橿原今井町 奈良ならまち 五條新町通り
橿原市今井町は、天文年間(1532〜1555)一向宗本願寺坊主今井兵部卿豊寿が、御坊称念寺を開き、
自衛のために武力を養い壕をめぐらした環濠都市を建設したのが起源とされている。
当初は、軍事目的のために造られたもであるが、江戸時代中頃は富裕に商人の生命、財産等を外部から
守るものに変貌した。
今井町の大半の民家が江戸時代以来の伝統様式を保っており、1600年代中頃の今西家(重要文化財)を
初め優れた民家が数多く建ち並び、今なお町全体が戦国時代の寺内町の面影を残している。 |
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| まちなみは江戸時代の姿を残している |
旧米谷家(重要文化財) |
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| 上田家(重要文化財) |
今西家(重要文化財) |
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都が平城京から長岡京へ移された後、元興寺を中心にして造られた町並みは、元興寺の荒廃とともに
商工人の店や住居に変わっていった。室町期の今西家書院や江戸中期の藤岡家などの重要文化財に
指定された伝統的な家屋の他、江戸後期から明治初期の町屋が立ち並んでいる。 |
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ならまちのシンボル庚申さん(身代わり猿)をつるした旧家 |
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| 街角をヒョイと曲がるとこんな風景が |
玄関先に商品を並べるための台として利用したものか? |
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