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甲山事件、控訴断念要請は裁判の妨害

 甲山事件の差し戻し審で無罪となった山田被告の弁護団が、大阪高検に対して控訴を断念するように文書で申し入れを行いました。また日弁連の会長も控訴断念を求める声明を発表しました。本来、有罪か無罪かは法廷で争うべき問題で、法廷外で控訴断念を申し入れるのはルール違反であると思います。弁護団は4月6日の記者会見では「国民・世論が一斉に検察官に控訴を断念するように求めていた中で控訴を提起したことは、法と正義に対する重大な挑戦」、「検察の良識に望みを託していたが、たまらない決定がでて残念。検察官は公益の代表者として国民から負託されているが、この立場を忘れた暴挙だ」と非難しました。

 法律の手続きから言えば当然の手続きに対して、法廷外でこのような感情的で根拠のない非難をすることは、理解に苦しみます。控訴審で勝つことに自信がないことの現れであると思います。確かに裁判が長期化するのは大問題ですが、長期化したのは一義的には裁判所の責任です。非難するなら裁判所を非難すべきです。被告弁護側に長期化した責任の一端がないわけでもありません。裁判の長期化が検察の責任であるかのような非難は不当です。死刑制度の是非についての議論で、死刑判決を下した裁判所を非難せず、死刑を執行した法務省を非難するのと同じ誤りです。検察だけがが控訴断念という不利益を求められる理由はありません。裁判長期化は司法界全体の体質の問題です。

 いくら時間がかかった裁判でも、一審判決は所詮一審判決でしかありません。時間をかければ一審判決で判決が確定するというルールはないのです。長期間の裁判の結果、最高裁で逆転無罪となったり、再審の結果無罪となったケースがあることは周知のことです。審理が十分尽くされ、今後新たな証拠が見いだしにくくても、同じ証拠に対して一審と、二審では判断が逆転することは珍しくありません。そこに上級審の存在理由があるのです。

 控訴をするのをやめようと言う提案をするなら判決がでる前に提案すべきです。裁判の長期化を云々するのは自分たちが勝訴したから言うのであって、敗訴であれば直ちに控訴するに違いありません。
 判決がでる前に裁判の長期化を防ぐために、判決の如何に関わらず控訴しないと宣言し、検察側にも同調を求めるというのならともかく、自分に有利な判決がでたときだけ相手側に控訴断念を求めるのは、話しになりません。争い方としてもフェアーでないと思います。
 過去の公害事件の民事訴訟でもこのようなケースがありました。公害患者側が勝訴すると相手企業に控訴するなと圧力をかけるもので、これなどはまさしく「国民の裁判を受ける権利」の侵害に他なりません。

 24年間の被告人生活に同情する向きもありますが、それは無罪であることを前提とした感情論で、有罪であるとすれば、何の罪もない知的障害児が、収容されていた施設の保母に無惨に殺害され、しかも周囲の子どもたちが知恵遅れであることをいいことに、職員全員が口裏を合わせ、犯人をかばっているという許し難い犯罪です。その犯人が24年も厳罰を逃れて来たことになるわけで、同情には値しません。事件後、父母が子どもたちを全員家につれて帰り、施設が廃園に追い込まれたと言うことは、父母たちは誰も職員の言うことを信じていないと言うことを意味しています。

平成10年4月9日     ご意見・ご感想は   メールはこちらへ      トップへ戻る      B目次へ