岩村城登城記
[登城日] 99/10/17
[所在地] 岐阜県恵那郡岩村町城山
[別名] 霧ケ城
[形式] 山城 標高 721m 比高 153m
[建造] 文治元年(1185) 加藤次景廉 と伝、慶長年間 各務兵庫
[遺構] 石塁
[交通] JR 中央線 恵那より 明知鉄道 岩村下車 徒歩30分
[歴史的背景]
大和高取、備中高梁と共に 日本三大山城の一つ。全国の山城で最高位に位置。美濃、信濃、三河の接点に位置し、戦国時代 武田信玄、織田信長、徳川家康の三者が支配下に置こうと争奪戦を繰り返した。遠山景任病没後、武田側の攻撃緩和策として、景任未亡人城主 おつや(信長の叔母)と秋山晴近との婚約により、幼主 坊主丸の養育を条件に和議。武田側の城となる。この 、織田に対する防御の意味で堅固に修築した模様。天正元年(1573)信長の攻撃で落城。慶長年間、城代 各務兵庫 城下町を含めて整備。
[登城記]
中央線恵那駅に11時到着。三河守さんと ドッキング。車で岩村へ。弁当探しながら、城下町ドライブ。旧家の並ぶ静かな町並み。高取とよく似た感じ藩校知新館門、復興太鼓門、歴史資料館に立ち寄り、城郭図見て、登城。本丸まで 800m の看板を見ながら、しばらく、石畳の道を登る。下田歌子の勉学所をぬけて約10分で土岐門跡へ、大手門との間は空堀で、畳橋で大手三重櫓(天守代用)に渡ったようだ。厳重な構えを見る。竜神の井戸、菱櫓霧ケ井戸を通り抜け、奇麗に整備された石垣を進むと、眼前にパッと六段石垣が開ける。二の丸石垣として、 まり高くないが、小刻みに積み上げた六段石垣。画像対象としては面白いが、何故こういう多段にしたのか疑問。二の丸より本丸へ。広い本丸。本丸南西下に帯郭、ここは約15mの高石垣。出丸を抜け東に歩くと中世岩村城の郭に繋がっている。積み直し修理も行き届いており、奇麗過ぎる石垣 多いが、高取の大半放置(よく言えば 現状保存だが)とどちらが良いのか。三大山城 登城達成で 疲れも半減。