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神戸の少年事件について

「文芸春秋」が少年事件の検事調書を報じたことについて「遺族の気持ちを思うとやりきれない」と書いている新聞がありますが本当にそうでしょうか、被害者の遺族すら真相を知ることができない現状に怒っているいるのが実体ではないのでしようか。もし本当にそうだったとしてもそれは少年犯罪の犠牲者だけの問題でしょうか。犯人が大人であれば当然裁判を通じてすべてが明らかにされるわけですが、その場合は被害者の遺族はやりきれない気持ちにはならないのでしょうか。そんなことはないと思います。やりきれないというか怒りは当然だと思います。しかしその怒りは犯人に向けられるべきものだと思います。仮に遺族に不満があったとしても、裁判公開の原則から言って、このような凶悪重大事件についてはすべてを公開して国民の審判を仰ぐべきであると思います。それが民主主義というものです。それこそが正しい結論を導き出す唯一の方法なのです。一般論として、プライバシーは尊重されるべきですが、プライバシーがすべてに優先すると言うことではないのです。

 「文芸春秋」の記事を興味本位と非難していますが、この非難には根拠がありません。文芸春秋社及びその読者に対する侮辱です。もし非難するのであれば何が興味本位で何が興味本位でないのか、その基準を明らかにすべきであると思います。それとも彼らは読者が知りたいと思っていることを書くことは、すべて興味本位だと思っているのでしようか。読者が知りたいと思っていることを書かずに、読みたくもない記事で埋まっていることの方がおかしいのです。そういう新聞が売れていることが問題なのです。

 健全なジャーナリストであれば事実を報道することを使命と考え、真実を隠蔽することには本能的に嫌悪感を感じはずです。読者が知りたいと思っていること、書けば売れる事を書きたいという衝動に駆られるのがふつうだと思います。ところが我が国の新聞ジャーナリストはそのような本能(使命感)が全く欠如しているばかりか、むしろ真実を隠蔽することに熱心です。読者に情報を伝えず、自分たちの出した結論を伝えることだけに熱心です。新聞が専売店による宅配制で記事の善し悪しで部数が大きく変わることがないという事情も関係していると思います。

平成10年3月2日      ご意見・ご感想は   こちらへ      トップへ戻る     J目次へ