三河・尾張お城紀行(1)


2/8-10名古屋在住の先輩にアテンドお願いして、三河・尾張お城歩きをやってきました。2月8日、京都発ひかりで豊橋着、9時前、田原に向かう。一時間弱で到着。
[田原城] 文明12年(1480)戸田宗光建造。明治時代に修築。
R259で田原町博物館へ、渡辺崋山関連の展示館。お城のセミナー資料もらって城内へ。二の丸、空掘跡きれいに整備されて実感なし。二の丸隅櫓、再建、白漆喰瓦葺の二層櫓、庇が非常に小さくてやや奇異な感じ受ける。南面石垣ほぼ保存という。大手桜門、廃城前の写真を基に復元という。三の丸南の袖池との景観良し。このあたり石垣、ほぼ旧状残る。非常に整備され、近代公園になりいまいちだが、袖池・桜門の
景観、風格あり。R151で野田城址を通り、約一時間で鳳来町に入る。
[長篠城] 永政年(1508)菅沼元成築造。国史跡
二の丸駐車場から長篠城址史跡保存館に入り、竹田VS織田・徳川軍の設楽原合戦の様子、血染めの陣太鼓など見て、本丸へ。本丸・二の丸間空掘、よく判る。南に野牛郭、向かいの山に、武田の旗印が見える。本丸南西崖下に降りる。寒狭川沿いの絶壁、堅城の面影。寒狭川、宇連川の合流点めざすが、良く判らず、通りかかった新任(転勤)のポリさんのガイドで牛渕橋へ、本丸南端の景観、堅城長篠のビユーポイント。鳥居強右衛門の碑を見ながら田峯へ移動。
[田峯城(だみねじょう)]
場所不詳で、稲目トンネル抜けて、R257から田峯観音めざす。観音手前から城跡の看板あり。長篠合戦で、留守居の家老の謀反で、城主菅沼定忠は信州武田領に敗走し、復讐に成功、この時惨殺した96名の首塚残る。こじんまりとした中世城郭で、平成6年、地域振興費で、書院造りの御殿・大手門・物見櫓を再建し、きれいに整備されている。二億円も遣って整備した割には、メインの道路から案内板もなく、地元の意識に大いな疑問。15時すぎて肌寒くなり、早々に湯谷温泉めざす。
2月9日、8時すぎスタート、東名高速経由西尾めざす。
[本證寺] 建永元年(1206)建立、三河三ケ寺の一つ。
三河一向一揆で中核になる。城郭伽藍として、よく保存され、内堀がきれいに認められる。本堂は、一間おきの柱の林立で江戸時代初期の遺構といい県文化財、山門を挟んで残る鼓楼・鐘楼にも時代が感じられる