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平等と民主主義の原則に反する弁護士、日弁連

 弁護士、日弁連が少年法の改正問題に関して「法曹三者懇」と称する会議に参加したり、インドの核実験に抗議したりと様々な政治活動をしています。日弁連のホームページを見ると、地球温暖化、風俗営業の規制、スポーツ振興くじ、日本版ビッグバン、慰安婦国家賠償・・・と、ありとあらゆる問題に口を出し、個別の事件に介入し、無数の勧告、意見書、会長声明、を乱発していることに驚かされます。そして、それを可能にする、各種委員会をはじめとする膨大な組織、体制を持っています。また、彼らは最高裁判事をはじめとする裁判官の採用についても、弁護士出身者については日弁連推薦を条件とすることを認めさせ、事実上の任命権を握っています。交通事故紛争処理センター、自賠責保険有無責等審査会でも日弁連推薦の弁護士が審査、裁定をすることになっています。これらの行為は弁護士、日弁連の本来の業務なのでしょうか。

 弁護士というのは依頼人の依頼を受け、依頼人ために代理人として法律行為を行い、対価を受け取るという一つの職業であると思います。所詮単なる一職業に過ぎないと思います。そう考えるほかに考えようがありません。いかなる意味でも国民の代表ではないし、公務員でもありません。もし、単なる職業でないというなら何なのでしょうか。身分でしょうか。地位でしょうか。我が国の憲法はそのような特別な地位や身分は認めていないはずです。職業の中でも国家資格のいる職業であることは分かります。しかし、国家資格が必要な職業は他にも調理師、自動車整備士、バスの運転手などいくらでもあります。そして国家資格を設けている理由は、消費者保護のために必要があるからに過ぎません。

 本来国民には職業選択の自由があって、弁護士になりたいものは誰でもなれるというのが大原則です。しかし、法律のイロハも知らないものが弁護士になると、本人がいかに誠実で交渉力のある人間でも、依頼人または相手方に迷惑をかけるおそれがあるので、最低限のレベルは法律で義務づけようというのが、本来の司法試験の趣旨であるべきです。そうであれば試験で合格最低ラインの点数をとった者は全員が合格者となるべきで、合格者の数に制限があるのは不当です。調理師や自動車整備士あるいは運転免許の試験で合格者の人数に上限はないはずです。誰が優秀な弁護士で、誰がそうでないかを決めるのは自由競争の市場で消費者がすることで、司法試験が決めることではありません。司法試験の合格者に制限があるのはなぜでしょうか。それはこの試験が実は単なる資格試験でなくて、司法修習所という法律専門学校の入学試験だからです。そして、現在の日本の司法制度とはこの学校の卒業生でなければ、弁護士はおろか、判事にも検事にもなれないと言う制度なのです。

 各種の資格制度が彼らに特権を与え特別の役割を担わせる目的はないと思います。それは消費者保護、民主主義一般の原則に反します。彼らの資格が有効なのは限定され、明記された職務の範囲内に置いてであり、その範囲はむやみに拡大することは許されません。その範囲外では何らの特権もないはずです。彼らの社会への貢献として期待されるのは、あくまで本業を通じて、より良いサービスをより低廉な価格で提供することによってのみだと思います。何がより良いサービスかを決めるのは消費者であって、有資格者ではありません。

 弁護士法が「弁護士の使命」で弁護士に求めている、人権の擁護、社会正義の実現、法律制度の改善は、あくまで本来業務である「弁護士の職務」(依頼人の依頼を受け依頼人のために代理人として法律行為を行い、対価を受け取る)を通じてという意味であると思います。そういう限定なしに特別な役割、特別な使命を求めるのは、国民はその職業にかかわらず法の下に平等であるという、憲法に違反するものであると思います。
 依頼人の依頼にる代理人としてでなく、自ら当事者になって行う行為は弁護士の職務ではありません。単なる一個人としての行動です。また、単なる一個人としての行動には何の資格もいりません。

 何が基本的人権なのか、何が社会正義なのかは人によって考え方は異なります。それを決めるのは、政治であり、裁判であり、弁護士ではありません。法律制度の改善といっても、何が改善で何が改悪かは人によって考えが異なります。法律の制定、改廃は政治であり、政治は民主主義の原則に基づいて、国民の正当な代表によって行わなければなりません。弁護士はいかなる意味でも国民の代表ではありません。従って弁護士が依頼人の代理人としてでなく、これらの問題に直接関与することは、一個人としてでない限り、本来の業務範囲から逸脱した行為と言うことになります。

 弁護士会や日弁連が、個別の事件に関与し、勧告や警告を発したり意見書を送りつけたりする行為は、弁護士法にその根拠を見いだすことができません。弁護士法によれば、弁護士会は弁護士の指導、連絡、監督に関する事務を、日弁連は、弁護士、弁護士会の指導、連絡、監督に関する事務を、それぞれ行うことを目的に設立されているものです。外部に対して勧告や意見書や声明を出して、政治的影響を与えようとすることや、弁護士出身の裁判官を指名したり、組織として個別の事件に関与したり、法律の制定、改廃を目的として、政治活動をすることは明らかに本来の目的から逸脱していると言えます。違法ではないでしょうか。外国で、弁護士団体がこのような組織的な政治活動を認められている例はあるのでしょうか。弁護士業務を独占している団体が、個別の事件に介入し、その一方の側に立つことは、相手方にとっては致命的な不利益であり、このような行為は独占禁止法を適用して、禁止すべきであると思います。

 最高裁判所が少年法の改正について、日弁連の意見を求めるのは根拠がありません。法律改正の依頼人はいないわけですから、これは弁護士の職務以外の行為を求めていることになります。業界関係者と消費者は利害が相反するという一般常識を考えれば、弁護士業界との接触は慎重であるべきです。法律改正の可否について裁判所が日弁連に意見を求めるのは、日弁連設置の目的以外の役割を求めていることになります。また、最高裁自身が国会の立法権を侵害しているとも言えます。

 「諸君!」7月号の「私が『知の鎖国』というこれだけの理由」を読むと、英『エコノミスト』誌は日本の法曹人口が厳しく制限されていることを「強大なカルテルの第一要素」と評しているとのことです。また、日弁連の事務総長がかつて「日本の弁護士は尊敬に値する職業であり(中略)アメリカでは、弁護士は高尚な模範と言うよりも、サービス部門における一産業といった傾向が見られるようだ」と語っているそうです。この人は日本の依頼人たちが弁護士のことを「先生、先生、」と呼ぶことを尊敬の表れと勘違いしているようです。日本では弁護士の数が不当に制限されていて、極端な売り手市場のために、お金を払う消費者がぺこぺこせざるを得ないだけです。弁護士はサービス業です。当たり前です。サービス業でないというなら何だというのでしょうか。弁護士は職業でなく特殊な身分、あるいは地位だとでも思っているのでしようか。日本の弁護士は、サービスが悪いどころか、サービス業であることの自覚が欠落しているサービス業です。

 日弁連が自分たちの独占的権益を守ることに汲々としていて、外国人弁護士の排除に躍起となっていることがよく分かりました。日弁連に拘束されない外国人弁護士が日本で営業するようになれば日本の弁護士、日弁連の異常さが浮かび上がり彼らの独占体制に風穴が空いて日本の消費者の利益になると思います。

平成10年6月20日        ご意見・ご感想は   メールはこちらへ      トップへ戻る  B目次へ