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法制審議会は無用の長物、「政治」が政治主導で何が悪い

 10月20日の産経新聞に「司法制度改革 政治主導に司法界反発 日弁連推薦委員 法制審の無力化懸念」と言う見出しの記事が掲載されました。

 一体、司法制度とはなんでしょう。記事にある、少年法の改正、破壊活動防止法、独占禁止法、外国人登録法等の改正は「司法制度の改革」になるのでしょうか。法律の改正はみな、司法制度の改革と言うのでしょうか。そんなことはありません。法律の制定、改廃はすべて政治であり、「司法制度」というとらえ方が既に誤りです。政治は民主主義の原則に基づいて、正当に選挙された国民の代表者によって国民の多数意見を反映する方法で行われなければなりません。司法制度とは「裁判制度」と言う程度の狭い意味しかないと思います。そして、司法制度(裁判制度)をどうするかという問題でさえ、それを議論することは政治問題であり、裁判所や、弁護士業界が決める問題ではないのです。
 国民の代表でない裁判所や弁護士業界の団体が政治に介入したり、影響力をふるう方が大きな誤りです。

 記事の中に「司法界は司法試験をパスした裁判官、検事、弁護士を中心に動いているという現実がある。最高裁、法務省、日弁連と言う『法曹三者』の合意を最優先してきた『伝統』があり、法相や法務政務次官の経験者であってもいわゆる『外部』の介入は『きわめて限定されている』」とあります。

 司法界とは裁判の世界ですからそれが三者を中心に動いているのはある意味で当然です。しかし、法律の制定、改廃は「司法」ではなく「政治」なのです。政治の世界である法制審議会が法曹三者の合意を最優先にしてきたと言うことは、国民の意見が二の次にされてきたと言うことで、そのような伝統は悪しき伝統と言うべきです。法務大臣や法務政務次官を「外部の介入」などという法務省関係者の発言は民主主義を踏みにじる官僚の思い上がりで言語道断です。中村法務大臣がこのような法制審議会を問題視するのは国民の代表である政治家として、もっともなことだと思います。法制審議会の委員は公務員です。公務員の選任はすべての国民に対して、公正に行われなければならないはずで、「日弁連推薦委員」が存在することが既におかしいのです。

 日弁連が「議員立法を否定するわけではないが・・・」と言っていますが、こういうとんでもない発言が出ると言うことは、立法の本来の姿であるべき議員立法が形骸化し、法制審議会が実質的な立法機関になっていて、議会が空洞化していると言うことを示唆していると思います。さらに「与党の考え方は市民の視点が欠け・・・」と言っていますが、なにか根拠があるのでしょうか。国民の代表である与党の考え方が「市民の視点に欠けている」というのなら弁護士業界の考え方はさらに「市民の視点が欠けている」と考えるべきです。

 記事は、政府が司法制度審議会の新設を決めたことに対して、「法制審の存在を否定することにつながりかねないだけに日弁連の反発は避けられそうになく・・・」と言っていますが、法制審の存在を否定することになるとか、日弁連が反発するとか言うことは国民にとってはどうでもいい問題だと思います。大事なことは国民の多数意見を反映した法律案ができるかどうかと言うことです。ほとんどの国民が望んでもいなかった、「夫婦別姓法案」などが、間違っても出てくることのないような制度にすることが重要です。

平成10年10月23日     ご意見・ご感想は   メールはこちらへ     トップへ戻る     B目次へ