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社会から消えてゆく「日本文学」

 産経新聞11月1日の文芸時評欄の「社会から消えていく文学」と11月2日の「産経抄」を読みました。記事には「大学の文学部で文学を語る学生は『暗い人、変な人』として相手にされなくなる」、「『文学部』の中では文学が消えている」、「近い将来には『文学は必要か』となるはずである」とあります。私は日本の文学はもはや死滅状態と言っていいと思います。文芸時評欄にこのような記事が出たと言うことは、当事者でさえ認めざるを得ない、決定的といってもいい状態だと思います。

 いまや芥川賞や直木賞など社会にとって何のインパクトもありません。その本を買って読もうという人もあまりいません。ただ、主催出版社が営業政策上、止めるわけにも行かず、何の展望もないまま惰性で続けているだけです。文学作品が一般の人の話題になることはなくなってしまいました。国民の関心が薄れたと言うよりも国民の関心を集められる作品がなくなったのです。文学作品の著しいレベルの低下です。
 一体なぜ日本文学はこのようなも状態になっていなったのでしょうか。諸外国でも文学を取り巻く環境は似たようなものなのでしょうか。私は日本だけの状況であると思います。
日本の文学がこのようになってしまった一番大きな原因は文学部における女子大生の増加だと思います。

 日本では、男は女と同じことをしようとは思はないのです。女子大生の増加によって文学は女のすることで、男のすることではないと考えられるようになっていきました。その結果有能な男が大学の文学部に入学することはなくなったのです。文学部に来る男は「暗い人」と「変な人」だけになってしまったのです。そして、文学部を埋め尽くした女子学生には男に取って代わるだけの能力はなかったのです。
 かつて大宅壮一氏は女子大生亡国論を唱えましたが、文学に関してはまさに的中したと言えます(東京外語大も女子大化してしまったことが以前報じられました)。現在女子学生は女だけになってしまった文学部に飽きたらず法学部、経済学部などへ進出しつつありますが、女子学生が一定割合を超えれば文学に起きたことが、法学、経済学についても起きる可能性はあります。

 もう一つは「反日」の影響があると思います。日本文学とは日本人の生き方、考え方を教えるものですが、「反日」は日本人が自分たちの伝統的な価値観や生活習慣(男女の役割分担を含む)をすべて否定し、放棄することを説くものです。そのような病に冒された社会環境の中で文学が育っていくとは思えません。戦後進駐軍に強要された「『民主化』と『男女平等』と言う名の『日本否定』」が、今、ボディブローのように効いてきているのです。

平成10年11月3日     ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る     Z目次へ