続・金があるものは…
2006/06/16(Fri.) 17:51

  天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず
 
これはフンコ財布の常連?福沢諭吉のとっつぁんがおっしゃった有難ぁいお言葉。これを間違って「人間皆平等」と解釈する方が多いが、この出だしには重要な続きがある。その重要な続きと合わせてその真意は「人は平等であると言われている。しかし、世の中には貧しい者から豊かな者、賢人や愚者、身分の上下もある。この差はいったいどこから来ているのか。それは学問である。」→つまりこれが著書『学問のすすめ』なわけ。
フンコも遅ればせながら学問の耳かじり。
 
さて1万円の肖像になったユキっつぁん。その1万円札はたったの22円の製造コスト。つまりまかり間違えた基準では、1万円札には22円の価値しかない。でもそれを1万円分の価値のものと交換(購入)できるのはなぜかというと、それは日本国政府が信用の裏付け(信用付け)しているから。分かりやすい例では、幕末に財政難の各藩が発券した藩札。これは藩の中でしか使用できない…ってものただの紙切れやから外で使おうとしても信用が無かったり、最終的には維新でお家解体の辞退で正に紙切れになった(ソ連前のロシア政府発行ルーブルも同様)。最近では国内の地方自治体が発券した地域振興券。こちらは利用地域・期限を制限することで信用の失墜は免れたが、あくまで地方自治体の期限付き信用なので流通するすべもない(商店で1回使って終わり、商品券と同じ)。
日本銀行券である1万円札は、今のところ、日本政府の諸外国における信用度の高さのおかげで、海外でもその国の通貨と両替が可能である。ちなみに本日18時現在で1万円札はアメリカ国内で87ドル18セントの価値を持つ(交換手数料除く、1ドル=114.7円)。
今現在の小泉政権がもしも不安定で諸外国から認められていない政権(例えばクーデーターで成立した軍主主義政権や、パレスチナ・イスラエルのような政教がらみの複雑な問題を抱えた国)だったら、こんな外貨交換レートは存在しない、もしくは我が国にとって悪条件のレートになるはず(だって信用が無く、いつただの紙切れになるかわからん)。
こういう、発行機関の信用付けを大前提として額面が書かれているお金(とくに紙幣)を「計数貨幣」と呼ぶ。
これに対して、どんなに信用の無い国家・政権が発行していても、諸外国で交換できる(可能性がある)のが「秤量貨幣」。品質・量目をはかって通用する貨幣のことだが、つまり含有している金・銀・銅など素材貴金属の価値に基づいて通用するのがこれ。もし海外出張中に日本国政府が没落してしまっても、この貨幣自体に貴金属価値があるわけだから、商店主は品物と交換してくれるやろし、貴金属商のとこで相談すれば買取(貨幣と交換)してくれるはず。
じゃあ銀行に預けている大金、政府没落の危険性があると心配やなぁってことで、脈々と人気があるのが「金(きん)貯蓄」。貨幣のことを「お金(かね)」と呼ぶ漢字の由来にもなっているとおり、元々は金の価値に従って流通貨幣を作ったのだから、金には世界共通の信頼に裏づけされた価値があり、さらには時間を経てもその価値が変わらないとされてきた(物価の優等生「玉子」とは逆で、消費者物価の変動に伴って価格は変動するが、価値はほぼ一定)。だが、金の延板を家に保存するのは物騒やし、かといって先物をやると1999年夏以降に下落した過去を持つので危ない。もちろん、延板の端っこ削ってスーパーに持って行っても買い物できへんし、お釣りも出ませんわな(これは昭和天皇即位60年記念金貨:10万円硬貨がレジで対応できなかったのと同じ。ちなみにこの金貨の貴金属価値は4万円分)。
 
ここまでツラツラと1万円札やお金のことを書いてきたが、つまり何が言いたいかというと、現代の人間が翻弄されているこのお金の正体が、たったの薄い信用に基づいた価値しかないという儚さを伝えたかったのだ。日本国政府の信用なんて、国内に住んでる日本人がその真価を測る余地もないのだ。もしかすると諸外国では非常に危うい存在(ヘタしたら北朝鮮より?)かもしれんわけ。
そんな信用付けの紙幣に、そこまで惚れ込んで集める(稼ぐ)価値があるのか?それよりももっと本当に集めたいもの、大事にしたいものが何なのか(←それは個人によって異なる)を見極めて、そこに注視しようよ!
 
と、フンコ哲学を語ってみた。けど、格言うフンコも日本銀行券コレクター。順位は番付にも載らんが。


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