南九州お城の旅


3/14,15と好天予報で出かけましたが、カラッとは晴れあがらず、やや残念なお城歩きになりました。南九州で、どうしてもカバーしておきたい鹿児島、人吉、八代です。3/14、始発電車で上本町発、伊丹APへ、7時半ANA541で雲海の上を飛び、鹿児島AP 8時40分着。
[鹿児島城(鶴丸城)]
九州産交バスで約1時間で金生町着。約10分歩き、鹿児島城跡へ、二の丸南西からアプローチ。中世の山城をバックに西郷さんの大きな銅像。そういえば、あちこちに銅像があった。本丸の東面、北面に奇麗な布目の通った切込ハギの石垣、堀残る。東北角にはっきりと隅欠けあり。大手桝形、立派な構え、掃除中のお兄さんに一寸よけて貰って石垣ゆっくり撮影。黎明館に入り中世、近世の城郭模型ゆっくり見る。62万石の大藩としては非常に質素な城構え。曇り勝ち・日射不足でいまいちだった。10時32分のバスで鹿児島APに引返す。空気ドンヨリして、宮崎とちがってあまり南国の感じがない。

[人吉城(繊月城、三日月城)]
中世、相良氏の城を、慶長12年(1607)長毎(ながつね)が近世城郭に改修した。鹿児島APからバスで約1時間、人吉産交着。南へ歩き総合病院前の、移築堀合門へ、こじんまりとした上品な門。相良家から移譲されてここに建つという。(喫茶ぶけぐら 情緒あり)。大手橋渡って市役所へ、観光振興課で資料貰って、大手橋から胸川沿いに北へ歩く。復元の多聞櫓、長塀、隅櫓と並んで壮観。球磨川との合流点で川原に下り、隅櫓の下まで行ける。隅櫓の石垣、打込みハギ乱積みの石垣でかなり豪快。大橋を渡り球磨川沿いに東へ歩く。屋敷郭から本郭に連なる石垣の景観良し。水の手橋渡り、水の手門へ、大きな桝形。この南側に御館跡、武者返しの石垣、堀合門跡、このあたり絵になる。現在相良神社になる。ここに初代相良長頼が築城時に三日月の紋様が入った石が発見され、三日月城、繊月城と呼ばれた謂れの石がある。
東の御下門から三の丸へ、この石垣、ポイントの一つ。日射不足で不満。くねった階段を上り三の丸へ、約30mの土塁上の郭。二の丸虎口、趣有り。本丸下に所々、古い石垣残る。本丸には護摩堂の礎石のみ、東側大堀切を隔てて、郭あり。現在、人吉城跡公園になる。球磨川下りの出発点。二の丸中御門の大きな桝形から三の丸を経て下城する。疲れ切って、丸恵旅館へ。馬刺し、鮎の甘露煮など美味かった。
[八代城(松江城)]
元和8年(1622)加藤忠広築城。一国一城令に反して、肥後ニ城を認められる。雨の人吉から肥薩線で球磨川沿いに八代へ、天候、徐々に回復してくれる。八代駅からタクシーで約10分、かなりな距離だ。本丸南で下車、本丸内八代宮になる。本丸内堀沿いに反時計回りに歩く。打込みハギ落し積の堅固な石垣。石灰石の石垣も、黒ずんで面影ナシ。修理中の石にやや白いもの見られる。内堀東側に表桝形門、大きな桝形で、橋に当時からの擬宝珠、残る。本丸北西隅の天守台、五層天守を置きたい立派なものだ。(残る資料では、五、四、三層の説があるようだ。正保城絵図では、破風なしの四重天守だったよう)裏桝形門から本丸に入り、天守台に登る。小天守を従えた連結天守だったよう。立派な天守台で絵になる。
[熊本城]
熊本に出て、帰途につくが、素通りすると加藤さんに怒られそうで、タクシー利用で時間を作り、櫨方門から長塀沿いに歩き、不開門から北東隅を散策し、東からの宇土櫓、天守を撮影して駆け足で熊本APへ。
天気予報を見ながらのお城歩きだったが、春の天気は思うようにはならず、青空に抜ける人吉の櫓、塀、石垣の撮影にはならず、やや不満は残るが、人吉、八代の見事な石垣を堪能できた。