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日韓文化は「交流」しないといけないのか

 6月8日の読売新聞に「日韓文化交流の行方」と題した、特集記事(韓国人の李御寧教授、元外交官の町田貢氏、映画監督の小栗康平氏の討論)がありました。その中で司会者の森千春読売新聞ソウル支局長は、「交流が日本から韓国への一方通行で終わらないよう、日本側の対応も問われているが」と発言し、これに応えて韓国人の李御寧教授は、「韓国には日本のすべてが入ってくるのに、韓国のものは日本に流れない。これは韓国の不幸でなく、日本の不幸だ・・・」、とか「日本にも韓国文化開放の波が起き、自国の文化が韓国に入る以上に韓国の文化を取り入れていたら、日本の文化はもっと早く韓国に大きな影響を与えていたであろう」などと言っています。小栗康平氏も、「 ・・・韓国の文化開放を契機に、日本人の側も何を開けるのかという課題を背負った」と言っています。

 出席者は一様に韓国の対日文化開放の次は、日韓文化の交流が課題であるかのように言っています。韓国の日本文化開放の問題が、日韓文化の交流問題、韓国文化の日本流入に話しがすり替わりつつあります。しかし、日本政府は過去も現在も韓国文化を禁止したことはありません。韓国の文化が日本で流行らないのは単に人気がないからに過ぎません。従って韓国が対日文化開放をしたからといって、日本がそれに応えて何かをする必要はないはずです。

 韓国には映画や音楽をはじめとするアメリカ文化が、一方的に流入していると思います。ヨーロッパ諸国の文化も流入していると思います。過去には中国の文化も流入したと思います。それに対して韓国の文化がそれらの国に「流入」している例は寡聞にして聞いたことがありません。韓国人はこれらの国に対しても「交流」を求め、「開放」するよう呼びかけているのでしょうか。韓国政府や韓国の文化人がそれらの要求をしているのは聞いたことがありません。また、日本は他のいかなる国との間でも、日本の文化が一方通行で流れている国との間でも、文化交流が「課題」となってはいません。なぜ日本と韓国の文化だけが「交流」しないといけないのでしょうか。

 李御寧教授は、「韓国には日本のものすべてが入ってくるのに韓国のものは日本に流れない。・・・日本の不幸だ・・・」と言っていますが、韓国文化が流れていないのは日本だけではありません。アメリカにも、中国にも、アジア諸国のどこにも韓国文化は流れていません。それらの国はみな不幸なのでしょうか。「韓国にはアメリカの文化が入ってくるのに、韓国文化がアメリカに流れないのはアメリカの不幸だ」とはどうして言わないのでしょうか。

 この韓国人の妙な「対等意識」は、他の国とは対等でなくても(劣位であっても)、日本に対してだけは対等でありたい、対等でなければならない(劣位であってはいけない)と言う対日差別意識に他なりません。日本の文化を規制してきたのは、日本と韓国が文化的に対等ではないと言う現実を見たくなかったからです。日本文化が公然と大流行して、自国文化の劣位を認めざるを得ない事態を回避したかったからです。このような韓国人の対日差別意識、偏見に対して、日本人が理解を示したり、同調したりする必要は全くありません。

平成11年11月20日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ