湖北お城紀行(01/8/27-8/29)
8月27日9時スタート。名神高速京都南から入り、京都東を出る。坂本の街並みを左に見ながら、R161を北上。昼過ぎ近江高島駅に到着。
[大溝城(高島城)]
JR近江高島駅前、公立高島病院駐車場に入り、東へ。乙女が池にかかる、雁行の板橋渡って、大溝城本丸へ天正6年(1578)織田信澄が明智光秀の縄張指導で築造。湖岸3城(安土、長浜、坂本)と共に、琵琶湖包囲ネットを構成。角の丸い、あまり加工してない石の野面積石垣。神戸城を彷彿させる。隅角部は一応算木積を認める。乙女が池の中に本丸が浮かび、水城の形態だった模様。病院が武家屋敷跡のようだ。
R161をゆっくり北上。今津の白砂青松の海岸を散策して、奥琵琶湖パークウエーに入り、海津大崎あたり桜並木、岩礁を見ながら、奥琵琶湖ビラに到着。日が暮れてから、ヒグラシの耳をつんざく大合唱に感激。
8月28日、地理的になかなか足を伸ばせなかった、小浜城へ。今津からR303で30kmのドライブ。
[小浜城(雲浜城)]
小浜神社東側にアプローチ。100m四方の本丸石垣よく保存されている。慶長6年(1601)京極高次、築城開始。寛永19年(1642)酒井忠勝の時代に完成。本丸石垣北、西、南とよく残るが、内堀はギッシリ民家が建ち並び石垣遠望のポイントはない。本丸南西隅に大小天守台。打ち込みハギの美しい石垣。高さ18mの三層天守が有ったという。若狭高校、校門として、藩校門(切妻造り四脚門)移築現存。若狭熊川宿の道の駅のガイドマップで国吉城跡、金ヶ崎城跡 認め、美浜あたり注意して走るがついに見当たらず。雨模様になり、賎が岳リフト諦める。
8月29日、9時スタート。奥琵琶湖パークウエーを東に走る。R365に入り小谷城跡へ。
[小谷城]
番所跡(約2km)まで車で登り、意を決して登り始めるが、好天になり、大広間直前で撤退。本丸、山王丸の石垣まで達せず。
 


[長浜城]
豊公園駐車場に入り、南から模擬天守(歴史博物館)へ、説明のおじさんいわく、秀吉の長浜城の位置、殆ど特定できず、太閤井戸の位置から推定したのが旧天守台跡あたりだと。最上階展望台からの見とおしはよく、小谷城、姉川、国友町、小堀町、石田町、佐和山城、彦根城あたりが見通せて歴史に耽る一時ではあった。