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韓国人も“従軍慰安婦“は取るに足らぬ問題と認識していた(善悪の基準は時代と共に変わる)

 5月6日の韓国の新聞朝鮮日報のホームページ(日本語版)は、「昔話や説話の中の『危険な性意識』」、「女性を襲えば自分のものになるというずれた認識」、「人さらいの説話からも垣間見られる危険な意識」という見出しで、次のように報じていました。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/06/2013050600371.html?ent_rank_news
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 昔話『仙女ときこり』は、猟師に追われた鹿を助けた優しいきこりの話だが、それだけではない。女性を無理やりじゅうりんして共に暮らし、子どもまで産ませたきこりの行動は、今の観点からすると犯罪だ。きこりのおかげで命が助かった鹿は、きこりに仙女の水浴び場所を教え「羽衣を盗み、空に帰れなくなった仙女を嫁にしなさい」と助言する。きこりは仙女を拉致するかのように連れてきた。そして仙女を妊娠させ逃げられないようにした。鹿は「子どもを4人産むまでは羽衣を見せてはいけない」と言う。「(子どもが4人いれば)両手に1人ずつ抱いて、1人をおぶっても、1人は残ってしまうので、羽衣があってもきこりのそばを離れられないだろう」と考えてのことだった。

 きこりと鹿が2013年にこのような行動を取っていたら、仙女の提訴により「結婚のための略取じゅうりん罪」で逮捕されただろう。

 女性は襲っておとなしくさせれば自分の物になるという韓国の男性の認識は「人さらい」の説話にも垣間見られる。1800年代後半、黄海道延安郡に娘夫婦と共に暮らすソンさんという女性がいた。ある日、村ではソンさんと婿が性的関係を結んでいるといううわさが流れた。すると、妻を失ったある男が「婿とそのような関係になるということは、性的に乱れた女性なのだろう」と思い、ソンさんを拉致した。さらわれて悔しい思いをしたソンさんは2回にわたり自殺を試み、結局首をつって死んだ。朝鮮王朝時代の人さらいは、経済的理由などで再婚が難しかった人たちのための文化だったという評価もあるが、女性を拉致して共に暮らす拉致婚であり、略奪婚だった。

 銀粧刀(護身用の刀)は「強姦(ごうかん)されそうになったときは、できる限り抵抗しなければならない」という通念を示す象徴的な文化だ。このような通念が、抵抗しなければ強姦ではないという誤った認識を招いた。アランの説話に出てくる蜜陽府使(朝鮮王朝時代の地方の役人)の娘、アランは自分に片思いしていた男が胸を触ってきたため、銀粧刀を取り出して胸を切った。これを見て驚いた男はアランを殺してしまった。現代では女性が抵抗しなくても性関係を拒否すれば性的暴力として認められる。
カム・ヘリム記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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 この記事が報じているように、
善悪の基準は時代と共に変わります。昔は問題にされなかったことが今では問題視されます。しかし、昔のことを現代の基準で判断するのは間違いです。
 この昔話を、
木こりを悪人として子供達に読み聞かせるのは間違いです。

 ソンさん拉致もアランの殺害の話も、示していることは昔の朝鮮では女性の地位が低くかったと言うことであり、拉致も強姦も罪の意識は低かったと言うことが垣間見られます。
 これは朝鮮だけに限りません。程度の差はあっても日本を含む東アジア一帯に共通したことだと思います。

 先の大戦中、
朝鮮人“慰安婦”の中に女衒(ぜげん)にだまされて売春を強要された人がいた事が問題視されていますが、この問題も同様です。“慰安婦”が存在したのはわずか60年あまり前のことですが、当時はそのようなことはありふれたこととして誰も特別に問題視はしていなかったのです。

 戦後の
日本と韓国の国交正常化交渉においても、その後1991年頃に突然慰安婦問題が日本のマスコミに取り上げられるまで、日本はもちろん韓国側も損害賠諸請求はおろか、問題提起すらしなかったのは、双方とも“慰安婦”の存在を知らなかったのではなく、問題意識すらなかったのです。

 それを後世になって、何者かの
入れ知恵によって、大騒ぎをするのは愚劣なことです。入れ知恵をして憎悪の感情を煽るのは卑劣なことです。
 過去の出来事を現代の価値観で断罪する愚を犯してはなりません。

平成25年5月6日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ