッと走り過ぎた気がして、おばあさんは
振り返りました。

「コージさん、コージさん?」
思わず呼びかけた自分の声に、おばあさんはハッと我にかえりました。
「ああ、寝てしまったのねぇ。やれやれ........」
寂しげに肩をすくめながら、おばあさんは日暮れ近くなった黄色い空を
ながめやります。
黒猫の姿はもう、どこにも見あたりませんでした。

その日を境におばあさんの家に、おかしな電話がかかってくるように
なりました。

「もしもし、もしもし、どなたさまですか?」
いくらおばあさんが問いかけても、一向に返事がありません。
いたずら電話だろうと思いつつも、何故か気になります。
「わたくしのような年寄りの家に、こんな電話をかけてくるなんて
いったいどんな人なのかしら?なんだか気味が悪いわねぇ......」

ルルルルルッルルルルルッ
又、電話です。おばあさんはため息をつきながらも、受話器を取りました。
「もしもし、あなたはどなたなの?わたくしのような者のところに
何のご用なの?」
相変わらず、返答はありません。.....でも、よく耳をこらすと何か聴こえます。
高く低く、歌うような、うなるような声......いえ、あれはもしかすると.....

「コージさん、コージさんじゃないの?お返事をしてちょうだい!」
咄嗟に口をついて出た言葉に、おばあさんは愕然としました。
そしてあわてて電話を切ってしまったのです。
「ああ、なんてこと。わたくしはもうボケてしまったのかしら。
電話に向かってコージさんだなんて.......」
おばあさんの後ろ姿はいっそう小さくなってしまったようでした。

その後二度といたずら電話はありませんでした。

ところが、ある夜更けのことです。
普段訪れる人もいないおばあさんの家の呼び鈴が鳴りました。
寝支度をしていたおばあさんは、いぶかしい思いで玄関に出ました。
ガラッ。扉を開けると背の高い青年が立っています。
「あの、どなたさまで?」
返事はありません。そのかわりとでもいうように、青年は
大きな肩をすくめるようにヒョコっとお辞儀をすると、扉をくぐって
中にはいってきたのです。

「こんな夜更けに、見知らぬ方をお入れすることはできないのよ。
どんな事情かは知りませんが、どうぞお引きとりくださいな」
おばあさんは少し怖くなってそう言いました。
青年はあいかわらず無言でおばあさんを見つめています。

黒々とした、深い眼でした。きりりと切れ上がった眼差しは
見る者を射すくめずにはおかない光りがありました。それでいて
どかか怯えたような、助けを求めているような瞳.....。
茶色がかった柔らかそうな髪が額にかかって輝いて見えます。

「何て美しいこと.......」おばあさんは夢でも見ているような
気持ちでした。
「ああ、いけない。この家はわたくし一人きり。しっかりしなくては」
おばあさんが警察に電話しようと身を翻した途端、青年がおずおずと口を開きました。

「あの.........僕、コージです.....」
おばあさんは両手を口に当てたまま、凍り付いたように立ち尽くすのでした。







  コージ......コージ.......
胸にじんと染みてくる懐かしい響き。
青年の口からもれた思いがけない名前は、おばあさんの遠い記憶を呼び覚ますものでした。
大きな瞳を輝かせて、大好きな星空のことを話してくれたわたくしの息子。
やわらかな巻き毛が美しかったあの子。
コージが生きていたら......

「あの.......」
急に黙り込んでしまったおばあさんを気づかって、青年が声をかけました。
「えっ......」
「どうかなさいましたか」
不安げだけれど澄みきった瞳は、懐かしいやさしさに満ちています。
「ああ、ごめんなさいね」
おばあさんはこの青年と、もうすこしだけ話してみたくなりました。

「あなた、どちらかのお宅と間違えてらっしゃらない」
「いいえ」
「お目にかかったことがあったかしら......」
「ええ、毎日......」

まさか、そんなこと.......いえ、でも.......
馬鹿げたことかもしれないと思いながら、おばあさんは勇気を振り絞って切り出しました。
「もしかしたら.......あなた......」

そのときです。
家の外で物音がしました。高く低く、うなるように歌うように、
遠くなり近くなり.......。人の心を惹きつけずにはおかない音。

「何かしら、この音.....」
「耳を塞いで!聞いちゃダメだ!」
やわらかな物腰からは想像もつかないほど、鋭い声。
無実の罪を背負った逃亡者のように、追いつめられた表情に恐怖が滲んでいます。
勢いに押されて、おばあさんは咄嗟に両手で耳を塞いでかがみ込みました。

目にもとまらぬスピードで家の明かりを消し、扉に鍵をかけると
コージ青年も身を潜めました。胸のあたりに両手を重ねて何事かつぶやいています。
おばあさんには何がなんだか見当もつきません。
ただ、コージ青年の髪が心なしか逆立ち震えているように見えたので、
ただならぬことが起きていることだけは察しがつきます。

時折、扉のガラス越しに浮かんでは消えてゆく、レッドやイエローやブルーの光。
耳慣れぬ音は振動数によってさまざまな色の光を放ちました。
巡る光音はカレイドスコープのように美しい。でも儚く、危うい。
踏み込むと逃れられない幻の世界に人を引き込む力を持っていたのです。

どのくらいの時間が経過したでしょうか。
コージ青年が、おばあさんの手にそっと触れました。
「もう大丈夫」
力ない微笑みが精一杯のやさしさだということが、おばあさんには痛いほど分かりました。
そして、この青年のことをとても愛おしく感じたのです。

「実は僕......」
「いいのよ。今はゆっくりお休みなさいな。お話は後にしましょう」
木々をわたる風の音が心地よい夜明けでした。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

東の空が茜色に染まり始める頃、
とある場所へと帰り着いた飛行物体がありました。
乗り組んでいたのはアヌとその配下の者たち。
彼らは周波数を操り、物体を視界から消してしまう技で姿を隠してきました。
これまで、彼らの乗物が人目に触れたことはありません。
たとえ陽の中を飛んでいたとしても。

「アヌ様、やはりあの時代に潜んでおりましたな」
部下のひとりが言いました。逞しい体つきが百戦錬磨をうかがわせます。
「そうだな。時空を旅するとは見事だ。やはり時の回廊の鍵を持っているに違いない。
過去に戻る危険を犯すことになったが、これで秘策が練れるというものだ」
深く、柔らかく、妖しく響く声。

「ところで、あの者は何と名乗っていた?」誘うような調子でアヌが続ける。
「確か・・・コージ・・・と」
「すぐにコードを調べてみよ」
「かしこまりました」

誇り高きアヌ!我らが黄金の王!
かつて・・・時の操縦者として権勢をほしいままにした時代のイメージが
アヌの脳裏にイキイキとよみがえりました。
あれほど無軌道に時をいじらなければ、王国は続いたであろう。
自ら創った時空の迷路から抜け出せなくなってしまうとは・・・。

すべてのものが歪み、軋みを立てる世界。
彼は自分が発案した時のトリックにまんまと引っかかったのでした。
今、ここから抜け出すには、時の回廊を遡り歪めた時空のほつれを
ひとつずつ解いていくしか手はありません。
そのためには、まず時の回廊の扉を開けねばならないのです。


「王よ、・・・・・・遊・・・・・・・」

「・・・び・・・は・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・や・・めて・・も・・・・・・・・」

「う故・・・・」

「・・・郷・・にお・・・・」

「・・・・帰・・・・り・・・なさ・・・い」

思考を遮るように、突然アヌの心に強烈な衝撃をともなう声が流れ込んできました。
言葉の一片一片が内側から光を発しています。誰が送ってよこしたのか、
アヌに分からないはずはありません。

「しばらく独りにしてくれ」
いつもと変わらぬ優雅な身のこなしで人払いするアヌ。
その額に一瞬深いシワが刻まれたことに、誰ひとり気づく者はありませんでした。
 

ドクッ.....ドクッ.....ドクッ.....ドクッ.....ドクッ....

沈黙の帳が降りた部屋に規則正しく響く心臓の鼓動。
愛用のカウチに横たわり目を閉じたアヌは、じっとその音に聞き入ります。

ドクッ.......ド..ク.ッ.......ド..ク..ッ........ド...ク...ッ.........ド....ク....ッ............
ドックッ.......ドッ..クッ..............ド..ッ....クッ................ド.......ッ........ク......ッ.................

呼吸が緩やかになるにつれて覚醒意識は遠のき、額のスクリーンに
暗緑色をした渦があらわれました。見慣れた内界の景色、それは時空のネットに
捕まってしまった今のアヌにとって、異次元にアクセスする唯一の扉なのです。

落ちぶれたものだ、このアヌともあろう者が。
夢の潮流に入らなければ時空を自由に旅することもできなくなってしまったとは・・・。
目覚めたまま、意のままに、瞬時にどこにでも飛べた我が姿の記憶さえ
もう薄れかけている。
時空のネットの何という重さ。

長く留まりすぎた。急がなければ・・・。
しかし・・・、どこで間違えたというのだ。シュメールに破綻はなかったはず。
あの国はシリウス人が創造したエジプトを完璧に模倣したし、争いの種をほんの一握り
播いたにすぎない。だとすると、アッカド? いや、そんなはずはない。
民たちは、わたしを神と信じこんで崇めていたではないか・・・。

「アヌよ」
威厳に満ちた声がアヌの頭蓋骨の内側を震わせました。
「それほど想いが乱れていては何も察知することなどできぬぞ」

「ミスターP・・・」
溜息ともつかない力ない声でアヌは応えました。
ミスターP、いつの頃からか、アヌの内界にあらわれては謎の言葉を残し去ってゆく存在。
決して正体を明かさないが、古い時代の賢者に縁の者だろうとアヌは信じていました。

「20世紀の終末に、エジプトの封印が解けることになるだろう。
 シリウスの叡知が地球に溢れ出すぞ。そうなれば、おまえの正体は暴かれてしまう。
 神は失墜するのだ」
「ミスターP、今のわたしは身動きのとれない体です。自由に時空を飛ぶこともできません。
 どこで何を間違えたのか、まったく見当がつかないのです」

「秘密を知りたいのなら、まず、時の回廊の鍵を手に入れることだ。
 所在は知っておるだろう?」
「あの、ばあさんのところに逃げ込んだ若者ですね」
「そうだ。だが、油断してはならない。あれは仮の姿・・・」
「やはり・・・、ヤツは・・・」
「さあ、どうかな。それはお前自身が探らねば意味があるまい」

「天空から女の声がまとわりつくように聴こえてくるのです。あれは・・・」
「7つの星に住む女神たちだ。地球を見守っているのだよ。
 これは、かの地に女の力が蘇りつつある印なのだ」
「?!」

「では、アヌよ。また会おう」
「ミスターP! まだお伺いしたいことが! ミスターP!!」 
「内界を探り、手がかりを拾い集めることが肝心だろう? 今のお前はこの時空に留まる
 ことさえ困難になりつつあるはずだ」
「うっ・・・」
二の句を継ぐ間も与えず、ミスターPは深淵の中に姿を消しました。

残された時間、それはこの世界に囚われの身となったアヌ自身にも分からないのです。
夢の体を保ち続けることができなくなったアヌが目覚めると、
部屋の空気は、感情をヒリヒリさせるほど硬質なものに変わり果てていました。

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