伯耆・出雲 お城歩き
9月19日〜22日、皆生温泉に拠点をおき、お城歩きをやって来ました。9月19日 第二阪奈ー中国道ー米子道で約300km走り、米子市街へ。米子道出口で、城郭認め、とりあえず立ち寄る。話に聞いていた「お菓子の壽城」、広い駐車場に観光バスも何台か。感心したり、あきれたり。R9に入り西へ、米子城前に着く。正面枡形から、小原家長屋門を抜け、15分登ると天守台東面に達する。打込みハギの見事な石垣。
南西の鉄門から登郭。広々とした天守台。ここに天守が2基建っていたという。日本海、米子市の眺望抜群。東面の石垣造形面白いが、逆光で思うに任せず、明朝の再登城にして、一路皆生温泉へ。

20日7時すぎから米子城再登城。正面枡形見違えるよう。天守台に登り、想定したポイント撮影。天守台腰郭を行ったり来たり。鉄門角の高石垣のみ奇麗な切込ハギ。難を言えば木の葉の繁りがあり冬場がいい。
9時前、ローソンで弁当買って(これが正解、道の駅水曜日休み)月山富田城に向かう。タマジーさんの報告通り、足立美術館目指してR257走り、約30分で道の駅到着。御子守口から大手門前まで車で登り、1台の駐車スペースに停める。ここから三輪さんの報告の実践。大手門から御殿平に上がり菅谷口城門を覗き、花の壇へ。このあたり石垣積みなおしで整備される。再度、搦め手方向に歩き塩谷口城門へ。非常に堅固な城門、ありし日の攻防戦、思わすに充分。ここから、七曲り道を30分登ると、三の丸。石垣、随分復元整備されている。93年頃は、全く荒れ放題だった記憶がある。地続きで二の丸。堀切を経て本丸に至る。本丸奥に勝日高守神社、石垣、落ち着いた野面積。二の丸小屋で弁当の昼食。見晴らし良く富田城の全貌景観。帰途は菅谷口方面に降り、城安寺へ、野面積の落ち着いた石垣。滋賀院を思わせる。再度、塩谷口方面に走り富田山荘めざす。SynForestの「日本の名城」HibiSadao氏の「月山富田城の天守閣」の検証、ほぼ富田山荘であると結論。
塩谷口、菅谷口の城門、ゆっくり眺め、幾度の攻防の跡、思い起こせる。

21日9時スタート、R9を一路松江へ、やや市街に入り損ねたが、10時過ぎ大手門に到着。堀川めぐりスタート地点の、西駐車場へ。小泉八雲旧居跡あたり、搦め手から入城。護国神社との間(大きな堀切)から登る。北門東、立ち入り禁止区域に水の手門、趣有る枡形門。北門から本丸へ、天守に登閣。縄張模型、本丸模型に興。考えて見ると天守登閣は随分久し振りだ。一の門、三の門から二の丸に降り、本丸石垣に沿って、北に歩く。高石垣と天守仰観、美しい。引き返し、復元中の太鼓櫓、中櫓(いずれも覆いの中)南櫓は外観完成。県庁の前庭からいいアングルになる。昼食後、堀川めぐりの船に乗る。内堀東、船が通る為、土塁を削り補強の石を積んでいる。築城の頃米子からの住民が集合した米子町の米子橋、武家屋敷からの船着場、塩見縄手の佇まい美しい。内堀北を抜けて乗船場に戻る。松江城内堀北側、西側の切岸状況良く判る。

22日 鳥取県西部 大雨洪水警報で 羽衣石城登城断念。山陰歴史館で米子城絵図の研究、広瀬富田の歴史資料館で富田城発掘の資料見学。発掘品から、石見銀山をバックにした、尼子の隆盛を偲ぶ。境港に走り、「水木しげるロード」を徐行観覧。ゆっくりしたスケジュールで、米子の朝夕登城、月山富田城天守閣の検証、松江の搦め手歩き、復元南櫓の外観鑑賞出来て、ほぼ満足の旅行であった。