[歴史的背景]
中伊予の軍事・物流の拠点である大洲盆地に、守護宇都宮豊房が地蔵嶽城として築城。相次ぐ争奪戦を経て、関ヶ原合戦後、伊予領主藤堂高虎が、宇和島城の支城として、今治城と同時に 大改修。その後、脇坂安治がさらに修築し慶長4年(1609)近世城郭 大津城として完成させた。
[概要]
大洲盆地で合流する肱川と久米川に挟まれた独立の岩山・地蔵嶽(比高25m)に築かれた平山城。地蔵嶽の頂を削平して本丸とし、西南山麓に二の丸、その外周に内堀を隔てて三の丸を配した輪郭式縄張り をとる。本丸北東は急峻な浸蝕崖で肱川に面する。本丸は、東西120mの削平地で、四層四階の天守を建て 高欄櫓と台所櫓とを渡り櫓で連結した連結式天守群を構成した。天守は明治25年取り壊された。この 天守を多聞櫓と共に、平成16年に復元するという看板があり、大いに期待される。本丸石垣は、野面積み と打ち込みはぎを併用した豪快・堅固。二の丸、三の丸に30基の櫓が立ち並んだという。

[登城記]
好天に誘われ、念願の登城。時間節約の為、タクシーで二の丸へ。北から本丸に登る。100mX20mくらいの 平地になり、台所櫓、高欄櫓残る。台所櫓、入母屋造りで北面のみにおおきな千鳥破風、二層のみ下見板張りの重厚な櫓。高欄櫓、入母屋造り二層、白漆喰塗り、上層の南西面に高欄を廻らす。南西隅に、弓なりの 石落とし。この下の石垣勾配見事。北西隅に天守台跡、形跡は無いが、囲いをして地固めをしている模様。 南側に下り、肱川沿いに苧綿櫓へ、入母屋造り二層の瀟洒な櫓だが、堤防が接近して、肱川越しに遠望するのみ。本丸の真南に訊ねながら歩き、南隅櫓へ、学校の校庭の隅に入母屋造り二層、白漆喰塗りだが、南・東面に石落としを二つずつ備え、大きな武者窓を備え、四櫓のうち、最も重厚な風格を感じる。肱川橋を 渡り、約20分歩いて大洲駅へ。このあと、宇和島に向かったが、肱川鉄橋を渡った、東北方向からの 城郭景観、ここがベストポイント。四層天守が完成すると素晴らしいビューポイントになりそう。