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在日コリアンの「謝罪パフォーマンス」の狙い

 2月16日の産経新聞は、「拉致被害者 在日コリアンが支援集会」という見出しで、次のように報じていました。

 
「北朝鮮による日本人拉致を追及する『拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会』が15日、大阪中央区の市立中央会館で開かれた」
 「朝鮮総連の東大阪地区の分会長白星保氏(37)も登壇。『私は“拉致”はないと信じ、言ってきた一人。・・・私が言っても仕方ないかもしれないが謝りたい』・・・白氏は植民地時代の清算は日本人が自発的に考えることと主張。だからこそ拉致事件については自分の考えを述べたという」
 「在日3世の大阪府枚方市の大学生の男性(24)は『朝鮮総連の組織にいれば自分も“拉致はない”と信じていたかもしれない。個人を責めるのは間違いだ』とし・・・」


 さらに、同日の読売新聞は次のように報じていました。

 
「朝鮮総連小坂分会(大阪府東大阪市)の白星保分会長(37)も出席し、『拉致はないと言ってきた人間の一人なので拒否されるかもしれないが、謝罪したい。そのうえで、日本人との共生を実現したい』と話した」

 在日朝鮮人が「謝罪」とは一見、殊勝に見えますが、このような集会で拉致問題とは何の関係もない「植民地時代の清算」とか、「日本人との共生」などと言い出すのは不謹慎です。なぜ彼らは場所もわきまえずにそういうことを言い出すのでしょうか。それは、「拉致は悪いが日本人も悪いことをした。だから『お互い様だ』」といいたいのだと思います。これではちっとも謝罪にはなっていません
 白さんは自分の言いたいことだけを言って、拉致被害者と視線を合わせることもなく控え室に消えたそうですが、「謝罪」にしてはずいぶんと尊大な感じがします。

 記事によると、在日三世の大学生の男性(24)は、「個人を責めるのは間違いだ」と語っていたそうですが、白氏の「日本人との共生」云々発言とあわせて考えると、このあたりに集会を主催したコリアンの思惑が見え隠れしています。要するにこの“謝罪”は自分たちの立場が危うくなったことを察知して、日本人の厳しい視線が自分たちに向けられることをかわして保身をはかることが目的とみられます。

 第二次大戦後のドイツ人は、ナチスにすべての責任を押しつけて、自らは被害者になりすましましたが、同じように在日コリアンはすべての責任を朝鮮総連に押しつけて、自分たちは被害者であるかのごとく振る舞い、「個人を責めるのは間違いだ」といっています。彼らは日頃日本人に対して「ドイツ人を見習え」と言っているだけあって、実によくドイツ人の真似をしています。

 しかし、朝鮮人の罪は拉致に限りません。戦後の無法行為の数々、巨額の組織的脱税、本国への違法送金などの民族ぐるみの犯罪は、在日朝鮮人社会という腐った土壌の上に発生したもので、決して一部の総連幹部だけの犯罪ではありません。彼らが真に反省しているのならば、これらの点について真相をすべて明らかにしなければなりません。これらの犯罪について知っていることすべてを日本の公安当局に通報し、民族ぐるみの犯罪の全貌を明らかにしない限り、彼らの「謝罪パフォーマンス」は打算に基づくものと考えざるを得ません。

 また、彼らは「植民地時代の清算は日本人が自発的に考えること」として、今までのような「追及」をやめるかのような物言いをしていますが、これも笑止なことです。日本人は朝鮮人に対して未清算の債務を抱えてはいません。彼らは日本人に対して何の債権もありません。

 昨年の瀋陽の日本領事館駆け込み事件以来、朝鮮人、特に元在日朝鮮人が日本に舞い戻ることを切望していると言うことが明らかになりました。祖国に帰った朝鮮人は不幸であり、日本にとどまった朝鮮人は幸運であったということです。「日韓併合によってコリアンは不幸になった」と言う、在日コリアンが拠って立ってきた虚構はすでに崩壊しているのです。在日コリアンが日本に滞在を許されているのは恩寵と言うべきであって、彼らには日本人に感謝する以外にすることはないのです。

 自国にいるよりもはるかにましな生活をしている在日コリアンに対して、日本人が清算すべき債務など負っているずがありません。清算すべきものは何もないのです。彼らはこのことを素直に直視しなければなりません。「日本人が自発的に考えること」などと言う言い方は、あたかも債権放棄のように聞こえますが、未練がましい言い方をして誤魔化すべきではありません。

平成15年2月18日  ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ