金沢城登城記
[登城日] 99/10/20
[所在地] 金沢市丸の内
[別名] 尾山城
[築造] 天文15年 金沢御堂として一向宗徒、天正11年(1583)前田利家
[形式] 平山城
[遺構] 石川門、三十間長屋、石垣、大手堀他
[交通] JR 金沢駅より 徒歩15分
[歴史的背景]
天文15年、一向一揆の本山として 浅野川、犀川に挟まれた 小立野台地の先端に建立された。天正8年 佐久間盛政が攻略し、尾山城として修築。同11年前田利家が入城し、高山右近に縄張りさせ修築、大手口を尾坂口に改める。さらに文録元年 利長が修築、蓮池堀を掘り、篠原一考指図で 高石垣を築きいもり堀、白鳥堀を掘って修築。本丸東南隅に天守閣があったが、慶長7年 落雷により焼失し以後三層櫓で代用した。

[登城記]
10月20日、天気予報に反し好天。9時半 駅前ホリデイインで 地元の酒井さんと合流。バスで南町下車、玉泉院丸北にアプローチ、西側石垣に沿って南に歩く。この辺り、雑草で隠されている。県立体育館(櫓門の跡)に寄って、いもり堀跡を歩き南東隅へ、本丸、東の丸あたりの南面石垣、三重に重なった重厚な石垣。このあたり、草取りも行き届き、眺め良し。左に折れ、蓮池堀(百間堀)を北進。高石垣、なまこ塀の石落とし見ながら、石川門下へ。なまこ塀の矢狭間外からは見えない。仰角の石川門、菱櫓の ベストアングルか、絵になる。石川橋を潜り、やや左にとり白鳥堀跡を北進、静かな散策路。約200m で尾坂門(大手門)跡。百万石のお城に相応しい 豪快な枡形門。ここから北面に、大手堀、現存。野面積石垣とよくマッチする。尾崎神社手前から二の丸へ、発掘中で一面工事現場。極楽橋を渡って 三十間長屋へ、鉛瓦屋根、重厚。本丸、東の丸あたり、美しい石垣残るが、陸軍の破壊改修の跡も、ゆっくりと石川門に至り、場外へ。今回は、外周石垣にポイントを置き、特に南東隅の石垣ゆっくり鑑賞でき満足な登城。兼六園下の飯屋の 釜揚げうどん 見事に不味い。