越前・加賀お城歩き



日本城郭史学会北陸ツアーに参加してきました。10月25日米原駅に集合。北陸鉄道の貸切バスでスタート。北陸道で小谷城、賎岳を見て敦賀へ。
【疋田城(疋壇城)】
バスも不案内で通り過ぎてバックして行き着く。文明年間以前(1400年代)疋田久保築造。古代、愛発(あらち)関が置かれた場所で京都を守る軍事施設として米街道の要衝に築城された。福井県史蹟。麓に舟溜りが綺麗に整備されている。常広院の境内(二の丸)にかなり大きい石を使った野面積み石垣、綺麗に残る。山上の本丸周辺の石垣もかなり遺存しているようだ。
敦賀市内、気比神社を通り過ぎて、金ヶ崎城址へ
【金ヶ崎城(敦賀城)】
建武年間以前の築造。信長の朝倉攻め時、浅井の変心を知り、急遽朽木越えで京に逃げ延び、秀吉が殿として奮戦しポイントを稼いだ場所。金崎宮から海よりを20分登ると、月見御殿跡に出る。付近に古墳もあり、本丸とされる。ここからの眺望は素晴らしく、越前岬あたりまで見通せる。南東に歩くと、三の城戸、二の城戸という竪堀に出る。ここから一の城戸を通って天筒山に至る。山上のあちこちに古墳が残り、歴史を感じる城跡だ。
【府中城】
前田利家居城のあとに慶長6年(1601)本多富正、居館を築造。現在は武生市役所となり城址碑のみ。
【竜門寺城】
府中城の南西に六寺の集まる地域があり、周囲に濠の名残があり、竜門寺城の跡と推定されている。現在の竜門寺の南側に墓地があり濠の面影残す。
【小丸城】
天正3年(1575)佐々成正築造。越前一向一揆を平定した信長は、柴田勝家を越前に配し、府中には府中三人衆(前田利家、不破数正、佐々成正)を配した。大きな城郭だが、50m四方の本丸跡のみ良く残り、門跡、近年発掘された、整った野面積み石垣が美しい。前田の一揆勢処分を記述した文字瓦は後世のものという。
【織田剣神社】
越前二の宮(一の宮は気比神社)で本殿の織田造、千鳥破風、唐破風を屋根が持つ屋根がユニーク。
夕暮れのラッシュを抜け、福井ニューユアーズホテル入り。