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被疑者に黙秘を勧めるのは弁護活動か、捜査の妨害か

 10月26日の産経新聞の「和歌山カレー事件」の記事「否認と黙秘の22日間」と、30日の「産経抄」を読みました。26日の記事には「一貫した否認、黙秘の裏には弁護団の影が見え隠れする」、「弁護士が接見したあとは、一転して黙秘してしまった」とあり、七人の弁護士達が被疑者の林夫婦に「黙秘を強要」している様子が窺えます。

 刑事事件において、弁護士は被疑者、被告人の弁護をするわけですが、被疑者、被告人の弁護をすることが、そもそも「正義」にかなうものなのでしょうか。被疑者や被告人の中には冤罪で裁判の結果無実となる人がありますが、それは極めてまれな例外的なケースです。日本では起訴された被告人の有罪率は99%以上です。逮捕された被疑者が有罪となる率もそれに近い高率であると思います。つまり逮捕された被疑者や被告人はわずかな例外をのぞいて皆犯罪者なのです。

 従って弁護士がしていることはほとんどの場合、悪人の弁護と言うことになります。悪人の弁護が反社会的な行為にならずに、容認されているのはなぜでしょう。それは犯罪者の言い分も十分聞く必要があるからです。また、ごく稀にではあっても、冤罪の恐れもあるからです。弁護士の役割は被疑者、被告人の主張、言い分を聞くことです。言い分を聞いてそれを裁判で主張することです。犯罪者が不当に罪を逃れるのを幇助することではありません。もし、そのような行為があれば弁護士は文字通りの「悪の味方」になってしまいます。黙秘を勧めるのはいかなる意味でも容疑者の主張を聞くことにはなりません。捜査の妨害以外の何ものでもありません。裁判の勝ち負けとそれによる自分の弁護士業界での名声しか考えない極めて反社会的な行為です。

 また、同じ紙面の中に弁護団が、和歌山地検が自白調書を作成できないまま起訴したことを受け、「今回の起訴が公判維持に十分な証拠に基づくものであれば、この間の逮捕・拘留が自白強要のためでしかなかったことは明らか。逆に現時点で十分な証拠に基づかず、今後の自白を待って証拠を補充するものであれば、起訴後の取り調べに対して強く抗議する用意がある。今後とも自白強要が行われないよう厳しく監視してゆく」と言うコメントを発表したことが報じられています。

 逮捕して、自白が得られないまま起訴した場合はすべて「逮捕は自白強要のためであった」と言うことになるのでしょうか。つまり、公判を維持できるだけの証拠がある場合は、どんな凶悪犯でも逮捕して取り調べてはいけないのでしようか。それとも逮捕は公判を維持するだけの証拠がない場合にのみ許されるのであるから、自白が得られなかった場合は証拠が不十分であり、起訴は不当だと言いたいのでしょうか。自白強要のための逮捕・拘留と言いますが「自白強要」となる取り調べと「自白強要」でない取り調べとはどのような基準で区別するのでしようか。
 細かい手続き論にのみこだわり、事件の全体を見ていない議論であると思います。

平成10年10月31日     ご意見・ご感想は   メールはこちらへ     トップへ戻る     B目次へ