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筋違いなことを主張しているのは韓国人

 12月28日の産経新聞に、永住外国人への地方選挙権付与問題に関して、「筋違いな帰化論」という、在日韓国民団中央本部国際局長徐元浮ウんの意見が掲載されていました。この中で徐さんは、「平成2年9月に地方自治体の選挙権を求める裁判が起こされ、平成7年2月最高裁は永住外国人の地方自治体選挙権を容認する憲法判断を全員一致で示しました。この判決によって地方自治体選挙権での『帰化』論は崩れ去りました。従って反対論者がいまなお最高裁以前の論によって帰化のことを言うのは全くの筋違いなのです」と言っています。

 この最高裁の判決は、在日韓国人の日本の地方選挙での選挙権の要求を、「憲法は外国人の地方選挙権を保障していない」として退けたものです。これが判決の主文です。原告の敗訴です。韓国人の選挙権が「容認された」という徐さんの主張は誤りです。

 裁判所は、判決理由の中で、「外国人に対する参政権付与は違憲である」という国の主張に対して、「外国人に地方選挙での選挙権を与えることを、憲法が禁止してるとは言えない」と述べていますが、この裁判は、「定住外国人に選挙権を与えないことが憲法に違反するか否か」が争われたのであり、「選挙権を与えることが憲法に違反するか否か」が争われたのではありません。従って、この判決理由は原告敗訴の判決の趣旨とは直接関係ない「判決理由」です。このような判決理由に判例としての拘束力があるのでしょうか。裁判官は専制君主ではないのですから、裁判官の言ったことは何でも拘束力があるというわけではないはずです。

 現行憲法制定当時に、外国人が日本の選挙で投票するなどと言うことは、誰もが夢にも考えなかったことだと思います。憲法はそのような事態を想定していないと考えるべきです。想定していないと言うことは、理屈から言えば裁判所の言うように「禁じてはいない」と言うことになるのかもしれませんが、憲法が「容認しているとは言えない」とも言えると思います。

 この判決が、「外国人に選挙権を与えるべきではない」とか、「選挙権は国籍(帰化)が前提になる」という反対論者の主張を排除するものでないことは言うまでもありません。徐さんは一体何を根拠に、「『帰化論』は崩れ去った」というのでしょうか。

 徐さんは反対論者の意見を、「帰化論」といっていますが、「帰化論」とはいったい何なのでしょうか。わが国の反対論者は在日韓国人に参政権を認めることに反対しているのであって、帰化を勧めているわけではありません。「在日韓国人は日本に帰化すべきだ」といっているのは、韓国人で都立大学教授の鄭大均さんです。日本人は在日韓国人が日本に帰化することを求めていませんし、望んでもいません。韓国人として生きるか日本人になるかは、彼ら自身がまず決める問題です。日本人が帰化を求めているかのような、紛らわしい「帰化論」などという表現を使うべきではありません。

 その他にも徐さんは、「彼ら(反対論者)は最高裁判決を尊重せず、国政と地方レベルの違いを見ず、帰化しない限り付与してはいけない、という一方的な外国人危険論に固執しています」、とか『忠誠心』という国家レベルの尺度を地方自治体レベルに持ってきて、帰化しなければ与えるべきでないと主張するのは、不寛容すぎるのではないでしょうか」などといっていますが、同じ外国人である在日朝鮮人は在日朝鮮人総連合を組織し、北朝鮮政府の指揮、命令を受け、日本で脱税して得た巨額の資金を祖国北朝鮮に送金したり、日本人拉致に関与したりしています。このような外国人が国内に存在する現実のもとで、「外国人危険論」を唱える日本人がいるのは当然のことです。また、地方政治においても、国家への忠誠心は当然の前提になります。たとえば沖縄の基地問題は沖縄県知事、沖縄県議会にとって、国家への忠誠心を抜きにしては考えられない問題です。また、公立学校で国旗、国歌をどう扱うかは、国家への忠誠心と密接にかかわる問題です。国政と地方政治のあいだに本質的な違いはない のです。国政と地方政治は別だという在日韓国人の主張がそもそも詭弁なのです。

平成12年1月4日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ