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朝鮮通信使

 7月28日の京都新聞は、「『朝鮮通信使』の旅再現」、「韓国学生ら出発」と言う見出しで、次のように報じていました(共同通信の配信記事なので、他の新聞で読まれた方もいると思います)。

 「韓国の大学生ら160人余りが26日、江戸時代に朝鮮半島から外交使節団として来日し学問や芸術を伝えた『朝鮮通信使』の行列を再現する旅に出発した」
 「元々は昨年夏に行われる計画だったが、歴史教科書問題の影響などで延期。サッカーワールドカップ(W杯)で日韓友好ムードが再び高まる中、主催した韓日文化交流協会は『各地で日本の若者たちと交流を深め、未来志向的な韓日関係を築くのに寄与できれば』と話している」
 「朝鮮通信使は江戸時代の1607年から1811年まで計12回、日本に派遣された。将軍就任などの機会に来日し、朝鮮の威信をかけ医者、書家、画家など多くの学者や文化人も加わり、幕府側も盛大に一行をもてなし、善隣友好の象徴だった」

 この企画が歴史教科書問題の影響で一年延期されたが、日韓友好ムードが高まったから実施するとのことですが、韓国政府は未だに歴史教科書問題を口実にして、日本の大衆文化開放を無期延期しています。「朝鮮通信使」はなぜ延期を解除したのでしょうか。韓国人は口を開けば、「交流」とか「未来志向」とか言っていますが、韓国人が実際にしていることは日本を拒絶し続ける一方で、日本に押しかけてきては、「交流」に名を借りた一方的なパフォーマンスを演じて帰って行くだけで、大変身勝手であると思います。

 また、韓国人は一般的に朝鮮通信使を、善隣友好や自国の文化的優越の象徴として評価しているようですが、そういう見方は一面的なとらえ方ではないのでしょうか。
 記事にもあるように朝鮮通信使は徳川将軍家の代替わりの時期に、祝意を表するために日本に派遣されたものです。そして、日本側からはそれに見合う返礼の使節が派遣されることもなければ、朝鮮の李王家の代替わりに祝意を表する通信使が派遣されることもありませんでした。いわば、一方通行の通信使の派遣であったわけですが、これはどう見ても両国の対等なつきあいではありません。

 また、日本側で通信使を迎えたのは征夷大将軍の徳川家ですが、将軍は皇帝でも国王でもありません。その将軍に、朝鮮国王から派遣された通信使が、江戸城で拝謁し朝鮮国王の国書を奉呈するのも対等なつきあいとは言い難いと思います。

 このように朝鮮通信使とは、国王から見れば格下の将軍を相手に、対等以下の付き合いをしていたものであり、韓国人の誇大妄想史観の観点から見ると、決して喜んで再現の仮装行列をするほどのものではないと思います。韓国の学生たちが演じる仮装行列で、徳川将軍に拝謁する場面が省略されているのは、彼らもうすうすそれを感じ取っているからだと思います。

平成14年7月30日     ご意見・ご感想は こちらへ     トップへ戻る     目次へ