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韓国人の「日本文化開放有益論」
 

 12月8日の読売新聞は、「第5回日韓交流座談会」と言う全面2ページにわたる大特集記事の中で次のように報じていました。

 李御寧「1998年に日本の大衆文化、特に映画が韓国で解禁されたとき、産業的な面から韓国映画が大きな打撃を受けるだろうと誰もが考えた。しかし、結果は意外にも・・・相互の文化交流がいかに重要か、禁じることよりも開放することがいかに互いの利益、共生につながるか、と言う生きた証拠だ」
 姜帝圭「確かに日本文化開放で音楽や映画などの韓国文化がかなり萎縮するだろうと言う憂慮は杞憂だった。・・・韓国と日本が交流することで、互いの固有の市場を侵害されるのではないか、と言う考えは非常に排他主義的な考えだと思う」


 韓国人出席者は一様に、日韓文化交流の有益性を主張していますが、そうであれば、いまだに障害を設けて、交流を妨げている韓国政府や韓国人をなぜ非難しないのでしょうか。日本と韓国の映画が相手国で上映されて、興行成績が良かったことには触れていますが、韓国で日本のテレビドラマやアニメ、音楽番組が禁じられ、音楽CD、テレビゲームの輸入販売が禁止されていることにはなぜ、誰も一言も触れないのでしょうか。韓国人にとって都合の悪い事実をみんなで避けて通っています。

 韓国が日本の映画を開放したのは、日本では映画はすでに斜陽の娯楽でたとえ、「開放」しても、極端に一方的な流れにならず、ある程度の相互通行が見込まれたからだと思います。そして、結果がほぼそれに近かったので、彼らは自信ありげに「相互交流有益論」をぶっているのです。

 もし、本当にあらゆる分野の相互交流を望んでいるのなら、映画と同じようにテレビ番組や、音楽CD、テレビゲームなどの開放有益論を展開すべきだと思います。
 それにもかかわらず、彼らがこの分野の開放に口を閉ざしているのは、この分野は日本が「斜陽」ではなく、隆盛を極めている分野なので、映画のように韓国のテレビドラマが日本で放映される可能性がなく、日本の文化に圧倒される恐れがあるからです。

 記事の中で読売新聞は、日本大衆文化の残存制限は業界保護と言う経済的な理由であると言っていますが、それであれば、なぜ輸入制限の対象は日本だけなのでしょうか。圧倒的に輸入超過と思われるアメリカ文化はなぜ制限しないのでしょうか。
 韓国人の自信ありげな「開放有益論」は、すべての分野で日本文化に対する障壁が徹廃されてから聞きたいものだと思います。

平成13年12月8日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ