天竜川お城歩き


10月9日、思い切って、好天のもと7時半スタート、10時過ぎ掛川駅で、元会社の先輩・同僚3名とドッキング、掛川城へ。
【掛川城】
復元大手門へ、大手門越しの天守撮影アングル模索が目的。大手門前の交差点広場、アングルとしては正解だが、交差点に林立する信号機柱に全く遮られ構図不可能。大手門前からの天守アングルはまずまず。大手二の門移築の油山寺へ、寺院伽藍の正面入口に見事な山門。瓦葺入母屋屋根の二層櫓門、両面の庇屋根が珍しい。
【二俣城】
二俣は北遠江と浜松をむすぶ交通上の要衝であり、城は、天竜川と二俣川の合流点の丘陵上に築かれ、天険を利用した戦国期の典型的な台地城郭であった。現存遺構は戦国後期、武田氏の支城として大幅に改修されたあと、家康が更に改修し、各郭が完全に独立して防備できるようにしたようだ。徳川信康が自害させられた場所でもある。東麓からアプローチ、北西搦め手駐車場から本丸へ、北東に食い違い虎口石垣、東面、土塁・石垣が続き、南東の枡形門に至る。本丸西より中央にこじんまりとした天守台。野面積み石垣、綺麗に残る。算木積みも形をなしている。広場側、東向きになりこの時間、全くの逆光。西の天竜川、眺望良し。体力考え、鳥羽山歩きは見送り。
14時前から飯田に向かう。カーナビ不調で、しばらく方向決まらずロスタイム。R257、R151と走り、18時頃、飯田市主税町ホテル大安に入る。R151天竜峡のあたりで、「そばの城」という堂々たる城郭建築、天守閣はないが多聞櫓風の立派なものだったが夕暮れで写真にはならず。
【飯田城】
飯田城は、天竜川の支流の松川、野底川にはさまれた岬状の河岸段丘上に位置し、明治維新まで存続した下伊那唯一の城で、上伊那の高遠城と対比されるものである。慶長18年小笠原秀政が松本に移封される時に飯田城から移築されたのが松本城天守との説がある。10月10日、6時半から散策。東から山伏丸(ホテル)、本丸(飯田神社)、二の丸(美術博物館)、三の丸(追手町小、合同庁舎)と連郭になり、南北は20〜30mの絶壁になり河岸段丘の要害ぶりが判る。本丸に観耕亭碑(城主堀親義は、自分が外出すれば、農民の仕事を邪魔するので、観耕亭から農民の仕事振りを見たという)、二の丸南に水の手搦め手口石垣、三の丸(合同庁舎傍)に赤門(桜丸門、飯田市有形文化財、鮮やかなベンガラと八双金具で彩った美しい門)。しばらく迷って、松尾の木下家へ、飯田城大手二の門を八間門として移築現存。歴史を感じる黒塗りの長屋門。
またまた迷って、上郷経蔵寺へ、赤門の位置にあった桜丸門、堅牢な薬医門で、板かえる股がおもしろい。
【伊豆木陣屋】
飯田市街より南西に5km走り、小笠原家書院、門、石垣、懸け造りの書院などが残り趣あり。
【岩村城】
飯田ICより中央道に入り、恵那ICを出て、岩村城へ。R257から車道で出丸に登る。本丸から二の丸に降り、六段石垣周辺を歩き、同僚にも見所紹介。体力温存のため一人出丸に引き返し休憩。
15時前、多治見駅まで送ってもらい、名古屋ー京都経由17時半帰宅。おっかなびっくりの、お城歩きだったが意外に元気な旅行になり、同行者には感謝している。