北陸お城歩き(2)



【北の庄城】
天正3年(1575)信長が築造。柴田勝家を配す。遺構は殆ど無く、柴田神社のあたりが天守台だとされる。当時の石垣の根石が一部発掘されて見えるようになっている。
【福井城】
そのまま福井城へ、瓦御門から本丸に入り、北西隅の天守台へ、昭和23年の大地震の倒壊状況がそのまま残り、被害の大きさを実感。内堀周囲、犬走りが水面上によく見える。
【一乗谷城】
駐車場から、職員さんの案内で、諏訪館庭園ー湯殿庭園ー朝倉館ー南陽寺庭園ー復元街並を歩く。都の文化を再現した禅形式の石庭、郭間の堀切、土塁も良く残る。武家屋敷群の土塀、印象的。北陸道で丸岡へ
【丸岡城】
薄曇の天守景観、南面撮影に集中。天守東面の腰庇、石垣上部とマッチせず、東面に付櫓があったと思わせる。丸岡藩砲台に寄って、鳥越へ。
【鳥越城】
天文年間、鈴木出羽の守築造。一向一揆の軍事的拠点として、白山山麓の要塞化の要で、二曲(ふとうげ)城はじめ、数多の砦群を有すという。天正8年、石山合戦が終わり、尾山御坊も陥落したが、鳥越城は、以後7ヶ月もちこたえ、抵抗を続けたと言う。比高130mを、一向一揆歴史館からマイクロバスで登城。山頂に50mX30mほどの本丸。きれいに整備され、櫓も建造されて、足助城を思い出す。本丸虎口の枡形、しっかりしている。各郭との堀切・土塁が立派。枡形門、石垣、望楼、二の丸虎口も再興され、堅城の趣充分。ゆっくり金沢市街入り、金沢城石川門、二の丸復元櫓のライトアップ観賞。絵にする自信なく、カメラなしでの観賞。石川門内面の三面石垣の違い、説明聞き納得。
【金沢城】
10月27日、雨の中、8時スタート、本多邸庭園(福井放送裏)見学、降りしきる雨の中の見学で、一層幽玄な感じ。尾山神社散策後、大手門(尾坂門)から入城。この枡形石垣、なかなか絵にならないが、やや陽射し出て撮影。新丸ー三の丸へ、晴れ間覗き、二の丸菱櫓撮影。土橋門東石垣、数奇屋敷北面石垣見て、石川門公開見学。柱の断面、菱形確認でき納得。三十間長屋見学して本丸ー東の丸ゆっくり歩き石川門から兼六園に移動。サイフォン噴水ー月見台ー山崎山ー石の送水管見て、津田邸ー成巽閣を見学。金沢城外郭の趣充分。
以上3日間の盛り沢山なスケジュールであったが、一向一揆のアウトラインを垣間見た感じ。