伊賀上野城登城記

[別名] 白鳳城
[所在地] 三重県上野市丸の内
[登城日]  99/9/8
[建造]  天正13年(1585)筒井定次、慶長16年(1611)藤堂高虎大改修
[形式]  平山城
[遺構]  郭、本丸高石垣、堀、復興天守、国指定史跡
[交通]  近鉄上野市駅より徒歩10分
[歴史的背景]
南山城、大和から東海道への要衝に、西国への抑えとして、天正13年、筒井
定次が 羽柴姓を賜り 伊賀入り、平楽寺跡に築城。高丘に本丸、三層天守、
西に二の丸、北に三の丸を配し大手は三の丸北谷にした。大阪守備のため、東
への防御を目的とした。
慶長16年 藤堂高虎が 今治より入り、大阪包囲の目的で大改修。西に深堀を
掘り高石垣を築き、南北隅に櫓、南に二の丸を配し、大手東西門、10櫓を
置いた。天守は五層で築城するも慶長17年、大暴風で倒壊。以後、家康勝利
で不要になり、再建せず。
[登城記]
9月とはいえまだまだ酷暑の中、近鉄で上野市へ。
本丸東から登城、城代屋敷跡へ(筒井時代の本丸址)野面積から打ち込みハギ
に移行期のかなりな高石垣。本丸より一段高く、屋敷門の桝形形成。この付近
発掘中。西へ移動、本丸天守へ、二の丸を含んだ模型に、往時を忍ぶ。説明の
アナウンスで未だに「木造の再建天守として、最も新しい」と言っており、
守衛のおじさんと笑う。おじさんも、掛川、西尾から見学に来て、木造再建し
たと言っている。北に降り高石垣北・西面を見ながら、南下。高さ30 m の打
ち込みハギの偉容、何度見ても圧倒される。堀端に降りる場所は夏草と熊笹で、
掻き分けながら滑り降り、仰角撮影。復興天守は、昭和10年川崎克氏が私財
を投入して「伊賀文化産業城」という
コンセプトで建てられたという。珍しく、コンセプトのある復興天守だ。