篠山城登城記

1.名称  篠山城    別名 桐ケ城       2.形式  平山城      3.登城日  1999.1.11
4.所在地  兵庫県多紀郡篠山町           5.遺構  天守曲輪を含む本丸、二の丸の石垣、堀、馬出
6.歴史的背景
  関ヶ原合戦の後、徳川家康が豊臣残党を包囲する為、天下普請で築いた城の 一つ。中国、四国、九州の諸大名20家に助役を命じ、助役総石高400石 と言われる。
 縄張りは藤堂高虎に命じ、穴太衆の石垣を採用。 1608年 わずか6ケ月で本丸、二の丸完成。家康は、次の名古屋城築城の
 為、天守築造を取り止めた。
7.登城記
  14時前、JR篠山口駅から、タクシーに乗る。霙まじりの小雨。大阪で判断 した天候と全く違う。やはり裏日本気候だ。
 大手門から西側に回り、広い犬走りのある内堀沿いに南廊下門に歩き、そのま ま天守台下の高石垣へ。三の丸南東から見上げる 本丸郭の「打ち込みハギ」 の高石垣、家康のこだわりを感じさせる。穴太積の豪放、かつ細心な構築 (写真1,2)。
埋門(写真3)から二の丸に上がる。南東隅に天守台を控え 8棟の隅櫓を多聞塀で結び、連結小天守群を構成したというが、壮観だった
 だろうと感慨。二の丸大書院再建中。 内堀、高石垣の裾に5〜7Mの犬走りが続く。軟弱な地盤に高石垣を作る為、 支持荷重を分散する高虎の工夫。(写真4)
 城下町の町割も クランク状屈曲とT字形の辻が多く、充分に戦闘的。 天下普請の城として、充分な貫禄。