古宮城登城記
[登城日]  00/6/4
[所在地] 愛知県南設楽郡作手村(美濃三河高原)
[形式] 平山城  標高 560m 比高 25m 城域 260mX160m
[築造] 元亀2年(1571)馬場信房
[交通] JR飯田線新城より 車で(R301)30分
[概要]作手(つくで)村は周囲を700m級の山に囲まれた高原の村で、三河の国発祥の地と言われ、戦国時代今川・武田・徳川にとって重要な戦略拠点であり、村中に40ヶ所の城砦がある。元亀2年、亀山城の奥平氏監視の為、武田信玄の重臣 馬場美濃守信房が甲州流の縄張りで、武田軍の最前線基地として築城。二年後奥平・徳川軍の前に陥落したが、面影をよく残している。縄張は周囲の城と全く趣を異にしており、一見して武田の築城を思わせる。25m程の小山を中央の大堀切で二分し、東方の主郭群と、西方の前衛郭群を造り、主郭には南、東に虎口があり、南虎口は武田特有の両袖虎口形式枡形になる。西郭北方にはスロープ状に二本の堀が残っている。
[登城記](登城記中のNo.は縄張図画像参照
城郭フォーラムの精鋭と、白鳥神社から登城。4両袖枡形に圧倒されながら入城。東郭へ、3主郭の土塁見事に残る。北側の4〜5段の腰郭もきれいな形で残っている。2郭北側から堀切越しに見る西郭北側のの二重の堀、美しい。大堀切を渡り、西郭へ。7,8の枡形虎口は崩れているが北側の二本の堀(資料によると、内側は堀底道で、外側がこれを防御する堀のようだ)景観素晴らしい。これぞ山城のお手本のミニチュアセットを見るようで、しばし呆然と眺めた。この周囲3kmくらいの範囲に文殊山城、塞之神城、亀山城、石橋城、川尻城などが集中しており、お城ファンとしては絶好のポイントです。