岐阜お城紀行(3)

郡上八幡城 (積翠城)登城記
[登城日]1999/7/21
[所在地] 岐阜県郡上郡八幡町
[建造] 永録2年(1559) 遠藤盛数
[形式] 山城
[遺構] 石垣、模擬天守、隅櫓
[交通] 長良川鉄道 郡上八幡駅より車で15分
[歴史]
長良川の上流と、その支流の渓谷との間に開けた奥美濃の要地で、北の飛騨、越前に対する要の地点に る。遠藤盛数が、東殿山城 奪取の後、戦闘時陣を張った、八幡山に築城した。天正16年、秀吉は 稲葉貞道を城主にし城構えを根本的に改めた。山上を本丸にし、山 の平地に二の丸を広げ、平山城形式にした。関ヶ原合戦で徳川方についた遠藤慶隆が2万7千石の旧領に復帰し、惣石垣などの修築を行った。この時 城下町も整備した。重要文化財の 郡上踊りは、この時代に始まった。現模擬天守は、昭和8年、大垣城を模して作られた。
[登城記]
東海北陸道を走り、郡上八幡 IC へ、IC手前で山上の天守 認める。(ここがビューポイントの一つ。片側1車線の道路だが、上り線に待避エリアが る)大手門址から安養寺を抜けて、10分で本丸へ。駐車場完備。本丸石垣は奇麗な野面積、やや はらみが見られる。落ち着いた天守、好感。徳川一派の千鳥破風主体の城はスッキリしていて 嫌みがない。南正面に 東殿山城。石垣も残るようだが、標高 400m 弱といいきつそう。大手門址の  さの旅館に宿泊。鯉の らい、鮎 に舌鼓。夜の町散策。水と、踊りの町といい、至る所、湧き水の飲み場が る。宗祇水が有名。大正年間の大火で、城下町は全焼したといい、古い町並みと通称するところもアルミサッシ作りだが、軒並み、卯建(うだつ)が がっており、奥行きの長い家に 小京都を感じる。地元では、小京都は全く意識しないようだ。
わざわざ、郡上踊りを はずしての 静かな佇まい、よかった。