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「友引休業」は迷信で、「日曜休日」は迷信ではないのか

 6月8日の朝日新聞に「『友引葬儀』避けないで」、「迷信が定着 火葬場休む」という見出しの記事があり、「『友引』の日に葬式を出すのを避ける家庭が多いが、これは全くの迷信」として、「友引」に葬儀を避ける習慣を非難しています。

 記事の中ではさらに、「友引は大安、仏滅などの六曜の一つ。中国から伝わった時刻の占いの小六壬が江戸時代末期に日の占いとして、六曜に形を変え、友引は葬儀を避ける日とされるようになった」、「浄土真宗関係者の間で友引迷信打破の動きが強い」、「福井県武生市の真宗出雲路派の僧侶、藤枝宏壽さんは公営火葬場の『友引開業』を呼びかけている」とか、「福岡県内では部落解放運動から生まれた、『迷信と因習をなくす会』が70年代初めから『友引休業は友引迷信や因習を助長し続けるもの』と批判してきた」、「指摘を受けた福岡市では、友引に休んでいたのを87年から日曜休み(現在第2、第4日曜日)に切り替えた」などと報じられています。

 友引に葬儀を避けるのを「迷信、因習」と非難するのなら、「日曜日」を安息日として休日とするのは迷信ではないのでしょうか。日曜日は、キリスト教に於いて、神が天地を創造してから7日目に休息したという話しから来ているものです。

 また、藤枝さんは、火葬場が休みだとその間葬儀ができず、遺族の疲労や経済的負担が大変ということを、「友引開業」の主張の理由にしていますが、遺族が大変なのは日曜が休みであっても同じ事です。日曜を休日としている火葬場を、なぜ同じように「迷信」といって非難しないのでしょうか。仏教徒の葬儀の習慣に「迷信」はないのでしょうか。「友引」の習慣だけを「迷信」と非難するのは根拠がないと思います。

平成11年6月9日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ