秋山城登城記

「名称」  秋山城       「登城日」  1999.3.4      「所在地」 奈良県宇陀郡大宇陀町春日
「別名」  神楽岡城、松山城     「形式」  山城     「築城期」  南北朝時代か  標高 472M  比高 120M
「歴史的背景」
  南北朝時代より国人として活躍の秋山氏の本城。室町時代初期に  宇陀郡大半を支配。
  1560年 松永久秀の侵攻を受け、松永と与し  竜王山城まで、勢力拡大。
  天正13年(1585),豊臣秀長の大和入国で、高取城改修と併せて  改修したと思われる。
  慶長5年(1600)、福島掃部頭,松山城と命名し城下町を整備
「登城記」
  春日神社から山裾を東に歩き、大手道から登城。かなり急峻な  道を登り、本丸西下の西虎口
  にとりつく。(写真1)  そこから少し登り  三角形の郭に出る(この郭は本丸の外桝形と見られ
  ているようだ)。  本丸を左に見ながら、大御殿跡、二の丸へ、東虎口のあたり  発掘中で、かな
  り石垣が残っている。(写真2)  引き返し、本丸に登る。  高さ約10M。(写真3)本丸に井戸跡
  (写真4)、天守台、殆ど形跡なし。西虎口  あたりに、竪堀が  あったと言うがあまり顕著に認め
  られない。  全体的に、近世城郭の面影が強い。