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「法曹一元化」論は議論のすり替え

 1月11日の産経新聞に「司法制度改革」、「利害絡み難航必至」という記事があり、「陪審、参審制」、「法曹一元化」、「弁護士業務開放」などについて書かれていました。このうちの「法曹の一元化」については、12月7日の読売新聞の特集記事、「ディスカス 弁護士は頼れる存在か」の中でも、小堀樹日弁連会長が、弁護士業界の改革を求める国民の声に対する反論、対案として、「法曹一元化」を提案していました。

 「法曹の一元化」とは何でしょうか。法曹の一元化というのなら、法曹の一翼を担う検事を判事にすることも含まれて良いはずですが、日弁連の提案はそう言う趣旨ではないようです。かつて、裁判所では、検事が判事に任官する「判検交流」が行われていましたが、日弁連はこれを「癒着」であるとして強く反対していました。

 彼らの言う、「法曹の一元化」とは、要するに判事(裁判官)は弁護士の中から採用せよということでしかありません。弁護士を判事にすることが、司法の改革になるのでしょうか。司法改革とは国民の常識、正義感、多数意見を司法に反映することと、法曹人口の増加、迅速な裁判の実現など、司法サービスの質、量を向上させることであって、同じ司法業界の人間である弁護士が判事になったところで、何の改革にもならないと思います。

 それに、同じ「法曹人」といっても、判事と弁護士には大きな違いがあります。「弁護士には真相解明の義務はない」といって、被疑者に黙秘を勧めたり、戦術として裁判の引き延ばしを図るような弁護士が、判事にふさわしいとは思えません。日弁連が司法改革の議論に対して、「法曹の一元化」などというのは、弁護士業界のための話しのすり替えであるとともに、司法改革に対する消極的な反対であると思います。司法の改革とは何の関係もありません。

平成12年1月15日   ご意見・ご感想は   メールはこちらへ     トップへ戻る      目次へ