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慰安婦問題と、韓国人の「優越感」

 4月12日の産経新聞は「日韓新考」と言う連載記事で、「日本叩きに道徳的優越感」という見出しで、次のように報じていました。

 「慰安婦問題での執拗さを理解する上でヒントになる韓国の新聞社説がある。『日本政府はいまもなお、その過ちを認めず、正当な補償を回避することで道徳破綻的な姿を見せている。慰安婦問題は日本が真の意味での道徳先進国になるうえでの永遠の障害になっている』(1997年8月16日付『朝鮮日報』)・・・自ら高見に立ち、日本を道徳的に劣った存在と位置付けることは日本に対する道徳的優越感をもたらす・・・」
 「日本をこき下ろし、日本がこき下ろされることで民族的優越感を感じるという心理だろうか」


 韓国人は内外で慰安婦問題で日本をこき下ろすことで、優越感を感じているとのことですが、それでは韓国人はなぜ、戦後50年経ってから突然のように道徳的非難を開始したのでしょうか。1952年から始まった、日韓国交正常化交渉は、韓国人の対日請求権問題や、在日韓国人の法的地位問題などで交渉が難航しましたが、交渉の過程で「慰安婦」の問題が取り上げられたことは一度もありませんでした。この問題が、今、韓国人が言っているような人道上の大問題、犯罪行為であるならば、当時の韓国政府やマスコミのみならず、「慰安婦」達はなぜ何も言わずに黙っていたのでしょうか。

 それは、彼ら、彼女らも慰安婦は売春婦と認識していたからに他ならないと思います。彼女らの中に気の毒な人がいたとしても、それはよくあることで、売春婦の問題などは取るに足らぬ問題と認識していたからです。仮に当時の慰安婦制度が非難されるべきものであったとしても、この問題で韓国人は、日本人に対して道徳的優越感を感じる立場にはないと思います。

 優越感とは何もしなくても、何も言わなくても相手に対して自然に感じてしまうものだと思います。意図的な努力によって得られるものではありません。韓国人は「女子挺身隊は慰安婦だった」という嘘を広めて日本叩きに励んでいますが、このように自ら虚構を作り、相手をこき下ろし続ける事によって得られる快感は、本当の優越感とは似て非なるものだと思います。それは、むしろ劣等感の裏返しと言うべきものだと思います。

平成14年4月13日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ